「椎名、次の委員会いつだっけ?」
「えーっと、来週の水曜だったと思う」
中野くんとは、二年になってから同じクラスになった。
そして、今年もまた同じ委員会。
和真の親友ということもあって、中野くんと喋る機会は多くなった。
「やっぱそうだよな。ありがと」
「うん」
そんな、なんでもない会話だった。
「今日、中野と何話してたの?」
「え?」
「昼休み。喋ってたじゃん」
和真と一緒に歩く帰り道。
ふいにそんなことを聞かれた。
「ああ、委員会のことだよ!」
「ふーん」
和真の様子がおかしい。
少し拗ねているみたいな感じ。
「……もしかして、嫉妬してる?」
そんなはずないかと思いながらも、恐る恐る聞いてみた。
「悪い?」
「え、いや……」
返ってきたのは、肯定の言葉。
……悪いわけない。
それどころか、少し嬉しいと思う自分がいる。
和真が私のことを、そんなふうに気にしてくれていることが。
「何笑ってんの?」
「えー? 焼きもちやきだなーと思って。知らなかった!」
「そりゃ妬くでしょ。彼女がほかの男と話してたら」
「……そっか」
和真が嫉妬してくれる。
それは、私のことが大好きだって証明みたいで、なんだかむず痒くなった。
◇
『そういえば、今日また中野と喋ってなかった?』
お風呂からあがってLINEを開くと、和真からそんなメッセージが届いてた。
さっきまで最近見ているアニメとか、どうでもいいことを話してたのに。
『喋ったっけ? あんまり覚えてないけど、果歩ちゃんといたときのことかな?』
『いや、それは知らないけど』
『えー、じゃあ和真の気のせいだと思うよ』
付き合ってから知ったのは、和真が意外と焼きもちやきなこと。
『いや、喋ってたし』
『いつ?笑』
『昼休み』
『全然覚えてない!笑』
『俺以外の男と喋りすぎじゃない?』
そう言われて、振り返る。
自分では普通だと思ってたけど、もしかしたらそうなのかも、って。
『そんなつもりはなかったけど。気を付けるねー!』
和真は、私が男の子と喋るのが気になるみたい。
それから和真は、私が男の子と話していると、たびたび「何話してたの?」と聞くようになった。
◇
「椎名、バンドやる気ない?」
「へ?」
中野くんにそう言われたのは、本当に突然のことだった。
「10月の文化祭でバンドやりたくて! でも、メンバーが足らんのよ。山本から聞いたことあるけど、ピアノできるんでしょ? バンド、やらん?」
「え、やりたい!」
即答だった。
だって、いま見てるアニメがちょうどバンドもので、私もやってみたいなーくらいに思っていたから。
「え、キーボードでいいんだよね?」
「……いや、それがさ。実はベースがいなくて」
「……ベース?」
「そ、ギターに似てるやつ。俺がギターなんだけど、ベースできる?」
「いや、やったことない」
「ですよねー」
中野くんが、頭を抱え始めた。
「……でも、楽譜は読めるよ」
「え、じゃあいけんじゃね? コード表とかじゃなくて、タブ譜ならいけんじゃね?」
「え、タブ? なに? てか、そんな簡単に言う!?」
ベースなんて触ったこともない。
だけど、文化祭でバンド。
考えただけで、ちょっとわくわくした。
「……やってみようかな?」
「マジ? 助かる! 明日譜面印刷してくるわ! もうやりたい曲決まってて!」
笑う中野くんを見て、私も嬉しくなってくる。
……ベース。
買うお金足りるかな、なんて考えながら。
◇
その日の帰り道。
和真の家へと向かいながら、今日のことを話し始める。
「あのね。実は、文化祭でバンドやることになったの!」
「バンド?」
「うん! 中野くんに誘われて――」
そこまで話したところで、和真が大きなため息をつく。
