ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

 他にもこんな制約がある。

 強い能力――特に「空中跳躍」を持つ天津人(あまつびと)はスポーツ選手にはなれない。

 学校などで運動部に入部する事は可能だが、公式戦には参加出来ない。

 真斗(まなと)は中学から大学まで野球部に所属していた。
 ピッチャーとしての実力はかなりのものだったが、天津人の彼は公式戦ではベンチに入る事も許されなかった。

 練習試合など非公式な試合には出してもらえた。

 彼はそこで「無双」し他校の部員から「やべぇ天津の投手がいる」と恐れられ、強豪校からは「天津じゃなかったらウチが声をかけていた」と惜しまれていた。

 彼の投球や打撃には特殊能力は一切介在していない。
 持ち前の運動神経の良さと練習を重ねてきた努力によるもので、純粋に優秀な投手だった。 

 走る際も能力は使っていないが「空中跳躍」の力を持っている故、常にその疑いをかけられるので彼は表舞台に立つことは出来なかった。

 様々な制約の中で天津人たちは生活をしている。
 強ければ強いほどその縛りも強いのだ。
 
 大型ビジョンの前に立つ茉莉花は暇つぶしにスマホでSNSを見ていた。

『天津の男マジ女を「産む奴隷」としか見てないのな。この前――』

 SNSのタイムラインに流れてきたこのポストを見た茉莉花(まりか)は顔を顰めた。

 内容は三十歳未婚の天津の友人が親戚の同年代の既婚男性に高齢出産は良くないと咎められたと言うもの。

「あるある」過ぎて笑えない。

 同族の茉莉花は「ウチにも「煩(うるさ)い」のがいるけど、ここまで酷いのもいるのか」とため息を吐く。

 ここ数年、天津人――主に天津の男は「男尊女卑」の傾向が強いとネット上で叩かれている。

 きっかけは天津人の間で伝わってきた「迷信」だった。

「女から事を進めたら上手くいかない」

 この「迷信」は伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の逸話が由来となっている。

 伊邪那岐と伊邪那美は「国造り」――即ちセックスをする際、女の伊邪那美から男の伊邪那岐に対して「何て素敵な男」と先に声をかけ事に及んだ。

 伊邪那美はめちゃくちゃ恋愛においては積極的だったと思われる。
 現代の女性でもこれは少数派だ。
 
 孕(みごも)った子は「不完全な子」だった。
 その後にセックスして生まれた子もやはり不完全で「どうしたものか」と二人は神々に相談をした。

「……女から誘ってやったのがマズいのでは?」

 ここは男の方からリードしないと――そんな意味合いで言ったかどうかはわからないが、神々はそう二人に助言した。

 仕切り直して男の伊邪那岐の方から「何て良い女」と声をかけて誘いセックスをしたら、「ちゃんとした子」――「淡路島」が生まれたと言う。

 天津人の間ではこの話からセックス以外のことも「女から先に事をはじめる」ことはよくないとしていた。

 現代の感覚では、この神話自体が「男尊女卑」だと受け取られても仕方がない。失敗は全て女のせいなのか、女が自らの意思で先導するのは悪いことなのかと。

 数年前、SNSでインフルエンサーでもある女性作家が「こんな逸話を迷信にし続けているから天津の男はいまだに男尊女卑なのだ」と自ら天津の男から受けた女性差別を糾弾した。

