ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

【序・Maiden and Valiant Man―処女と益荒男―】

 葦原中国(あしはらのなかつくに)――日本は二柱(ふたはしら)の夫婦神が愛し合い、睦み合うことで生まれた。

 この国の危機を救うものも、夫婦神の交わりにより生まれるものである。

 高い天井から吊られた大きなシャンデリアの下に一人の少女が立っていた。

 天井には数灯、同じ型のシャンデリアがあるが彼女を照らしている一灯以外は明かりを落としている。

 彼女は「剣(つるぎ)の益荒男(ますらお)」と契りを交わす「鞘(さや)の処女(おとめ)」

 逞しい男神「剣比古(つるぎひこ)」になる男と番い「黄泉」からの侵食を封じる「剣(つるぎ)」を産む女神――「花鞘比売(はなさやひめ)」となる少女。

 まだ恋も知らない十七歳の生娘(きむすめ)だ。

 光を受けて輝く雪のような白い肌。

 琥珀色の瞳を縁取る羽のような長い睫毛(まつげ)。

 朝露に濡れた薄紅の花弁を思わせる唇を持つ、花のように可憐な顔立ち。

 優雅に裾が波打つ水色のパーティードレスを身に纏い、栗色の柔らかい髪をリボンで纏め上げている。

 その姿は映画の中の「お姫様」のよう。

 彼女は剣の鞘を胸に抱えている。

 長さは七十センチほど。一般的な日本刀の物とは違い反りがなく、真っ直ぐなものだった。

 濃いセピア色の鞘木地には薄い金色で花や草の紋様が描かれている。

 薄紅色や水色の小さな真珠くらいの大きさの水晶玉を散りばめた金の透かし彫りの金具が鞘口と鞘尻、その間の三箇所に施されていた。

 まるでこの少女を模してあつらえたような可憐な鞘だ。

 広間の奥――薄闇の帳(とばり)の向こうからダークネイビーのフォーマルスーツを纏い、琥珀色のシルクのネクタイを締めた黒髪の男が現れた。

 清潔感のある前髪を上げた短髪。

 少し下がった甘い目元を引き締める三白眼気味の黒翡翠(くろひすい)の瞳。

 高く通った鼻筋と力強い顎(あご)の輪郭を持つ精悍(せいかん)な顔立ち。

 見るものを圧倒する雄々しさの中に静かな気品を漂わせる美丈夫だ。

「兄さん遅いよ。何処行ってたの?「王子様」たちは?」

 自分の隣に歩み寄る男に少女は不満げに口を尖らせる。

 男――彼女の兄は腕にはめた時計に視線を落としながら素っ気ない口調で返す。

「そのうち来るだろ。誰を選ぶのか、もう決めてるのか?」
「正直まだ決めかねてる。もう一度お会いして、お話ししなきゃわかんない。でもさ――」

 少女は仏頂面の兄を見上げニヤリと笑うと、戯けながらドレスの裾を翻し、その場でくるりとターンを決めた。

「どの「王子様」を選んでも「玉の輿」は確定!血税使ってセッティングしてくれたお国に感謝しなきゃ」

 可憐な唇を吊り上げしたり顔をする妹を見た兄は、眉間に皺を寄せ呆れた様子でため息を吐く。

「お前な……普通の「結婚相手」を選ぶ訳じゃないんだぞ。一番重要なのは「剣比古(つるぎひこ)」になるに相応しい男かどうかだ」
「そんなのわかってるよ」

 釘を刺す兄に対し、少女は頬を膨らませツンと顔を逸らす。

「私は半分、兄さんと同じ「天津五家(あまつごけ)」の高野原(たかのはら)家――「境之御主(さかいのみぬし)」の血が入ってるんだから。五家から生まれた「鞘の処女」って私が初めてでしょ?」

