ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

「――余裕で結べるな」

 茉莉花(まりか)はいつの間にか九郎(くろう)の背後に移動していた。

 膝をついて彼の長めの襟足と首の間に左手の指を差し入れ、右手で後ろ髪を梳(す)いている。

 こしがあって健康的な艶がある、しなやかな黒髪。
 姉の彗斗(けいと)のものと似ていて羨ましいなと茉莉花は思った。

 茉莉花の髪は柔らかい癖っ毛で、湿気を含むと広がりやすい。
 彗斗は昔から彼女の癖っ毛を「お姫様みたいで可愛い」と言ってくれたが、茉莉花は彗斗の艶々とした黒髪に憧れていた。

 ――男のくせに、いい髪してんじゃん。
 
 適当に両サイドの髪を手に取り、束にして後ろで合わせる。
 ハーフアップも出来そうだなと急に楽しくなって来た。

「よーし、私に任せろ」

 茉莉花は九郎の肩に手を掛け、体を揺すりながらニヤリと笑う。

「カッコよくしてやる(けっ)からな」

 そう言って彼女は自分のポニーテールを解いた。
 外したこのヘアゴムで結んで仕上げる。

 顔の横に落ちた栗色の長い髪を耳にかけ、茉莉花は再び九郎の黒髪を指で梳(と)かし始めた。
 
 九郎は茉莉花にされるがまま動けずにいた。

 彼女が自分の髪を弄(いじ)り始めてからページを捲(めく)る手が止まっている。
 指が髪を梳(す)く度(たび)、頭だけにとどまらず全身にむず痒さが走る。

 それでも彼は動かなかった。

 単行本に視線を落としたまま「嵐が去るのを待つ」ような心持ちで息を殺し、口を閉じたまま歯を食いしばって黙っていた。

 右手で毛束を掴んだまま、茉莉花は九郎の顔を覗き込むと感心したかのように目を見開いて言った。
 
「――似合うよ。いい感じ」

 その言葉と表情に揶揄(からか)いの色はなかった。

 九郎は横目で茉莉花を見る。

 自分をとらえる彼の犬のような黒い瞳が「本当か?」と言っているかのように思え、茉莉花は頷く代わりに歯を見せて笑った。

 彼女が九郎の髪をヘアゴムで束ねようとした時、廊下側の戸が開く音がした。

 二人は驚いて顔を上げる。

 戸を開けたのは帰宅した真斗(まなと)だった。

 いつもならガレージへ向かう車の走行音や障子越しに見えるヘッドライトの光で彼が帰宅したとわかるのだが、茉莉花は九郎の髪を弄るのに没頭していて全く気付かなかった。

 九郎もこのむず痒い弄りに「耐える」ことに集中していたのでそこまで気が回らなかった。

 茉莉花が九郎に後ろから抱きついているように見えて真斗は一瞬ぎょっとしたが、違っていた。

 彼女は九郎の後ろで膝をつき、彼の髪を纏めていただけだった。

 九郎はと言うと、飼い主にうざ絡みされている柴犬のように不服そうな面持ちで目を伏せている。

「――何してんだ」

 真斗は二人を見据え、低い声で言った。

「何って、髪鬱陶しそうだから結べるかなぁって」

 茉莉花は悪びれもなく、むしろ何か文句でもあるのかと言いたげに口を尖らせて答える。

「九郎が嫌がってるだろ」
「え?」
 
 真斗に言われるまで茉莉花は全くそうだとは思っていなかった。
 今更気まずさを感じた彼女は慌てて九郎の髪に触れていた手を離す。

 すると九郎は茉莉花と目を合わせることなく無言で立ち上がり、そのまま読んでいた単行本と着替えを持って真斗と入れ替わるように居間から廊下へ出て行った。

 本当に嫌だったのか。
 茉莉花は廊下にいる九郎に向かい声を張って呼びかける。

「ごめん!でもさぁ、嫌なら嫌って先にちゃんと言ってよね!」
 
 何も反応しないからわかんないんだよ――謝罪しつつも茉莉花は少し不満げだった。

 そんな茉莉花に対し、真斗は眉をひそめ険しい視線を送っている。

 ――年頃の女が男に対してなんてことをしてるんだ。

 真斗は前々からこのような、茉莉花の九郎に対する「やたら近い距離感」は非常に良くないものだと思っていた。

 茉莉花が九郎に対して「きょうだい」以上の感情を抱くようになるのではないかと彼は薄っすら疑っている。

 九郎は養子で他のきょうだいたちとは血の繋がりがない。

 身内としては感情的にかなりキツいが、そうなっても血の繋がりはないので倫理的には問題はない。

 法的にも問題はない。成人後なら双方の同意があれば性行為をしても構わないし、実子と養子は結婚することも出来る。

 ――だが、それは絶対にあってはならない。