ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

 高野原(たかのはら)家の夕飯は茉莉花(まりか)と咲也(さくや)と九郎(くろう)の三人で食べ始めることが多い。
 そこに途中から帰って来た彗斗(けいと)が加わり四人で食卓を囲む。

 真斗(まなと)の帰宅時間は午後九時前後。遅い時には十時近くになるので彼は一人で遅い夕食をとることになる。

 図体のデカい男が居間でポツンと一人座って食事をする姿は絵面的に寂しいなと茉莉花は思っていたので、真斗が夕飯を食べている最中はなるべく居間で一緒に過ごすようにしている。

 真斗から「部屋に戻ってていいぞ」と言われるが茉莉花は「テレビ見てるから」とか「お風呂空くの待ってる」などと答え、居間の何処かしらに座っていたり縁側にあるビーズクッションに寝そべったりしていた。

 夕飯を済ませ、後片付けを終えた茉莉花は居間でテレビを見て寛ぎながら真斗の帰りを待っている。

 座卓を挟み、彼女の向かい側には九郎が座っていた。

 咲也は自室に戻っており、彗斗は入浴中。
 現在居間にいるのは茉莉花と九郎、二人だけだ。

 九郎は漫画の単行本を読みながら風呂が空くのを待っている。傍に用意した着替えが置いてある。

 今夜は雨が降っているので走りには行かないと言っていた。

 彼は真斗ほどではないが肩や胸に厚みがあり、身長も一八三センチと充分大柄な方だ。
 
 褐色の肌と黒髪。
 オオカミらしい野生味のある風貌だが、優しい目元を持ち穏やかな性格をしているので体格の割に威圧感はない。

 無口だが人を避けているわけではなく、大人しさからくる口数の少なさなので話しかければちゃんと答えてくれる。

 そんな彼の性質と身内であることを含め、茉莉花にとって九郎は男であるにも関わらず「居心地が良い」存在だった。

 何も話さず二人きりでいても気を抜いて無防備でいることが出来る。
 
 雑な言い方をすると「空気」のような存在だ。
 
 九郎には二つ趣味がある。

 一つはオオカミに姿を変えて夜に「ランニング」をしたり、縁側で筋トレをするなど体を動かすこと。

 もう一つは読書だ。
 
 先日は小説の文庫本、今日は漫画の単行本を読んでいる。

 駅の近くにある図書館にもよく足を運んでいる。

 茉莉花もたまにハードカバーの小説や料理番組のテキストなどを借りに行くが、その時書棚ごしに彼の姿を見つけることがあった。

 両極端だがどちらも一人で完結できるもので、物静かな性格の九郎らしい趣味だ。

 そろそろ真斗が帰って来る頃かと茉莉花はテレビのリモコンを手に取り、チャンネルを変える。
 
 画面の左上に表示されている時刻を見ると、もうすぐ午後九時。

 地元局のローカルニュースで青葉区の住宅地に出たクマについて取り上げていた。

 茉莉花は頬杖をつき、向かいで単行本を読んでいる九郎にたずねる。

「オオカミになってる時にさ、クマにあったことある?」
「ある」
「わぁ……あるんだ。で、どうしたの?追い払った?」
「逃げた」
「逃げた?!オオカミのくせに?逃げんの?」
「素人が下手に手を出すもんじゃない」

 オオカミの「素人」ってなんなんだよ――茉莉花は眉を顰めた。

 九郎は茉莉花と話している最中も、ずっと単行本に視線を落としたままだった。

 その漫画は中国の歴史物のようだった。三国志のような時代物なのか、それっぽい架空の国の話なのか。表紙の絵からは詳しい内容までははわからない。

 茉莉花は頬杖をついたまま、再び九郎にたずねる。

「それ、面白い?」
「うん」
「ふーん……」

 自分から聞いたにも関わらず、茉莉花はさほど興味はないと言った様子で九郎の返事を受け流す。

 たまたま目に入ったのがその単行本だったから何となく聞いてみただけだった。

 茉莉花が視線を上げると「たまたま」九郎の長い前髪に目が留まった。

 センターで両サイドに分けている前髪は耳の上くらいの長さだったが、いつの間にか耳の下まで伸びている。

 正面からは見えないが、元々長めだった襟足も掴んだら引っ張れるくらいの長さになっていた。
 
「そろそろ髪切りに行ったら?鬱陶しくない?」
「…………」

 先程まで無口なりに言葉を返してきた彼だが、その問いには返答せず黙秘している。
 その様子を見て茉莉花は「ピン」と来た。

「もしかして伸ばしてんの?」
「…………」

 図星だな。

「色気づいちゃって。ははっ」

 茉莉花は揶揄(からか)うように鼻で笑った。
 
 彼女の指摘通り、九郎は髪を伸ばそうと思っていた。

 六月に散髪に行った時、美容師から「長めのスタイルが似合いそうだから伸ばしてみたら?」と言われた。

 見た目に頓着がないのでずっと同じ髪型にしてもらっていたが、似合うなら似合う長さにした方が良いなと思い伸ばす想定でカットしてもらっていた。
 
 正直、髪を伸ばしてみたいと思っていたので背中を押してもらった気がした。
 プロの美容師が似合うと言うなら、きっと良い感じになる。

 彼は今読んでいる漫画に出て来る切れ者の武将や映画で見た腕の立つ浪人の用心棒、二刀流の剣豪のような無骨で男らしい長髪に少し憧れていた。

 高校生にもなって漫画や映画に影響されるなんて自分でも子供っぽくて気恥ずかしいと思う。

 それを茉莉花が知ったらきっと「小五の男子か」と揶揄(からか)って大笑いをするだろう。
 最低でもひと月は何かにつけてそのこと擦られうざ絡みをされる。

 バレるくらいなら色気づいていると思われたままの方がマシなので九郎は黙っていた。

 茉莉花はそれっきり口を開くことはなく、退屈そうにニュース番組を見ている。
 それにもすぐに飽きた様子で、座卓に手を付き腰を上げ席を立った。

 九郎はほっとして再び単行本を読み進める。
 彼女に髪についてこれ以上根掘り葉掘り聞かれずに済んだ。

 しかし安心したのも束の間、九郎は背後にふんわりとした気配を感じた。

 嫌な予感がして振り向こうとしたが、それよりも先に後ろから襟足を掴まれ九郎は目を剥いて固まった。