 彼女は琥珀色の瞳を閃かせ、自身の写しとも言える「花の鞘」を顔の前に掲げる。

「だから強い「鞘」に相応しい、強い「剣」を選ばなきゃ」

 温かみのある白金色の光の中に佇む兄妹の姿はまるで、峻烈(しゅんれつ)なる若き王とその庇護のもとで咲く可憐な妹姫のようだ。

 二十代後半と思われる兄は、若くして玉座を統べる「孤高の王」の威厳をすでに完成させているように見える。

 その傍らに立つ十代後半と思われる妹は、彼が纏う圧倒的な威光に気後れすることなく凛とした美しさで華を添えていた。

 彼女の少々生意気な態度は、この厳格な兄に対し強い信頼を寄せている証とも受け取れる。

 その時、篝火(かがりび)が灯るように四本の剣(つるぎ)が広間の薄闇に浮かび上がった。

 二人の視線の先にある、等間隔に並んだ長さ一メートルほどの両刃の直刀にはそれぞれ藤色、瑠璃色、翡翠色、緋色の柄糸が巻かれている。

 これは妹姫の夫――「剣の益荒男」の候補者である「四人の王子様」だ。

「――お前はどの「剣」を選ぶ」

 兄は低く静かな声で妹に問いかける。

「鏡之御主(かがみのみぬし)は」
「お互い包み隠さず本音で向き合えそう」

 藤色の剣を見つめ、彼女は内にある気概を認めるかのように口元を緩める。
 
「言之御主(ことのみぬし)は」
「お話していて楽しい人。趣味が合うの」

 瑠璃色の剣を見つめ、彼女は楽しそうに目を輝かせて微笑む。

「剣之御主(つるぎのみぬし)は」
「異性として、一番魅力的かな」

 彼女は睫毛を伏せ唇を軽く噛み、翡翠色の剣に秋波を送る。

「天之御主(あめのみぬし)は」
「まだ知らない、素敵な世界へ連れて行ってくれそう」

 彼女は夢見心地でため息を吐き、緋色の剣に思いを馳せる。

「――境之御主(さかいのみぬし)は」

 彼女は訝(いぶか)しげに柳眉(りゅうび)を顰(しか)めた。

 視線の先には何もない。それなのに兄はここにはないはずの「五本目の剣」の名を口にした。

「境之御主って……何言ってんの?最終候補者は高野原家(うち)以外の「天津五家」の四人の子息。身内だから境之御主は不在――」

 少女は顔を上げ兄に視線を向けると、彼は冷えきった面持ちで「四本の剣」を見つめていた。

 右手にはここにはないはずの琥珀色の柄糸が巻かれた「五本目の剣」を握っている。

 何故――その不穏さに少女の胸が騒いだ。

 彼は静かに歩みを進め彼女の前に立ち、片手で剣を振り水平の弧を描く。

 すると藤色の剣が、瑠璃色の剣が、翡翠色の剣が、緋色の剣が――横一文字に走った金色の閃光に裂かれ、次々と砕け散った。

 それは「命を奪う」所業と同じように目に映り、少女は凍りつく――兄は「四人の王子様」を殺した。

 四つの剣を殺めた兄は踵(きびす)を返し妹と差し向かい、力なく緩んだ彼女の腕から鞘を抜き取る。

 彼は握っていた琥珀色の剣を可憐な花の鞘の口へ真っ直ぐに突き立て、柄頭(つかがしら)を押し込む。

 剣と鞘が一つに納まる固い音が響くと、少女の視界に稲妻(いなずま)のようなノイズが走り、目の前から「兄」が消失した。

 瞬きの後、そこに立っていたのは「兄」に似た「兄ではない男」

 兄と同じダークネイビーのスーツ姿。顔立ちも似ているが、艶やかな黒い髪は腰の上まで伸び、緩やかに波打っている。

 耳の前で結った長角(みずら)の髷(まげ)を目にした少女の胸に、ある「男神」の姿がよぎる。

 高天原(たかまがはら)を乱し、追放された地上で怪異を撃ち、今は地の深く黄泉(よみ)の縁に佇む境(さかい)の武神――彼女たちの祖先に「力」を与えた神。

「……誰?」

 少女は不安げに琥珀色の瞳を震わせ男を見据える。

 男は鞘に収めた剣をベルト下げた足金物に通し、ゆっくりと顔を上げる。 
 
 彼は険しい眉目を緩め少女に静かな笑みを向けた。

「――「鞘の処女」よ……ようやくお前と再び行(ゆ)き遇(あ)うことができたな」

 男の大きな手で両肩を掴まれ彼女は慄き息を止めた。

 ゆっくりと何度も肩を撫でられたが、その舐めるような手つきが悍ましく彼女の体はますます固く強張っていく。

 生温い息遣いを間近に受け避けるように少女は顔を逸らしたが、大きな手で頭を掴まれそのまま唇を塞がれた。

 男は執拗に少女の小さな唇に食らいつき、下唇に歯を立て舌を挿し入れる。

