ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

 ヨモツによる年間の死者数は交通事故の死者数よりも少ないがそれでも約一千人弱、負傷者数は約二十万人。

 ここ十年間は増加傾向で、去年の死者数は一千百人を超えている。

 ヨモツの方が人を殺めているが、クマが人を襲う方が珍しいのでニュースで頻繁に取り上げられている。

 クマは法律による銃の使用制限があるので、通報したら獣撃隊が早急に駆けつけて祓除(ふつじょ)出来るヨモツとは違い簡単に駆除をする事が出来ない。

 心理的にクマの方が国民にとって脅威となっている。
 
「獣撃隊」にとってもクマは非常に厄介な存在だ。

 クマは本来、人間がいない山の中で活動している。
 ヨモツは基本的に人間の生活圏内に現れる。

 環境の変化によるエサ不足などでクマは山を降り、人里に姿を現すようになった。

 ヨモツとクマの活動圏が被るようになり、このような見間違いが発生している。

 この辺りに現れるツキノワグマもヨモツも体は黒く遠目では似たような姿をしているが、決定的な違いがある。

 ヨモツは体の周りに黒い霧を纏わせ、その中に小さな稲光(いなびかり)を宿している。

 獣撃隊に通報が入るたびにその特徴の有無を確認してはいるが、それでも駆けつけてみたらクマと言ったパターンは多い。

 現場でクマと対峙したところで彼らが使う能力は「生き物」には効かず、警棒とナイフは持っているがほぼ丸腰なので逃げるしかない。

 先日は逃げ遅れた他県の隊員が襲われて大怪我を負った。

「獣撃隊」とか勇ましい名前が付いてるくせにクマに負けるとか――SNSでは彼らを嘲笑するポストが多く投稿された。

 その名の通りヨモツの他にクマなどの「生きた」害獣も獣撃隊に銃を持たせて駆除させれば良いのではという声も上がった。

 しかしそれは、ほぼ不可能だ。

 ヨモツには銃火器が効かないので獣撃隊は銃器を所持していない。

 猟銃を揃え、隊員たちに一から訓練をさせるとなるとコストも時間もかかる。

 そもそも法律を改正しない限り住宅地などで猟銃を使用することは出来ない。
 
 クマ騒動よりも前から獣撃隊はヨモツ祓除に特化した「専門部隊」とは真逆の「便利屋」だと思われていて、悪意がない善良な市民たちから専門外の無理難題を依頼されることが多かった。
 
