壁から二つ目の席

「ぶえっくしゅん!」

 店の空気にすっかり酔いしれていた若者は、身体が冷えたのか盛大なくしゃみをした。
 バスタオルを羽織っているとはいえ、雨で濡れた身体はまだ冷たいのだろう。

「坊主、とりあえず濡れた服を着替えろ。シャワー貸してやるから」

 明生はそう言うと、顎で店の奥──住居スペースへ続く扉を指した。

「ありがとうございます!」

 若者はパッと顔を輝かせる。

「じゃあ、シャワーをお借りする代わりに」

 そう言って、テーブルの上に置いていたテディベアを抱き上げた。

「コイツも一緒に入りますね」
「あ?」
「これ、長いこと洗ってないでしょう? ヤニとホコリで結構汚れてますよ」

 ニコニコしながら、とんでもないことを言う。

「カウンターに置くなら、綺麗にしないと」
「……構わねぇが」

 明生が濡れた椅子へ視線を落とす。
 すると若者は「あっ!」と声を上げた。

「このまま僕もクマも居なくなったら、誰か間違えて座っちゃいますね!」

 そう言うと、勢いよく明生を振り返る。

「マスター、紙とペン貸してもらえます?」

 明生は素直に、去年のカレンダーの裏紙と太いマジックを差し出した。
 若者は床へしゃがみ込むと、サラサラと文字と絵を描き始める。

『椅子、水濡れ中につき座れません』

 その横には、傘を差したクマが『ごめんクマ』と頭を下げていた。
 明生は思わず目を見開く。

「へえ……上手いもんだな」

 感心したように、常連の一人が声を漏らした。
 若者は少し照れたように笑う。

「趣味で描いてるだけです」

 そう言ってひょいと紙を椅子へ立て掛けると、若者は明生の後に続いて店の奥へと歩き出した。

 その様子を眺めていた明生は、常連の一人へ声を掛ける。

「黒さん、悪い。ちょっと外すわ」
「おう、了解。……明生、十代に手ぇ出すなよ」

 その言葉に、明生は眉を顰めた。

「ガキに手ぇ出すかよ」

 ──その瞬間。

 若者がギギギ……っと、錆び付いたロボットみたいな動きで振り返る。

「僕、二十三歳ですから!!」

 一瞬の沈黙。

 次の瞬間、店内へ驚きの声が響いたのは──言うまでもない。