 体に、思考に楔(くさび)となった「男の情念」が打ち込まれていくような悍ましい感覚に彼女は苦しげに唸り、固く目を閉じた。

 髪を弄られているうちに、リボンが解け栗色の長い髪が流れるように背中に落ちる。

 抵抗しようにも思うように体に力が入らない。

 精一杯振り上げた右手で左の頬を叩いたが、彼にとっては木の葉が掠めた程度の感触なのか眉一つ動かさない。

 男は少女の顎を掴み睨み据える。
 
「また逃げ出すつもりか」

 その眼差しは、怒りよりも悲しみの色が強かった。

 再び男の腕が縛るように体に絡み付き、彼女はより深く彼の腕の中に閉じ込められる。
 
「――お前は俺のものだ、もう何処にも行かせない」

 耳元で低く囁く声は熱い息を伴って執拗に彼女を責める。

 男は掻き抱いた華奢な肢体に体を擦り付けながら、耳朶を噛み、首筋に舌を這わせた。
 
 体を貪られながら、少女は耐えていた――男の腕から逃れるタイミングを見計らっていた。

 開かれた唇から出るのは絆されて漏れる甘い息ではなく怖気付いた心を奮い立たせるために吐く荒い息。湧き上がる怒りで目の奥が熱くなる。

「お前は誰だ!」

 少女はありったけの声を振り絞り叫んだ。

「今すぐ消えろ!兄さんを返せ!!」

 すると男の体が激しく脈打つように痙攣し、彼女を縛る腕の力が抜けた。

 少女はこの隙を逃すまいと、さらに激しく身を捩り男の腕からすり抜ける。

 顔にかかった髪の間から見えたのは、呆然と立ち尽くす「兄」の姿――整えた前髪は乱れ、その顔には激しい動揺が滲んでいた。苦しげに深い息を吐き出している。

「……兄さん、だよね?」

 少女は身構え、肩を震わせながら彼の目を覗き込む。

「……茉莉花(まりか)、お前は何も知る必要はない。何も知らないまま、自分で選んだ「剣の益荒男」の元へ行け」

 兄は掠れた声でそう呟き、右手で目を覆い項垂れた。

「知らないままでいろって……無理矢理キスしといてそれはないでしょ?」

 少女は止まらない震えを押さえながら兄に問いかける。

「何なのあれ……兄さんに取り憑いていた奴は誰?」

 自分に唇を奪われ犯されかけたにも関わらず、気丈に振る舞う妹の姿を心苦しく思ったのか、兄は目を伏せたまま踵を返し彼女に背を向けた。

「この「呪い」にお前を巻き込むわけにはいかない。俺がまた「血の化け物」になる前に――」
 
 一歩ずつ静かに彼女から離れながら、彼は腰に下げたセピア色の可憐な鞘から琥珀色の剣を引き抜く。

「境を断ち、ここからお前を切り離す――」

 振り返った兄は低く、それでいて恐ろしいほどに澄んだ声でそう告げ、剣先を妹に向けた。
 
 黒翡翠の鋭い目に揺るぎない決意と苦い思いを滲ませ、兄は構えた剣をゆっくりと振り翳す。

「待って!「呪い」って何?」

 彼女が兄の元へ駆け出そうとした瞬間、彼が振り下ろした剣は「境界」を断った。

 少女の視界の左斜め上から金色の亀裂走り、広間が、シャンデリアが、兄が、全てのものが一瞬で消え彼女は漆黒に塗りつぶされた闇の中にいた。

 まるでスイッチを切った真っ暗なディスプレイの中にいるようだった。

 ここは何処?兄さんは?――そう思った瞬間、また金色の光が視界を横切り彼女の意識は途切れた。

   ◆

 少女は自室のベッドに横たわっていた。

 左側にある窓のカーテンの隙間から薄明るい光が差し込み、夏の熱気がじわじわと地表から湧き上がって来るのを感じる。

 微睡から抜け出た彼女は、汗ばんだ額に張り付いた前髪を掻き上げる。

 サイドテーブルに置いていたスマートフォンを手に取り時刻を確認する。午前四時三十分。

 今日は午前中に墓参りに行くのでアラームは七時にセットしていた。予定より二時間以上早く目覚めてしまった。

 鮮明な夢を見た時のような疲労感が体に残っているが、どんな夢を見たのかは全く覚えていない。
 
 ぼんやりと覚えているのは「仏頂面の兄」が自分に向かって、強い口調で何か言っていたこと。

「……もしかして夢の中でも説教されてたのか、私」

 こっそり化粧をして出かけた。一人で街中のカフェに行ってナンパされた。門限を破った。夜に一人でコンビニに行った――夢の中とは言え自分は一体何をしたのか、心当たりは山ほどある。

