ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

 男尊女卑の天津男(あまつおとこ)め。

 真斗とは仲が悪い訳ではないが、時折り見せる古臭い価値観に苛(いら)つくことがある。
 顔が老けている上に考えも老けている。

 子供の頃はそんなに口うるさいと思うことはなかった。
 よく笑う、優しい「お兄ちゃん」だった。

 いつからだろう。険しい顔をすることが多くなり、自分のやることに釘を刺してくるようになったのは。

 ――ああ、そうだ。十二歳の「あの時」くらいからか。

「はしたない真似したら、処女(おとめ)の価値が下がるってことか」

 挑発するようにそう言うと、茉莉花はゆっくりと立ち上がり真斗の顔を見上げる。
 
 逞(たくま)しい腕と厚い胸板。身長も一九〇センチ近くある堂々たる体躯(たいく)の真斗に対し彼女の身長は一六三センチ――決して小柄ではないが彼の鎖骨くらいの高さしかない。
 半袖から伸びる白い腕は細く、肩も薄く華奢。布製のベルトを締めた腰も、ワンピースの裾から覗く足首も細い。

 茉莉花は可憐な顔を精一杯険しくさせ、琥珀(こはく)色の瞳で真斗の黒翡翠(くろひすい)の瞳を射るように見据える。

 立っている場所こそ和室の居間だが、二人の姿はまるで「冷酷無慈悲な皇帝」とそれに刃向かう「無鉄砲なか弱い妹姫」のようだ。

「そうとは言っていない」

 真斗は見た目ほど冷酷でも無慈悲でもない。

 少し眉を下げ息を吐き、いつも通り食ってかかってきた妹を面倒くさそうに軽くいなした。

 そんな彼をよそに、見た目ほどか弱くはない茉莉花はさらに煽るように続ける。

「いくら処女(しょじょ)を守っても、はしたないアバズレビッチだったらお家(いえ)の評判が悪くなるもんね」

 眉間に皺を寄せた真斗は黙ったまま何も返さない。
 茉莉花は奥歯を噛み締め下を向いた。

 図星なのか少し困ったようにも見えるその表情が腹立たしかった。

 難癖付けてきたのはそっちのくせに。

 匙(さじ)を投げるようにため息を吐き茉莉花は顔を上げる。

「はいはい。処女(おとめ)は処女(おとめ)らしく、ちゃんとわきまえた振る舞いを心がけますわね。お兄様」
 
 仰々しくそう言うと彼女は背筋を伸ばし軽く頭を下げて真斗を軽く睨(にら)む。

 ワンピースの裾をつまみ、そのまま右足を斜め後ろへスライドさせ左足の膝を曲げた。

 ドレスを着た「お姫様」がするようなお辞儀、カーテシーだ。
 
 そんなことをしろとは言っていない――と今度は真斗の方が呆れてため息を吐く。

 ゆっくり体勢を戻すと、茉莉花はワンピースの裾を翻し彼に背を向け居間から出て行った。

 顔に苛立ち滲ませたまま台所に入ると、冷蔵庫の前に彗斗がいた。
 
 風呂上がりで長い黒髪はタオルドライを済ませただけで、まだ濡れたままだ。

 肩にタオルを掛け上はキャミソール、下はホットパンツ。
 グラマラスな肢体を露わにしたかなり際どい身なりだが、不思議といやらしさを感じない。
 
 彼女に真斗との小競り合いを聞かれていた。
 茉莉花はハッとして苛立ちを一旦腹におさめ、平静さを取り繕う。

「あ~ら、お姉様。お湯加減はいかがでした?ちょうどお兄様がお帰りになられたので、お食事の仕度をするところでしたのよ」

 彗斗に気まずい思いをさせたくはないので、直前の流れを踏み茉莉花は大袈裟に「お嬢様」芸で戯(おど)けてみせる。

 台詞は無茶苦茶だが、彗斗から見た茉莉花の表情や声は歌劇団の可憐な娘役のようだった。

 だが、その目は怒りで「ガン決まって」いる。

 可愛らしく顎に添えた拳は硬く握られ、振り下ろす先を探している物騒さすら感じた。

 彗斗は全て察していた。

 ――またマリが兄貴の物言いに噛みついた。

 いつもの事だ。

「あ~ら、相変わらず気が利く良く出来た妹ですこと。雨でお体が冷えてらっしゃると思うのでお味噌汁はぐっつぐつに火を入れて差し上げて」

 彗斗も「ウソ令嬢」風に声色(こわいろ)を変え、茉莉花の芝居に合わせて答える。

 すると茉莉花は手を叩いてから指を組み、体をしならせてワンピースの裾を揺らす。

「それは良いアイデア!さすがですわお姉様、そうすることにしましょう!」

 二人でひとしきり高笑いを交わしてから、彗斗は冷蔵庫から取り出したノンアルコールのチューハイ缶のプルタブを開ける。

 一口飲み「はぁ~!全っ然足りませんわぁ!」と言うと、そのまま離れの自室に戻って行った。

 明日も出勤なのでノンアルにしたが、それでは全く物足りないらしい。

 彗斗と会話をして少し落ち着きを取り戻した茉莉花は、冷蔵庫から真斗の分の夕飯のおかずを取り出す。

 食事の配膳はそれぞれでやるのがこの家のルールだが、真斗と彗斗に対しては彼女がおかずを運んだり飯や味噌汁を用意するようにしていた。

 呑気な学生の咲也や九郎とは違い彼らは働いている。

 二人に養ってもらっているようなものなので休日以外は出来る限りそうしていた。

 今の気分は最悪だが、このルーティーンを放棄したら自分の憤りを「へそを曲げた子供の癇癪」だと真斗から軽く扱われるだろう。

 そうなると癪に障るので茉莉花は「大人の対応」を心掛け、いつも通り座卓に用意したおかずを並べる。

 鯵の南蛮漬けとひじきの煮物、冷奴と大葉やネギなどの薬味。
 
 へそを曲げた十歳下の妹とこれ以上顔を突き合わせたくない真斗は、自分で飯と味噌汁を用意をしようと彼女よりも先に居間から台所へ向かう。

 そこへ背後から来た茉莉花が真斗の前に割って入り「黙って座ってろ」とでも言いたげに彼を睨んだ。

 当てつけるようなその態度に、真斗はうんざりした様子でため息を吐き踵(きびす)を返した。

 コンロの前に立った茉莉花は青菜の味噌汁が入った鍋に火を入れる。

 彼女の苛立ちが乗り移ったかのように、勢いよく点火した青い炎が鍋の底を覆った。

「――さてと」

 茉莉花は腕を組んで鍋を見下ろし、鼻を鳴らしてニヤリと笑った。

「ぐっつぐつに煮立てて差し上げますわ」

 今の彼女の表情は「か弱いお姫様」でも「可憐なお嬢様」でもない。

 ベタな物語に出て来るヒロインの敵役、美人だが意地悪で性根が曲がっている「悪役令嬢」のそれだった。