壁から二つ目の席

「さすが総合病院の次期理事長! 部屋が違う!」

 スイートルームのベッドへ飛び込む颯に、秀一は苦笑いを浮かべる。

 そんな秀一の様子を横目で見たあと、颯は枕に顔を埋めて考えていた。

 食事は、昔、秀一が明生と食べに行っていた店へ連れて行ってもらった。

 美味しい居酒屋で、

「明生はああ見えて、辛いものが苦手なんだ」

 とか、

「ここの揚げ出し豆腐が好物で……」

 などと、キラキラした瞳で話していた。

 颯の知っている叔父・雨宮秀一は、何処か陰のある人だった。

 明るく快活な妻の真実に比べ、いつも何処か遠くを見ているような人だった。

 いつだったか、秀一の姉である颯の母親が、

「秀一叔父ちゃんには恋人が居たんだけどね、おばあちゃんが無理矢理引き裂いたのよ。自分の病気を理由にしてね」

 と、ぽつりと漏らしていた。

「こっちへ戻って来てから、叔父ちゃんは笑わなくなったの。……母さん、何もしてあげられなかった」

 罪悪感に苛まれた、颯の母親の言葉。

「やっと笑ったのは、夏美ちゃんが生まれた時かな……。でもね、怖かったわ。いつか秀一叔父ちゃんが、壊れちゃうんじゃないかって……」

 そう言うと、颯の母親はそっと颯の頭を撫でて、

「もし、秀一叔父ちゃんが助けを求めて来たら、颯が力になってあげてね」

 と呟いた。

 子供だった颯には、何のことか分からなかったけど、「うん!」と笑顔で答えたのを覚えている。

 それから、真実が二人目の朋也を出産するため実家へ戻った時、頼まれて、秀一は少しの間、颯の家で暮らした。

 小児科医なだけあって子供が好きな人だったから、颯はとても可愛がってもらった。

 そんな秀一が、珍しく酔っ払って帰って来た日。
 颯は恋人のことや《Amber》の話を聞いた。

 翌日、続きを聞きたがる颯に、秀一は「誰にも内緒だよ」と言って、それから時折、話してくれるようになった。

 優しいマスターと、不器用だけど優しいその息子。
 二人で営んでいる喫茶店には、賑やかな常連客たちが集まり、優しく温かな時間が流れているのだと。

「あそこに居ると、自然と笑顔になれるんだ」

 そう語る叔父の、優しい笑顔が眩しかった。

 だから就職に失敗した時、自分も何か変われるんじゃないかと……そんな漠然とした思いで、颯は店へ向かったのだ。

 それがまさか、思いの外居心地が良くて、そのまま居座ることになるなんて思ってもみなかった。