「……また、『中野』?」
わかる。
和真の機嫌が少し悪いこと。
でも、なんでかはわからない。
「中野くんだけじゃないよ? 演劇部の女の子と、ドラムはー」
「……いや、そういうことじゃなくて」
「? じゃあなに?」
立ち止まって、和真の方を見る。
和真は私から目を逸らしたまま、こっちを見ない。
「中野と文化祭までずっと練習するんでしょ?」
「え、まあ……中野くんだけじゃないけど」
「俺、それ嫌なんだけど」
そこで、和真がやっと私を見た。
「練習とかで放課後ずっと一緒になるんでしょ? それこそ夏休みも会うんじゃないの。それがやだ」
「……」
和真の気持ちは、わかる。
だけど。
「……でも、私バンドやってみたい」
やってみたい。
アニメで見て、楽しそうで。
なにより、こういう青春っぽいことをやりたいって思ってたから。
「……俺が嫌でも?」
そう言われて、胸の端っこがちりっと痛む。
バンドは、確かにやってみたい。
でも、和真のことを差し置いてでもやりたいかって言われたら、違う気もする。
「……そんなにやだ? 私が、中野くんたちとバンドするの」
「うん」
「そっか……」
ふうとひとつ息を吐いた。
「わかった。バンドはやめることにする」
私がそう言うと、和真はまるで捨てられた子犬のような目で私を見てくる。
「……いいの?」
「うん。そんなに嫌なら」
「……ごめん。ありがと」
情けない顔で和真が言うから、私はそれ以上なにも言わなかった。
◇
「椎名! これ、昨日言ってた譜面!」
翌日、約束通り中野くんが私のところへやってきた。
その手には何枚かの紙が握られていて、それが昨日言っていたタブ譜なのだとわかる。
「ベース、どんなの買うか決めた? 俺は初心者用のでもいいと――」
「あ、ごめん中野くん……」
嬉々として喋る中野くんに悪いなと思いながら、話を遮った。
「ん? なに?」
「バンドの話なんだけど……やっぱりできないや」
「え、なんで!?」
中野くんは驚いている。
そりゃあそうだよね。
私、昨日はあんなにやる気満々だったんだもん。
「んー、和真が嫌って言ってて。夏休みとかも一緒に練習するでしょ? 多分。それが嫌なんだって」
「……山本が? 嫌ってこと? 俺と椎名が一緒にいるのが」
「そうみたい」
「へえー……。あいつ、めんどいな」
中野くんの容赦ない一言に、少しだけ面食らう。
「俺と椎名のこと疑ってるってことだろ? なんもねーのに」
「うん。それはそう」
「はあ……。あいつめんど」
大きなため息をついた中野くんに、私はなにも言えなかった。
「まあ、とりあえずわかった」
そう言って、中野くんは自分の席へと戻っていった。
譜面を私の手に残したまま。
◇
バンドをやめてからも、中野くんと話す機会がなくなったわけではなかった。
同じクラスで、同じ委員会。
それに、中野くんは和真の親友でもある。
話さないほうが、むしろ不自然なくらいだった。
「進路希望のプリント出した?」
「まだー」
「山本とは進路のこととか話してんの?」
「んー、お互いまだ決めてないからあんまり」
「そっかー」
委員会が終わり、教室まで歩きながら中野くんと他愛ない会話をする。
「みちる」
「あ、和真!」
教室に入ると、私の席で和真が待っていた。
「待っててくれたの?」
「うん」
「……あー、じゃあ俺は部活行くわ」
「あ、中野くんまたね!」
「おー」
教室内には、私と和真だけになる。
「じゃあ、帰ろ?」
「……うん」
教室に人がいないのをいいことに、私は和真の腕に手を回した。
今日は、ただ一緒に帰るだけ。
私は電車に乗らなきゃだから、駅まで和真が送ってくれる。
いつもなら今日の授業の話とかするけれど、和真は黙ったまま。
