ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

 茉莉花は「王子」に肩を抱かれたまま振り返り、先程までいた大型ビジョンの周辺を見る。  

 そこに男たちの姿がないことを確認すると彼女は「王子」の腕の中から踊るようにすり抜けた。

 ワンピースの裾を翻(ひるがえ)し軽やかにターンを決め、彼の前に立ち手を叩く。

「はい、カット!今日も良いお芝居だった!」

 上機嫌に笑い自分を労(ねぎら)う茉莉花に対し、「王子」は申し訳なさそうに眉を下げる。

「ごめん。やっぱり店で待ち合わせた方が良かったね。夏休み舐めてたわ……久々だね「蝿(はえ)」がたかるの」

「王子」の口から発せられた声は、少し低めの「少女」のものだった。

 一見クールな美少年だが、ラフな服装は男性にしては着こなしが上品で所作(しょさ)や表情も柔らかい。

 背が高く、中性的ではあるが見れば見るほど完全に「女性」だ。

「効いてる効いてる。華ちゃん以上の「イケメン」はそうそういないからね」

 茉莉花は自分のことではないのに得意げにニヤリと笑う。

「何それ」

「華ちゃん」と呼ばれた彼女は困ったように肩をすくめた。

「あと五分遅かったらブチ切れて日傘振り回して暴れるとこだったよ。ほんっとダル過ぎ」
「電車遅れなくて良かったわ。暴れ出したマリちゃんとか私じゃ手ぇ付けられないもん」
「酷(ひど)っ!そこは一緒にボコらなきゃ」
「私、マリちゃんほど戦闘民族じゃないし」
「何言ってんのゴリラのくせに」
「ゴリラって言うな」

 彼女――牛越華(うしごえはな)は茉莉花の従姉妹(いとこ)で親友でもある。

 彼女は茉莉花と合流する前に用事で仙台港の近くまで出向いていた。
 思ったより早く用が済んだので駅前にいると言う茉莉花に「駅で落ち合って一緒に帰ろう」とメッセージを送った。