 もう、勘弁してよ――彼女は欠伸をしながら寝返りを打ち、枕に深く頭を沈め再び目を閉じた。まだ薄っすらと眠い。


【one summer day―不可思議な若者たち―】

 墓石には「高野原家奥津城」と記されている。
「奥津城」は「おくつき」と読む。「~之墓」と似たような意味合いを持つ。

 神式の墓だ。形状も仏式と違っていて先端が少し尖った四角錐になっている。

 この墓地には仏式の墓の他にこのような神式――神道の墓やキリスト教の墓もいくつかある。

 お盆休みも今日で最終日。それでも墓地には墓参りをしている親族たちの姿が普段より多くあった。

 この「高野原家」の墓の前に四人の親族らしき若者がいた。

 一番目を引くのは墓石の前に並んで立っている少年と少女。

 琥珀色の瞳、夏の陽射しの中で輝く白い肌。形の良い薄紅色の唇。年齢は高校生くらいだろうか。

 二人とも栗色の柔らかい癖のある髪で軽く波打っている。
 少年はセンター分けでサイドを刈り上げたツーブロック、少女は白いレースのシュシュで低めに結った肩下くらいの長さのポニーテール。

 背丈もほぼ同じ一六〇センチほどで少年は着崩した淡いブルーのシャツ、少女は同じ色味のウエストをリボンで締めた膝下丈のワンピースを着ている。

 少年は左耳に小さなシルバーのリングピアスを付けているが、少女の方はまだピアスを開けていない。

 美しい番の人形のような男女の双子だ。

 手にはそれぞれ榊の束と供え物が入った紙袋を持っている。

「日傘持ってくれば良かった……」

 少女が手の甲で汗ばんだ額を抑えため息を吐く。
 この日の予想最高気温は三十四度。墓地には陽射しを遮るものがないので体感温度は既にそれを超えているだろう。

「少しくらいがまんしろ。すぐ終わるし」

 少年はそう言うと彼女が持っていた紙袋に手を入れ中から飲料水のペットボトルを引き抜く。

 彼は持っていた榊を脇に挟みペットボトルの蓋を開ける。未開封の容器に空気が入り手の中で少し膨らんだ。

 そのまま水を飲もうとしたら横にいた少女にペットボトルを持っている右腕を掴まれた。

「ちょっと……お供えの用のお水なのに何であんたが先に飲むの」
「喉が渇いた可愛い息子がひとくち飲むくらい許してくれるって」
「すぐ終わるからがまんしな。飲むならその後」

 彼女は少年からペットボトルと蓋を奪い呆れた表情で「まったく、油断も隙もありゃしない」と呟いた。

 蓋を閉めながら彼女は墓石の方を見る。

 黒いキャップを被り同じ色のポロシャツを着た大柄な男が柄杓(ひしゃく)で墓石に水をかけている。一通り汚れを拭き清め最後の仕上げ、と言ったところか。

 身長は一九〇センチ近くあるだろうか、墓石をゆうに見下ろす程高い。厚みのあるどっしりとしたプロ野球選手のような体付き。

 キャップを深く被っていて目元が鍔の影に隠れて見えないが真一文字にしまった口元と高く通った鼻筋、力強い顎(あご)の輪郭から精悍(せいかん)な顔立ちだとうかがえる。年齢は二十代後半か三十代前半あたりだろうか。

