壁から二つ目の席

「あ、やっぱり颯ちゃんだ!」

 秀一を見送り、颯は《Amber》の店の前をウロウロしていた。
 明生に秀一の甥だとバレて、怒っているんじゃないかと思うと怖くて中に入れなかった。

 そんな颯の背後から、常連客である西園寺さんの声が聞こえた。

 弾かれたように振り向くと、西園寺さんはニコニコしながら近付いて来る。

「入らないの? マスター待ってるよ」

 そう言われて颯が戸惑っていると、西園寺さんは颯の腕を掴んでドアを開けた。

「マスター! 店の前で迷子を拾ったから、連れて来たよ」

 そう言って、颯を中へ引き込む。

 明生は相変わらず咥え煙草のまま、

「さっさと支度しろ。遅刻は給料から差っ引くからな」

 と呟いた。

 颯は俯いていた顔を上げ、

「うん!」

 と笑顔で頷くと、クマ男の座る椅子に掛けてあるエプロンを着けた。

 そんな颯に、明生は、

「給料差っ引くって言われて、笑顔になる奴を初めて見たよ」

 と呟いた。

 すると葉月が、

「アンタが昨日、あんな態度したから気にしてたんじゃないの? 颯ちゃん、ごめんね。あの後、みんなで明生に説教しといたから」

 そう言うと、隣に座る西園寺さんや他の常連客も頷いた。

「大体、颯ちゃんはここに来た時、叔父さんから話を聞いて、ここに来たって言ってたじゃない?」
「そうそう。しかも、マスターを騙すなら、身分証明書やら親と電話なんかさせないよな~」

 葉月と西園寺さんの言葉に、明生はバツが悪そうに煙草をふかしている。

「秀一を入れる訳にはいかないから、追い出すみたいにしてごめんね」

 心配していたのだろう。
 葉月がそっと颯の頭を撫でた。

 その時、颯は葉月の服装が昨日と同じことに気付いた。

 葉月は仕事柄、毎日違う服装で店へやって来る。
 しかも、今日は珍しくノーメイクだった。

「さて、颯ちゃんが帰って来たから、アタシは一旦帰宅して寝るわね」

 あくびをしながら立ち上がると、

「じゃあね、明生」
「おう」

 ふと交わされた二人の視線に、颯は違和感を覚えた。

 何かを確かめ合うような、二人だけの間に流れる空気だった。

 少しご機嫌そうに、それでも気怠げに歩いて行く葉月の背中を、颯はぼんやりと見送っていた。

「おい、クソ坊主! 遅刻した上にボサっとしてんな」

 明生の声が飛んできた。

 颯はハッとして、慌てて明生の淹れた珈琲を、伝票を確認しながら素早くテーブルへ運んで行った。