 例えば、半年前にこんな事があった。

 明石(あかいし)、福室(ふくむろ)、黒川(くろかわ)の三人で若林区にあるマンションの通路に逃げ込んだヨモツの祓除に駆けつけた。

 祓除を終え撤収するために車両に向かい歩いていた明石が四十代くらいの女性から呼び止められた。

「すみません……前からずっと相談したいことがあって……」

 厳つい男連中が多い獣撃隊だが小柄で優しそうな女性隊員の明石の姿を見つけ、思い切って声をかけたと言う。

 彼女は現場の向かいにあるマンションに半年前に引っ越してきた。

 その後、誰もいない部屋から破裂音がしたり家族が事故に遭ったり体調を崩すなど良くないことが立て続けに起こっている。

 事故物件とは聞いていないが、これは「悪霊」や「あやかし」の類(たぐい)かもしれない。

 ヨモツを消すようにそれをどうにか「祓って」もらえないかと言うのだ。

 背後で二人のやり取りを聞いていた福室は「またか」と眉根を寄せた。

 女性は真剣で「本当にもう気がおかしくなりそうで……」と縋り付くように明石に何とかして欲しいと頼み込む。

「獣撃隊(うち)ではどうにもならないので。そう言うのは「専門家」じゃないと……」

 明石は無下に扱うわけにもいかず、彼女をなだめながら眉を下げてそう言った。
 
 では誰に言えばいいのかと女性は三人に尋ねる。

「祈祷師や陰陽師……とかですかね」

 福室は何となく適当に思い付く宛を口にした。

 何処へ相談すれば良いのかと女性はさらに三人に尋ねる。

「神社?寺?どっちっすかね?陰陽師って神主さんすか?」

 黒川は質問に質問で返すポンコツぶりを露呈した。

 悪霊やあやかしの類(たぐい)の祓除も専門外である。それらはヨモツとは似て非なるもの。

 天津人でもほとんどが霊視など出来ないし、見えたところで悪霊やあやかしは彼らが殴って倒せるものではない。

 昨年にはこんな事もあった。

 加瀬(かせ)と真斗(まなと)がヨモツの目撃が多くあった地域を巡回していた時に、近所に住む農家の七十代くらいの男性に呼び止められた。

 自分たちでは手に負えない「大きいもの」が自宅の敷地に居着いて困っている。
 
 男性の話を聞いて、加瀬と真斗は顔を見合わせた。
 
「さて、どっちだ」と。

 彼に案内され農機具などが収納されている納屋の裏へ行くと、離れた軒天に約六十センチ程ある大きな「蜂の巣」があった。

 形状からスズメバチのものと思われる。

「あら、ご立派」

 それを見た加瀬は苦笑いをする。
 真斗は「またか」とため息を吐いた。

「市の指定の駆除業者です。蜂の巣はこちらに連絡して駆除してもらって下さい」

 真斗はポケットから名刺入れを取り出し身を屈め、業者の連絡先が書いてあるカードを男性に手渡した。

 このような事はしょっちゅうあるので事前に対応業者の連絡先が記載してあるカードを用意している。スズメバチの巣、コウモリ、その他色々。

「……「お巡りさん」たちから呼んでけねぇのすか?」

 受け取ったカードを一瞥(いちべつ)してから少し不満そうにこちらを見る男性に、真斗は身を屈めた体勢からさらに頭を下げてこう言った。

「すみません。ご自宅の方で手配していただくようになっているので……」

 このように彼らは出先での「害虫駆除の仲介業者」的な役割まで担っている。

 警察と市への引き継ぎを終えた真斗と加瀬は、現場の青葉区西部から東側の宮城野区にある県獣撃隊本部へ向かっていた。

 明石と福室、黒川の三人も別の車両で別のルートを経由し、同じく本部へ向かっている。

 真斗が運転をする獣撃隊の車両は、前方に濃緑の夏木立に覆われた青葉山を望みながら走行している。

 東北自動車道のインターチェンジを過ぎてから、その青葉山を抜ける長いトンネルに入った。

「真斗んとこ山だろ、泉区の山」

 加瀬が車窓に肘を乗せ、頬杖をつきながら真斗に言った。

「いや、山って程では……裏山って言うか……」
「気を付けろよー。お前んちの近くにもクマ、出っかもしんねぇから」
「はあ……」

 真斗は右車線から追い越して行く高速バスを見送りながら溜め息混じりに返事をした。

 トンネルを抜けると景色は一変し、ビルが立ち並ぶ市街地に入る。

 現在停車しているトンネル出口の信号の先――広瀬通りを直進すると東北一の歓楽街の国分町や、老舗のデパートも並ぶ長いアーケード街を有する一番町がある。

 この辺りは市の中心部、ちょうど帰宅ラッシュが始まったようで往来する車の流れが鈍くなっている。

 フロントガラスに雨粒が数滴あたり、真斗は少し視線を上げて空を見る。

 ――予報通り降ってきた。

 先程よりも低くなった雲から落ちて来る雨粒はあっという間にフロントガラスを覆い、前方の車両のブレーキランプが滲んで見える。

 確かに自宅周辺にいつクマが出てもおかしくはないなと真斗は思った。

 夏休み中で昼間に一人で家にいる事が多い下の妹に念のため一言伝えておいた方がいい。

 クマが出たら刺激をせず、屋内に退避し身の安全を確保。通報は警察へ、と。