「供え物、置いていいぞ」

 彼は低い静かな声で並んで立つ双子たちに言った。
 少女は頷くと墓石の右側にいる人影に視線を移す。

「それ洗った?貸して」

 彼女は少し身を屈め墓石の横にしゃがんでいるもう一人の少年に声をかけた。

 彼は手桶の中で洗った布巾を絞っていた。少女の声を聞いた少年は顔を上げ彼女にそれを渡す。

 センター分けの黒髪で前髪と襟足が長い。しゃがんでる姿でも双子たちより背が高いのがわかる。年齢は彼女たちと同じくらいに見えた。

 褐色の肌に映える白いTシャツを着ている。帽子の男より細身だがしっかりした体つきで袖から伸びた腕はしなやかな筋肉に包まれていた。

 凛々しい顔立ちだがその目は黒目がちで賢い馬や犬を思わせる優しい目をしている。

 少女は受け取った布巾で水で濡れた花立やその周りを拭いた。

 駐車場がある方向から双子たちのもとに一人の女が歩いてきた。

 サングラスをかけて艶のある長い黒髪を派手に巻いている。リップはグラマラスなダークレッド。

 動くたびに裾から肌が覗く丈の短い黒のオフショルダーのトップスにダメージジーンズ、足元はスニーカー。日焼け対策なのか薄手の白いパーカーを羽織っていた。

 小さな顔で胸と腰の位置が高く遠目から見てもそのスタイルの良さがわかる。年齢は二十代半ばくらい。

「やっぱり座席の下に落ちてたわ」

 そう言って彼女は手に持っていた小さな日本酒の酒瓶を少女に見せる。

「足元に袋落とした時に出ちゃってたんだ。ごめんね取りに行ってもらって」

 少女は申し訳なさそうに女に言う。

「いいよ、墓周りの掃除仕上げてもらったし」

 女は特に気にしてはいないようだった。持っていた紙袋から水入れをもう一つ取り出し少女に渡し、続いて蝋燭が入った箱を取り出し彼女は言った。

「もうつけちゃっていい?」
「うん、お願い」

 少女は受け取った水入れにペットボトルの水を注ぎ入れた。
 墓石の前にある花立に双子の少年が持っていた榊をさす。

 その花立の間、仏式であればそこにあるのは線香を置く香炉(こうろ)だが神道では線香を供えない。代わりに供え物を置く八尺台(はっしゃくだい)と呼ばれる石製の四角い台が設置されている。八尺台の下に蝋燭(ろうそく)立てが二つある。
 神式では線香の代わりに蝋燭を供える。

 サングラスの女は箱を開封し蝋燭を二本引き抜く。
 一本の先端に息を吹きかけると「火が灯った」。

「おい」

 その様子を見た帽子の男が低い声で咎める。

「誰も見てないからいいって」

 彼女はもう一本の蝋燭にも同じように息を吹き火を灯し蝋燭立てにさす。

 それを双子たちと褐色の少年も見ていたが特に気にも留めていない様子だった。

 少女は水を注いだ水入れを八尺台に置くと自分が持っていた紙袋から供え物を出して水と一緒に並べて行く。

 米と塩、サングラスの女が水入れに注いだ酒。
 そして花立の榊。
 それらは故人に供えるものではなく「神」に供えるもののように見える。

 空いたスペースに少女は贔屓の和菓子屋から買って来た饅頭とカットされた林檎が入ったタッパーを紙袋から取り出して置いた。

 それらが並んでようやく「墓前」らしくなった。
 彼女は立ち上がり後ろに下がって同じ顔をした少年の左隣に立つ。

 少年の右隣には白いTシャツを着た褐色の少年がいた。三人が並ぶと彼の身長は双子たちより二十センチ程高い事がわかる。

 サングラスをかけた女は彼らの後ろに控え、大柄な男が彼女の左隣に立つ。
 男が被っていたキャップを脱ぎ、女はサングラスを外し胸元にそれを挿す。

 隠れていた彼らの目元が露わになる。

 男は眉と目の間隔が狭く掘りが深い。三白眼だが目尻が下がっておりそれが「甘い」印象を与える。陽射しが眩しいのか眉間に皺を寄せて厳つい顔をしているが「色男」である。

 黒髪の短髪。前髪を軽く撫でつけている。帽子の下で汗ばんだせいか一房額に張り付いていた。

 サングラスを外した女の目元は隣の男のものとよく似ていた。長い睫毛でより色っぽく見える。華やかな顔立ちに似合った化粧。巻いた髪を掻き上げる仕草が様になる「いい女」だ。

 少女が墓石と向き合い立ったままそわそわと目を動かしていると斜め後ろに立つ大柄な男が身を屈める気配を感じたので同じように頭を下げる。

 隣に並ぶ二人の少年たちも彼女に続いて墓に一礼をした。
 五人はもう一礼し顔を上げると二回拍手をして目を閉じる。
 少し間をおいてからそれぞれのタイミングでまた一礼し顔を上げ目を開いた。