 駅の北側にある商業施設に入っているキャラクターショップに寄りたいとも伝えていた。

 先日完売したぬいぐるみのキーホルダーが再入荷したと知ったので、華は今日こそは手に入れたいと思っていた。

 茉莉花もそのキャラクターが好きだったので帰る前に二人で一緒に立ち寄ることにしていた。
 
 同い年で小学校の学区は違っていたが自宅から徒歩でも行ける距離に住んでいて、昔から互いの家を行き来して遊んでいた。

 現在は同じ女子校――宮城女学院高等部に通っていて、毎朝駅で待ち合わせて一緒に通学している。

 中学二年の頃まで肩上くらいの長さの髪をポニーテールにしていたのだが、三年に進級した時にショートカットにした。
 
 その「美少年」ぶりに校内は騒然となった。

 別のクラスの同級生が教室までわざわざ「見物」に訪れ、校舎内を歩けば後輩達がたちまち色めき立った。

 華の評判は高等部の生徒まで伝わり、先輩たちは「女子校の王子様って都市伝説かと思ってたけど、いるんだ……」と隣の校舎から彼女の姿を感慨深く覗き見ていた。

 今や校内どころか近隣の学校に通う女子学生にも「宮女の王子様」と認識されるようになっている。

 華の変貌に一番興奮していたのは、茉莉花だった。

 彼女は女性だけで構成されている歌劇団のファンで、先程スマホで見ていたのもその劇団のSNSアカウントだ。
 
 この劇団の花形であるのが「男役」――女性にとって有害な男の「負の性質」を持たない、男の「メロい」部分だけを詰め込んだ存在。

 男性よりも完璧に「燕尾服」を着こなし、「王子様」を演じさせたら男性がする以上の完成度。

 華がショートカットにしようかなと言った時、茉莉花はその「男役」の素質がありそうだから絶対似合うなと思っていた。

 元々整った顔立ちで、背が高くスタイルも良い。
 気(き)っ風(ぷ)の良い性格で、さらにスポーツも得意――かなり良い感じなのでは、と。

 後日。想像以上の「王子様」が目の前に現れ、茉莉花は悲鳴をあげて歓喜した。
 
 磨けば金剛石(ダイヤモンド)になるであろう原石がこんな身近にいたとは。

「素質の塊(かたまり)」「天性の逸材(いつざい)」だと思い、華に何度もその劇団の養成学校の受験を薦めたが、その都度「音痴だから無理」と軽くあしらわれてきた。

 華は実際、茉莉花の周りにたかる「蝿」を追い払い守ってくれる「王子様」だ。
 しかし彼女はそう言われる度に「そんな器(うつわ)じゃないよ」と苦笑いをする。

「王子様」のように颯爽と前へ出て守る「お芝居」はするが、普段は茉莉花が「ふらふらと何処かへ行かないようにリードを引っ張って押さえている」と言った方が適切だ。

 マニッシュで活発そうな風貌だが、何かと忙(せわ)しい茉莉花に対し彼女の方は常に落ち着いていて何をするにも冷静で余裕がある。頼もしい親友だ。

 先程まで「王子と姫」のような佇まいをしていた二人だが、今は「好みのファッションが違う女友達」と言った距離感で楽しげに並んで歩いている。
 
 目当てのキャラクターショップが入っている商業施設に向かい、駅構内の通路を進んでいると左手にコインロッカーが見えてきた。手前に交番があり、向かい側には書店がある。

 その前を通り過ぎる人々はいつもと少し違っていた。

 ロッカーを見るとその前を避けるように距離を置いて歩いたり、「汚いもの」を見たと言った感じでそこから目を逸らしたりしている。

 茉莉花と華は「何だろう」と顔を見合わせたが交番の前に差し掛かった時、その原因を目にした。

 ロッカーの下段に三十センチくらいの黒い吐瀉物(としゃぶつ)のような物体が扉を塞ぐように張り付いていた。

 ぬらぬらと蠢(うごめ)き、その表面で時折小さな火花のような物が弾けて光っている。

 これは「ヨモツメ」だ。

 黄泉国から人間の生活圏に現れる「死の穢(けが)れ」の「芽」のようなもの。

 動き回ったり人間を攻撃したりはしないが、このまま放置しているとケモノの姿――「ヨモツ」になる。

「ヨモツ」の「芽」なので「ヨモツメ」と呼ばれている。

「こんなとこに堂々と居座っちゃって……」

 ロッカーの前で立ち止まり、華はそう呟いた。

「天津の人いないんだっけ?ここ」

 茉莉花はコインロッカーの手前にある交番の方へ引き返し、ガラス窓越しに中を覗き込む。

「あっちの交番にいるって聞いたよ。誰か呼んでるかも知れないしそのうち来るんじゃない?」

 華は右手の親指で歩いてきた方向、中央改札前を指した。改札の右並びにもう一つ交番がある。

「そっか……」

 茉莉花は華の隣に戻ると、再びロッカーに張り付いているヨモツメを見る。

 誰かが処置をしてくれるとは思っても、このまま立ち去るのは何となく後ろめたい。

 華も茉莉花と同じことを思っていたようで、立ち止まったままでいた。

 塞がれたロッカーは使用中のランプが点灯している。
 それを見た華は軽く息を吐(つ)いてから顔を上げた。

「――でもさ、戻って来た時にこの状態だと荷物出せなくて困るよね」

 そう言うとコインロッカーの前に立ち、ヨモツメが張り付いているロッカーの扉を少し強めに蹴った。

 するとその表面に蜘蛛の糸のような細い雷線が走りヨモツメが剥がれ床に落ちる。

 ヨモツメは砂浜に打ち上げられたクラゲのようにぬらぬらとその身を捩(よじ)らせ床を這う。動く速さは毛虫よりも遅い。

 華は落ちたヨモツメを右足の爪先で押さえ、軽く体重をかける。

 彼女の爪先から発した青白い雷線がヨモツメの表面を掴むように走る。
 雷線に握り潰されるかのようにヨモツメは身を崩しながら小さくなり、最後は黒い煙と化して消滅した。

 祓除(ふつじょ)完了。

 周りにいた人々は彼女がヨモツメを祓除した事よりも、ロッカーを蹴った時の音の方に驚いた様子だった。
 
 ヨモツメ程度の祓除なら日常風景のひとつに過ぎない。虫を追い払うよりはレア、と言った感じだ。

 ケモノの姿になったヨモツは獣撃隊が祓除するが、ヨモツメは「一般市民」の天津人がこのように見つけ次第踏み潰すなどして祓除している。

 一銭の報酬もない「ボランティア」的な役割。

 落ちているゴミを拾う程度の労力だがやらなくても罰則などはないので、このような人通りの多い場所では素通りする天津人も多い。

 駅などの公共施設などでは見つけ次第、天津人の職員が祓除をしている。

 専門の対応部署はなく手が空いた天津の職員や、構内にある交番にいる天津の警官がその都度呼ばれ踏み潰すなどして対応していた。

 一般人の天津人がわざわざ能力を使う必要はないのだ。

「あ、お巡りさんに無駄足とらせちゃうかも」

 ヨモツメが消えた足元を見て華が呟く。

「偉い偉い。見て見ぬ振りが出来ない模範的天津人」

 茉莉花は笑って頷きながら彼女を労った。

「何それ」
 
 そんな大袈裟な、と華は少し眉を下げはにかむように笑った。

「王子様」を演じる少女・牛越華――彼女も天津人である。