「……どうしたの?」
電車が来るまでまだ時間があるから、いつもよりゆっくり歩く。
すると、和真が重い口を開いた。
「……中野と一緒だったんだね」
「え、うん。委員会同じだもん」
「……俺、やっぱ嫌なんだけど」
「えっ、でもバンドは断ったよ?」
「そうじゃなくて。みちるが中野と仲良さそうなのがやだ」
和真の言葉に、少しだけうろたえる。
「仲良さそうって……普通だよ? 同じクラスだし、委員会も一緒だし」
それに、中野くんは誰にでもこういう感じ。
私だから、とかでは絶対にないのに。
「でも、必要ないときまで喋ることなくない?」
「必要ないって……友達なんだから、普通に会話くらいするでしょ?」
立ち止まって、和真を見る。
少しだけ、怒っている顔。
「……俺が嫌でも?」
前にも聞いた言葉だった。
「それは……」
「バンドも嫌だったけど、普通に仲良くしてるのも嫌なんだよ」
「でも、中野くんは和真の友達でもあるじゃん」
「喋るなって言ってるわけじゃないよ。だけど、俺が嫌なの知ってるなら、ちょっとくらい気を付けてほしい」
「……わかった。なるべく気を付ける」
「なるべく?」
「だって、同じクラスなんだから全然喋らないのは無理だよ」
私がそこまで言うと、和真は黙り込む。
「……わかった」
そう言った和真の顔は、納得しているようには見えなかった。
◇
「椎名、山本になんか言った?」
眉を寄せた中野くんが、周りを気にした様子で私に声をかけてきた。
「え、なにが?」
「……バンドのこと。あいつ、俺になんで椎名を誘ったのか聞いてきたんだけど」
「え……?」
「だから言ったよ? 別に深い意味ねーって。メンバー足りなかっただけだし」
「うん。そうだよね……」
「てかさ、俺なんか疑われてんの?」
「……たぶん」
「はあ!? なんもねーって!」
「それは私もわかってるよ!」
「じゃあ山本に言っといてよ。俺を巻き込むなって」
中野くんがそう言うのはもっともで、だんだん申し訳なくなってくる。
「……ごめん」
「いや、椎名が謝ることじゃないけどさ。なんつーか、苦労するな」
「……苦労って」
思わず笑ってしまう。
「そんな、大げさだよ」
「いや、俺からしたら十分めんどいけど。俺が女だったらぜってーあいつとは付き合わない。クソめんどい」
「ひどっ!」
中野くんは笑ってる。
「いや、親友だから言ってんの。あいつめんどいよ、まじで」
「親友なのに!?」
「親友でもめんどいもんはめんどい! 以上!」
◇
『和真、中野くんにバンドのことでなにか聞いた?』
そうLINEをしたのは、中野くんから話を聞いた夜のこと。
聞こうか迷って、聞かないとずっとモヤモヤしそうだったから、悩んだ上で送った。
『したけど、なんでそんなこと聞くの? てか、中野と喋ったんだ』
和真から来た返事を見て、少しだけムカッとする。
『喋ったって、聞かれたから答えただけだよ。あと、いまはそれ関係なくない?』
自然と語気が強くなる。
『関係あるでしょ。俺、中野と仲良くすんの嫌だって言ったよね』
『でも、中野くんから話しかけてきたんだよ? 無視するわけにもいかないじゃん』
『だから、なんでそんな中野のこと庇うの?』
『庇ってないよ。普通のこと言ってるだけじゃん』
どうしてこんなふうになってるんだろう。
和真が言いたいことはわかってるつもり。
でも、私が男の子と普通の会話をするのも嫌って、そこまで制限されるのは違うって思ってしまう。
どうやって自分の気持ちを伝えればいいのかが、わからなくなる。
そうやって悩んで、悩んで、悩んでいるうちにぽこんとまた通知が鳴った。
『もう別れたい』
『なんか疲れた』
「え?」
画面に映し出された文字に、困惑する。
え?