 ひとつ向こうの区画でその拍手の音を聞いた親子が不思議そうにその様子を見ている。
 この墓地には神式の墓が他にも数ヶ所あるが神式の墓参りの様子は初めて見たのであろう。

 二礼二拍手一礼―まるで神社の「参拝」だ。
 神道では死者は極楽浄土や天国のような所へ行くのではなくこの世にとどまり家の「守り神」になる。八百万の神のひとつ、その家の守り神となり残った家族を見守り続ける。

 神棚に置くような供え物や墓に向かい「参拝」する形式を取っているのはそれを踏まえてのものだ。

 一通り事を済ませた彼らは墓前でしばらく話をしてから供え物を片付ける。

 双子の少年が半分に減ったペットボトルに入った水を飲むと「いるか?」と褐色の少年に目配せをする。頷いて受け取ると彼は残った量を確認してからひと口飲んで隣に立つ少女にペットボトルを差し出す。

 彼女は別に飲みたいとは思ってはいなかった。だが彼はわざわざ気を遣って彼女が飲む分を残してくれたのだろう。何となく断るのは申し訳ない気がしたので少女は「ありがと」と言い受け取って最後のひと口を飲み干した。

 三人がふと顔を上げると巻き髪の女が酒瓶を摘んでそれを眺めている姿が目に入った。

 彼らは「飲むのか」と彼女をじっと見ている。

「さすがに炎天下でぬるい日本酒は無理」

 それに気付いた女はこう言って紙袋に酒瓶を入れた。
 双子の少年の前に手桶を持った大柄な男が歩いて来た。彼は少年に手桶を差し出して言った。

「これ、戻して来い」
「ええー?俺が?」

 少年は不服そうに声を上げた。
 男から無言の圧を感じ彼は渋々手桶を受け取る。

「坂の下だろ?めんどくせぇな……」

 彼は手桶棚がある方向を向く。舗装された坂道を下って行くよりも視線の先、並んだ墓石の向こう側にある柵を越えて崖下へ「飛び降りて行く」方が近い。

「――ああ、俺が行けば早いってことか」

 彼はその可憐な顔を歪ませ男を見上げニヤリと笑う。

「まぁ「飛べ」ばすぐだし」
「やめろ」

 大柄な男が語気を強めて言った。
 人目があってもこいつなら何の躊躇いもなくやる。

 二人のやり取りを見ていた少女も男と同じ事を思った。面倒な事になるくらいなら、と彼女は二人の間に入って言った。

「私が行くから……」

 少女が少年から手桶を奪い返却場所に向かおうとした時、背後から彼女を呼び止める声がした。

「俺が行く」

 少女が振り向くと褐色の少年がいた。彼女の前に回り込み持っていた手桶に手を伸ばす。

「私が行く。これ持って先に車行ってて」

 少女はそう言ってもう片方の手に持っていた回収した供え物が入った紙袋を彼に差し出した。

 少年が黙ってそれを受け取った。彼女はその横を早足ですり抜けて歩いて行く。

 不機嫌そうな表情をしているがポニーテールとワンピースの裾が陽射しの中で踊るように軽やかに揺れていた。

 持っているものは「墓地に置かれている手桶」だがそれを持って歩く姿は外国の映画に出てくる「身分を隠し村娘として暮らしているお姫様」のように見える。

 他の四人は乗って来た黒のミニバンを停めている駐車場に向い、それぞれのタイミングで車内に入り彼女が戻ってくるのを待っていた。

「一本吸ってくるわ」

 助手席に座っていた巻き髪の女が隣の運転席に座る大柄な男にそう言うと外へ出て車の後ろにまわった。

 鞄から携帯灰皿と煙草を取り出す。一本抜き取り口に咥え「ライターで火を付ける」。

「自分が咥えたタバコにはつけられねーんだよな。構造的に」

 先に車内に入っていた美貌の少年がバックミラーでその様子を見ながら言った。さっそく供え物だった饅頭を食べている。

「ちょっと、そっちじゃなくて林檎の方先に食べてよ。悪くなっちゃう」

 遅れて戻って来た同じ顔をした可憐な少女がそう言いながらドアを開け隣に座る。

「林檎嫌い」

 彼は目を合わせずそう言ってポケットからスマホを取り出し弄り始めた。
 少女は彼を軽く睨んでから振り返り、身を捩らせて後ろのシートを覗き込んで言った。

