壁から二つ目の席

「あれ?」

昼休憩から戻ると、明生の太い腕に馴れ馴れしく触れ、何やら意味深な視線を向けている。

その視線は、今朝見た葉月のものに似ている。

そう思いながら見ていた颯の耳に、

『また、始まっちゃったか……』

と、常連客の誰かの声が届いた。

クマ男は何処だろうと視線を巡らせると、まるで颯の気持ちを映すように、コンソールテーブルへ雑に置かれ、頭を垂れていた。

颯は足早にクマ男をきちんと座らせに行く。

すると、その席に座っていた客が明生に耳打ちし、二人で微笑み合うと席を立った。

「坊主、ぬいぐるみ戻しておけ」

咥え煙草の明生にそう言われ、ちょうどクマ男を抱き上げた颯は額に青筋を浮かべた。

クマ男をいつもの席へ戻すと、

「なんであの人を座らせたの?」

唇を尖らせて呟いた。

明生は珈琲を淹れながら、

「ガキには関係ねぇ」

とだけ答えた。

颯はクマ男を抱き締め、

「この席は、僕とクマ男の席だよ!」

と訴える。

「勝手に決めんな。ほら、珈琲出来たぞ」

明生はカップに入れた珈琲と伝票をカウンターへ置いた。

颯は(納得いかない)と顔に書いたまま、カップと伝票をトレイへ乗せて歩き出した。

すると、

『あのルール、復活か……』
『じゃあ、タイミング合えばチャンスあり?』

コソコソと話す声が耳に入った。

(あのルール?)

首を傾げる颯に、話していた客たちは慌てて話題を変えた。

颯はそのルールが気になりながらも、客たちの反応から聞いてはいけないような気がして、誰にも尋ねられずにいた。

***

その日の閉店作業中。

「あ、今日は飯要らない。いつも通り、先に寝てろ」

そう言うと、明生は食器を洗い上げ、キッチン周りを掃除してエプロンを外し、店を出てしまった。

颯と暮らし始めて一ヶ月と少し。

今まで、一度もそんなことはなかった。

やっぱり、本当は秀一とのことを怒っているんじゃないか。

 心配になった颯は、明生のあとを追って路地へ出た。

 そして、思わず足を止めた。

「悪い、待ったか?」
「全然」

 昼間、あの席に座っていた、秀一によく似たタイプの男が明生の腕に自分の腕を絡ませていた。

「え……?」

 颯は思考が止まった。

 店の裏にある薄暗い路地裏。

 明生はその男の腰を抱き寄せ、煙草を携帯灰皿へ押し込むと、キスをした。

 颯の知らない──大人のキス。

 ゆっくりと唇が離れる。

 二人は熱い眼差しを交わしたまま、怪しいネオンが輝く建物の中へ入って行った。

 その時、颯は初めてクマ男が座っている席の意味を知った──。