別れたい……って。
『なんでそういう話になるの?』
急いで返事を打った。
まだ心臓がバクバクしている。
すぐに既読がついた。
『もう終わりにしたい』
ひゅっと喉の詰まる音がした。
涙がぽたぽたとこぼれ落ちてくる。
『別れたくないよ』
震える手で返事を打った。
和真からの返事は、それきり来なかった。
◇
和真と別れてから、二週間が経った。
ほんとうなら半年記念日をお祝いしていた頃だ。
別れたのに、あまりにも生活は変わらなかった。
教室に和真は元からいないし、帰りにただ会わなくなっただけ。
合同授業でももう目が合わないだけ。
……和真の家に、行かなくなっただけ。
周りから見れば、私はなにも変わっていないように見えると思う。
だけど、和真との距離は、付き合う前よりずっと遠くなっていた。
『半年記念日と和真の誕生日近いし、一緒にお祝いできるね!』
私がそう言うと嬉しそうに目を細めた和真は、まだ胸の真ん中にいる。
いまでもずっと、和真が好き。
和真の誕生日が過ぎて、半年記念日が過ぎていっても。
◇
「新曲よかったな! 椎名はもう聞いた?」
「聞いた聞いた! サビすごくよかったよね!?」
和真と別れてから三週間が過ぎて、私はやっと普通に笑えるようになっていた。
気持ちは変わらないままだったけど、それをなんでもないことみたいに隠すのが上手になったみたいだった。
そんなある日の夜。
『少しだけ話せる?』
お風呂から上がって、部屋でゆっくりしていたときだった。
……和真からのメッセージ。
画面を見ると心臓が鳴った。
嬉しい気持ちも怖い気持ちも半々で、そのメッセージをなかなか開くことができなかった。
どのくらい時間がたったのかわからない。
けど、意を決して和真のアイコンをタップする。
『少しだけ話せる?』
三週間ぶりに来た和真からのメッセージは、『別れたくないよ』と私が送ったメッセージのすぐ下に並んでいる。
『うん』
たった一言打つのに、どれほどの勇気が必要なんだろう。
なにを話されるのか怖い。
なのに、連絡が来て嬉しい、なんて。
着信音が鳴った。
びくっとして画面を見ると、それは和真から。
てっきりLINEでやり取りをするのかと思っていたから、余計にどきっとする。
「……もしもし?」
『……みちる?』
思えば、初めての電話だった。
付き合っている時はLINEこそたくさんしたけれど、電話はしたことがなかったから。
久しぶりに聞く和真の声は電話越しだといつもより少しだけ低く聞こえて、どきっとしたけれど同時に悲しかった。
「うん……」
名前を呼ばれて、呼び方が付き合っていたときと変わらなくて。
変わってしまったのに変わらないものがあることが、つらい。
別れたい、っていうあの冷たい文字が心に浮かぶ。
『……急に、ごめん。文字だとなんか、うまく言えない気がして』
「……うん」
『もう、先に言うんだけどさ……俺、みちると別れたこと、すごく後悔してて』
途切れ途切れに、和真が呟く。
私はそれを静かに聞いていた。
『みちるが隣で笑ってくれないこととか、なんていうかすごいさみしくて。隣にいてくれるのがすごく当たり前になってたと思う』
「うん……」
『……中野のこととか、俺がわからない趣味の話で盛り上がっててうらやましくて、かなり突っかかってたと思う。……ほんとうに悪かったと思ってる』
和真は震える声で紡ぐ。
『……これからもたぶん、嫌な思いさせると思う。付き合ってから知ったけど、俺嫉妬深いし……でも、別れたくない。もう一回、俺と付き合ってほしい』
言われた瞬間、一粒の涙が頬を滑っていった。
「うん……っ」
それだけで精いっぱいだった。