 それをきっかけに「知り合いが言っていた」「友達から聞いた」「ママ友から教えてもらった」など、次々と天津の古臭い女性蔑視のエピソードが報告された。

 今やネットで天津の男は九州男児と並び「いくらでも叩いてもいい女の敵」となっている。

 元々家父長制の傾向が強く考え方も保守的なので、ネットで叩かれる以前から彼らに良い印象を持たない人たちはそれなりにいた。

 マイノリティ故に血筋――家の存続が第一で家同士の縁談による結婚も多く、格式の高い家では時代錯誤な「許婚(いいなずけ)」を持つ者も未だにいると言う。

 高野原家は能力の高い血筋の家だが格式は高くない。
 親戚の口煩さも他に比べればかなり緩い方だ。

 天津の家は「西高東低」と言った感じで西の方が格式が高い家が多い。
 東北地方にある高野原家はそれなりに能力が強くても限りなくその「末席」だ。

 嫌な気分になったので別のSNSを開くと、フォローしている劇団のアカウントが新しい画像を投稿していた。

 上げられた画像は彼女が好きな女優。

 華やかな舞台衣装ではなく私服姿でメイクも品があるナチュラルなもの。
 雑誌のインタビュー記事の撮影風景だ。

 はぁ……私服姿からしか得られない「栄養」がある……高品質高栄養。お美しい……ありがたい……生きてるだけで世界を救ってらっしゃる……。

 茉莉花は心の中で手を合わせ、念仏のようにオタク特有の若干気持ち悪い言い回しで賞賛の意を唱え「いいね」とブックマークのアイコンを押す。
 
 スマホの画面を見つめる茉莉花は目を輝かせ笑顔になり、うっとりとため息を吐いたがすぐにハッと我に返った。

 いけない、思わず顔が緩んじゃった――茉莉花は片手で頬を押さえ笑顔を封じ、無表情を保とうとする。

 そうしていると前方からこちらへ歩み寄る人の気配を感じた。

「すみませーん。ちょっといいですか?」

 茉莉花はチラリと声の主を見たが、すぐにスマホに視線を戻した。

 彼女と同じくらいの背丈の、似たような身なりをした似たような「チャラついた」二人の男。

「俺たち旅行系の動画チャンネルやってて東京から来てるんですけど」
「登録者数、一応二万!知ってるかもしれないけど――」

 得意げに男はチャンネル名を告げたが、聞いたこともない。

 知らないし、微妙なフォロワー数自慢とかダッさ――茉莉花は心の中で毒付いた。

 ニヤついた表情で話しかけられた時点で「返事をする必要なし」と茉莉花は無視を決め込む。

「あ……知らない?全国回ってて地元の女の子にオススメの店教えてもらって一緒に行くって企画やってるんですよ」
「全部こっちの奢りなんで撮影お願いしてもいいですかぁ?もう一本撮っちゃってるんですけど、お姉さんめっちゃ良い感じじゃないですか……差し替えちゃおうかなぁ~なんて思って」
「あっ!今のはオフレコで!お姉さんマジ今までの中でもトップクラスに可愛いんで!是非!」

 トップじゃないのかよ……お世辞ならそこはトップって言っとけよ下手くそか――茉莉花はさらに毒付いた。

 世の中はまだ夏休み期間中だ。普段はいないような浮ついた輩(やから)が現れる。

 シンプルな生成りのシャツワンピースに低めに結ったポニーテール。アクセサリーは付けていない。
 眉を整え日焼け止めを塗っただけでメイクらしいメイクもしていない。
 極力地味な身なりで来たつもりだったが甘かった。

 飾り気のない素顔はその造形の良さがかえって際立ち、加えて笑顔を浮かべたら下手に化粧をするよりも華やいだ容貌になる。
 
 可憐に咲いた花は知らぬ間に色香を放ち男を惹きつける。
 彼女にとってそれは厄介なものだった。
 一人でいる時は迂闊に笑うことも出来ない。
 実際、うるさい「蝿」が寄って来た。

 単独で出歩いている時は背筋を伸ばして不機嫌そうな「仏頂面」でいるようにしていたが、贔屓の女優の画像を見て思わず顔が綻んでしまった。

 やっぱ暑いの我慢してマスク付けとけば良かった――茉莉花は「仏頂面」を保ったまま、心の中で舌打ちをした。

 ダルいけどこのままやり過ごせば大丈夫。
 もうすぐ「王子様」が迎えに来るから。

 男たちはしつこく話続けているが、茉莉花は無表情のまま微動だにせず手に持ったスマホの画面だけを見ていた。

 物言わぬ大理石の女神像と、石像とは気付かず口説いている愚民たち。

 そんな風にも見える何とも滑稽(こっけい)なこの状況を、周囲にいる人たちは遠巻きに見て苦笑いをしている。

 スマホの左上に表示されている時刻が約束の時間になっていたことに気付き、茉莉花は視線を上げて大時計の下にある中央改札の周辺を見る。

 改札からコンコースへ流れ出て来る人波の中に「王子」の姿を見つけた。

 時間通り、さすがだね――茉莉花はスマホで隠した口元に笑みを浮かべる。

 ラフにセットした黒髪のマッシュショート。左耳にシルバーのイヤーカフを付けている。

 アーモンド型で少し三白眼気味の凛々しい目と血色が良い艶やかな唇。面長だが年頃の男が持つ「暑苦しさ」がない、涼しげで透明感がある中性的な顔立ち。
 
 オーバーサイズの黒いTシャツにシルバーのネックレス。
 ホワイトデニムのワイドパンツを履き、足元は黒のスポーツサンダル。
 右肩に帆布製の黒いトートバッグを下げている。

 カジュアルなスタイルだが背筋を伸ばし颯爽と歩くその姿は、正に「王子様」――。
 
 ステンドグラスの前に差し掛かったとき、彼は隣りにある大型ビジョンの手前に茉莉花の姿を見つけた。

 彼に気付き目配せをする彼女の前いるのは二匹の見苦しい蝿(はえ)。

 その様子を見た「王子」は秀麗な眉をひそめ、足早に彼女の元へ歩み寄る。

「王子」は茉莉花と男たちの間に割って入り、無礼な下賎の者を見るような眼差しを彼らに向けた。
 
 彼の身長は茉莉花よりも、男たちよりも高い。一七〇センチはある。

 その毅然とした面持ちに男たちが少し怯んで後ずさるのを見ると、彼は左腕を茉莉花の肩に掛け彼女を抱き寄せた。

 茉莉花はスマホに視線を落としたまま「当たり前」のように軽く彼の体に寄りかかる。

 無言で「二人の関係」を彼らに見せつけると「王子」は茉莉花にだけ聞こえるように小声で囁く。

 行こう――彼の唇はそう言ったように見えた。

 茉莉花は彼に促され足を踏み出す。
 流れるような鮮やかさで「王子」は彼女を男たちから引き離し、守るように身を寄せてその場から連れ出した。

「彼氏待ちかよ……」
「先に言えっつーの」

 負け惜しみからの捨て台詞を吐く男たちをよそに、茉莉花は「王子」にエスコートされ大型ビジョンの前から離れる。
 
 ステンドグラスの前で遠巻きにその様子を見ていた中学生くらいの少女たちが、「凄っ……」と口元を押さえ、目の前を通り過ぎる「王子と姫」の姿を目で追う。

 茉莉花は「王子」に肩を抱かれたまま歩き、中央改札前のコンコースを横切る。
 行き交う人の流れに紛(まぎ)れ、二人は真っ直ぐ行った先にある北側の出口へ向かった。