「林檎のタッパー取って」
 一番狭い三列目のシートに褐色の肌の少年がいた。窮屈そうに脚を広げシートにもたれ腕を組み目をつぶっている。

「……って寝てる、早っ」
「起きてる」

 そう言って彼は顔を上げ、目を開いた。開いたものの眠たげだ。

「タッパー取って。紙袋ん中に入ってる」
「紙袋」

 さっきのあれか、と彼はもぞもぞとシートに置かれた荷物の中からその紙袋を引き寄せる。中からタッパーを取り出し彼女に渡した。

「ありがと」

 彼女は受け取るとすぐに蓋を開けて彼に差し出す。

「食べて」

 口調からこれは「命令」だと少年は察した。正直今は食べたい気分じゃないが断ると面倒な事になるので前に突き付けられたタッパーからカットされた林檎を一つ摘む。彼は林檎を口に含み咀嚼しながらシートにもたれまた目をつぶった。

 完全にこのまま寝るな。

 その様子を見て少女は思った。差し出したタッパーを引っ込め身体を前に向き直す。

 腰を落とさずそのまま斜め前の運転席のシートに手を掛けそこに座っている大柄な男の横に身を乗り出す。

「兄さんも、はい」

 そう言って前を向く彼の胸元に持っていたタッパーを寄せる。
 男は無言で入っている林檎を一切れ摘み口に運ぶ。

「もう一個、もう一個いっちゃって」

 家に着く頃には空にしたいので彼女は急かすようにそう言った。まだ咀嚼している最中だったが男は黙ってもう一つ林檎を摘んだ。

「待たせたな、行くぞ」

 助手席のドアが開きタバコを吸い終えた派手な巻き髪の女が乗り込んできた。

「お姉ちゃんも」

 少女は女にも林檎をすすめる。
 ドアを閉めシートベルトを引きながら女は彼女の方を振り向き「あーん」と大きく口を開いた。

 やだもぉー、と少女は笑って女の口へ林檎を摘んで差し出す。女は歯を立てて林檎を咥えるとタッパーからもう一切れ摘み身体を前に向けシートにもたれた。

 運転席の男は背後で忙しく動いていた少女がようやくシートに座ったのを確認すると摘んでいた林檎を口に含みシフトレバーをDに入れ踏んでいたブレーキペダルからゆっくりと足を離した。

 動き出したミニバンは砂利を敷き詰めた駐車場をゆっくりと走り出す。少女はもたれたシート越しにその振動を受けながら手に持ったタッパーから林檎を摘んで口に運ぶ。

 駐車場から舗装された道に入る。スピードが上がり墓地がある高台から下り勾配をあっと言う間に降りていく。
 下界に戻るって感じだなと少女は車窓に目を向けながらそう思った。

 敷地を抜けてからは森の中に真っ直ぐ伸びる信号も街灯もない狭い一般道を走る。

 しばらくすると森を抜け住宅地に入った。ベランダに干された洗濯物、宅配業社のトラック、個人商店やバス停に並ぶ人々が見え一気に生活感が溢れる。

 二~三分ほどの走行時間だったがあの薄暗い森が「死」と「生」の分けているようだと彼女は感じた。



 墓参りをしていた「少し不可思議」な五人の若者たちは高野原家のきょうだいである。

 運転をしている大柄な「色男」は二十六歳の長男「真斗(まなと)」。
 助手席の巻き髪の「いい女」は二十四歳の長女「彗斗(けいと)」。

 ここからがややこしい。

 二列目シートに座る美貌の双子。
 少女は姉で十七歳の次女「茉莉花(まりか)」。
 少年は弟で同じく十七歳の次男「咲也(さくや)」。
 この二人は長男長女と母親が違う。

 さらにややこしいのが三列目シートで寝ている褐色の肌の少年、双子と同じ十七歳の三男「九郎(くろう)」。
 彼はこの中の誰とも血の繋がりがない養子である。

 この家には現在「親」はいない。真斗と彗斗の父母、茉莉花と咲也の母は既に他界している。養子としてこの家に引き取られた九郎は生まれた時から親がいない。

 先程訪れていた墓には真斗と彗斗の両親が眠っている。その父親は茉莉花と咲也の父親でもあり九郎の育ての親でもある。

 色々と複雑な事情が重なり彼らはこの家に集まり、現在はきょうだいだけで宮城県仙台市郊外の「森の中」で暮らしている。