壁から二つ目の席

その日から、明生は毎晩、明け方に戻るようになった。

 ベッドが軋む音に気付くと、ふわりと香る知らないシャンプーの匂いに泣きそうになる。
 そのたび、颯はクマ男を抱き締めた。

「悪い、起こしたか?」

 明生が颯の顔を覗き込む。
 敢えて寝たフリをしていると、明生はホッとしたように溜め息を吐き、掛け布団を颯の肩まで上げて、ベッドの端へ寝転がった。

 あれから、秀一に似た客が来ると、明生はクマ男をコンソールテーブルへ移動させて誘う。
 《《意味を》》知らない客は他の席に座り、知っている客はその席へ座って、一夜のアバンチュールを楽しんでいるようだった。

 クマ男を雑に扱われるのが嫌で、いつしかクマ男を移動させる役目は颯になっていた。

 そのたび、萎んだ気持ちでクマ男をコンソールテーブルへ移動させる。
 颯には、クマ男まで寂しそうな顔をしているように見えた。

 葉月の話では、数年前までは当たり前の光景だったらしい。

 たった一度。
 それも、ほんの数分現れただけで、こんなにも簡単に明生を壊してしまう。

 それは……明生も未だに秀一を想っているのだと、颯に知らしめているようだった。

 秀一からの手紙は、翌朝、オープン準備の時に手渡した。
 だが、明生が乱暴にカフェエプロンのポケットへ突っ込んだのを見たきりだった。

 何が書いてあったのか?
 どんな顔をして読んでいたのか?

 颯には何も分からなかった。

 ただ、毎晩のように違う相手と過ごし、明け方に戻って来る明生の生活に、颯はずっと胸を痛めていた。

 一度、自分にも気まぐれで手を出すかもしれないと、明生のだぶだぶのTシャツ一枚で寝ていたこともあった。

 ところが、

「ったく、腹壊すぞ」

 と、ぶつぶつ文句を言いながら、何故か下着とパジャマ代わりのスウェットパンツを履かされ、そのまま隣で寝られてしまった。

 あの手この手で、颯なりに考え付く誘惑をしてみても、

「お前……何がしたいんだ?」

 と、本気で呆れられた。

 今夜も、明生はいない。

「なぁ、クマ男。僕って、そんなに魅力ない?」

 一緒にお風呂へ入りながら、颯はクマ男に話しかけた。
 濡れて目元が少し隠れたクマ男の顔が、しょんぼりして見える。

 颯はクマ男を抱き締めながら、

「おっさんは……まだ秀一叔父ちゃんを好きなのかな?」

 と、ぽつりと呟いた。

 ピチャン、と風呂の雫が湯船へ落ちる音が響く。

 颯は湯気で煙る天井を見上げ、大きな溜め息をついた。