ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

 夏休み中は真斗(まなと)と彗斗(けいと)を見送ってから三人で朝食をとっている。

 九郎(くろう)に食パンをトーストにしてもらい、咲也(さくや)に彼と自分が飲む分の牛乳を注がせる。

 茉莉花(まりか)はコーヒーメーカーのガラスポットに残っているコーヒーを自分のマグカップに移す。
 
 量が少ないのでそこに牛乳を足した。

 ダイニングでは咲也は庭を望むガラス戸側、茉莉花は台所側に座っている。

 咲也はまだ開き切っていない目で、自分の前に置かれた皿に乗った目玉焼きを見る。

 彼は目玉焼きに醤油をかけて食べるのだが、テーブルの上にあるのは塩胡椒と中濃ソースだけだった。

「……醤油」
「自分で持って来な。立たなくても出来るでしょ」

 手足を動かさないなら、せめて念力を使って自分でやれと茉莉花は咲也を突っぱねた。

 天津人はヨモツ退治以外で特殊能力を使うことを法律で禁止されているが、彗斗や咲也と同じく茉莉花も「家の中は治外法権」だと思っている。

 だから悪びれもなく気軽に違法行為をやらせようとする。

「……見えねぇもんは動かせねぇ」

 咲也は彗斗と違って目視できるものしか念力で動かせない。

 九郎がキッチンからダイニングに戻って来た。

 咲也の声が聞こえていたようで、右手に醤油差しを持っている。

「ちょっと、あんた咲也を甘やかしすぎ」

 それを見た茉莉花は顔を顰め九郎を咎めた。

「いや……ついでだし……」
 
 九郎は睨む茉莉花からおずおずと視線を逸らし、咲也の前に醤油差しを置いて彼の隣に座った。

 九郎は真斗と同じように目玉焼きと千切りキャベツをトーストに挟んで食べる。

 茉莉花は目玉焼きではなく昨日の残りの南蛮漬けを挟んで食べた。

 マリネと似たようなものなのでトーストにも合う。

 半分寝ている状態の咲也は醤油をかけた目玉焼きだけ口にする。

 茉莉花から見てテーブルの左側には七インチのポータブルテレビが置いてある。

 一昨年――十五歳の誕生日にプレゼントとして買ってもらったものだ。

 それまでは料理をしている時に時計がわりにラジオを聞いていたが、テレビの方が視覚的にも時間の経過がわかるので便利だ。

 料理をしている時はキッチンの前にある出窓に置いて、主に朝夕のニュース番組を流している。

 それ以外の時はダイニングテーブルに置いてあり、茉莉花以外のきょうだいたちも使っている。

 時刻は午前八時十五分。

 ニュース番組は街頭インタビューのコーナーになり、おすすめの「東京駅のお土産」を紹介していた。

 全国的に有名なカステラ生地でカスタードクリームを包んだ月をモチーフにした「あの」仙台銘菓。

 レポーターが紹介しているのは同じ企業が作ったカステラ生地もクリームも白い「高級路線」の姉妹品。

 新しい商品に目がない茉莉花はそれを見て目を輝かせたが、無情にもそれは「東京駅限定」のものだった。

「もー、めちゃくちゃ美味しそうなんだけど……何で本家本元の地元(こっち)で売らないんだろ……解せない」

 茉莉花は不服そうに眉根を寄せてぼやいた。

「解せない」

 トーストを咀嚼しながら九郎はそう言って彼女に同意する。
 
 咲也はまだ半分寝ているので一切反応しない。
 
 九郎はトーストを食べ切ってからグラスに入った牛乳を飲んだ。

 上下に動く喉仏。

 先程とは違い、普通に見ていられる。

 両手でトーストを持ったまま、茉莉花はじっと観察するような面持ちで彼の喉仏を見ていた。

 台所で彼女に覆い被さっていた「犬」でも「オオカミ」でもない、九郎の姿をした見知らぬ男。

 茉莉花は無意識のうちに、それを今の九郎から探していた。

 身が竦むような「怖さ」すら感じたのにも関わらず探してた。

 空(から)になったグラスから口を離し、視線を上げた九郎と目が合う。
 
 茉莉花は素知らぬ顔で目を逸らし、手に持っていたトーストを齧(かじ)った。
 
 十年以上見て来た穏やかな黒い目を見て、これ以上探るのは良くないのかも知れないと思った。

 よくわからないけど、きっと良くないことだ。

 良くないと言うことだけは、よくわかる。

 また湧いて来そうな胸騒ぎを塞ぐように茉莉花は少しペースを早め、南蛮漬けを挟んだトーストを食べ切った。