煌めくあめ

 こぉん。
湖に浮かぶ硝子を踏む音が、静寂に支配されていた空気を揺らした。その音を生み出した幼い少女は、笑い声をあげる。
 しばらく足踏みをしながら遊んでいたが、疲れたのだろうか、やがて少女は小さく息をつき、硝子の上に座り込む。少女が履く桃色のスカートが、硝子の上にふわりと広がって。少女は視線を遠くに投げる。

「……とおいなぁ」

 少女が見つめる先、湖の中央。そこには、木製の小屋が立つ、小島が浮かんでいた。
 きらり、と不意に少女の足元で光が煌めいた。少女が視線を落とすと、湖が太陽の光を吸い込み、星屑のように散らしていて。その煌めきは、少女の心を捉えて放さなかった。
「きれい……」
 少女は少しの間、それに見とれていた。少し太陽が雲に隠れ、光が淡くなるまで。

 ふいに、何かが目の前を通り過ぎ、小島のほうに、光の粒子を撒き散らしながら飛んでいく。

——光ってる、ちょうちょだ。

それを呆然と見送って、そのまま立ち尽くした。鳥の鳴き声が聞こえ、少女は我に返った。少女は頬を小さくたたいた。そして、小さく息を吸い、ぐっとこぶしを握り締める。
 そして立ち上がると、硝子の上を跳び始めた。硝子から硝子へと、小さい歩幅で、一生懸命に跳び移る。小島へ、向かって。
 小島に近づくにつれ、段々と湖に浮く硝子の数が増えていく。少女はやがて、硝子の上を走り始めた。そして、どれくらい経っただろう。ついに、小島に少女は辿り着いた。
 白浜に立ち、少女はきゅっと、白いブラウスの、フリルが付いた袖口を握り締める。口からは荒い息が漏れ、膝は少し震えていた。
でも、少女は笑っていた。たくさん走って、辿り着いて。それが、楽しかったから。

 しばらく少女はその場に突っ立っていたが、やがて歩き出す。しばらくして、眼前に広がる光景を見て、立ち止まる。
「きらきら……!」
 小さく、しかしうれしそうな声が、少女の口から洩れた。ただ、その風景に見とれる。
 緑色の、背丈が高い芝生が、少女の足をくすぐる。ふわりと吹くそよ風には、コーヒーの香りが混じっている。それにつられるように、少女は再び歩き出した。

 少女の視線はきょろきょろとあちらこちらに移り変わる。舗装された小道を歩けば、道端に綺麗なビー玉が詰められた瓶が置かれていて。彼女はその近くにしゃがみ込む。
 湖の硝子と同じように、ビー玉は光を吸い込んで輝いていた。硝子と違って色がついているので、芝生には色とりどりの光が落ちている。
少女がそこに手を伸ばすと、少女の手に光が移った。きゃあ、と嬉しそうに歓声をあげ、さらに手をいろいろと動かしてみる。
 しばらく光と戯れていたら、ふと、目の前を何かが飛んで行った。ほんのりと光っている、飛ぶもの。

———さっき見た、蝶だ!

「待って!」
 少女は叫んで立ち上がり、蝶を追いかけるために駆けだした。

 蝶が消えた先には、色とりどりの花が植えてある、花壇があった。少女は思わず立ち竦み、その花たちを見つめた。少女が知らない花が、たくさん。
 ふと、疑問が胸の中に湧いた。あの小屋の中はどうなんだろう、まだ知らないものに、出会えるのだろうか、と。彼女はくるりと体の向きを変え、小屋のほうに走りだした。

 小屋の壁の前で、再び少女は立ち止まっていた。壁に、蔦が這っているのだ。こんなもの、見たことがなかった。アサガオもこんな風になってたっけ。少女は首をかしげる。
 その蔦に、手を触れる。つるつるしていて、触り心地がよかった。そのまま壁に沿って歩く。小屋は木製で、茶色いペンキで塗られていて。少女が前キャンプに行ったとき泊まった、コテージに似ていた。
「いりぐち……どこだろ?」
 少女は壁に沿って歩き始めた。舗装された小道があって、歩きやすかった。

 小道をたどっていくと、開けた場所に出る。少女はどうやら裏道から来てしまったらしい。建物と反対の方には、大きな道が用意されていた。
 少女は建物のそばに何かが立っているのが見た。そこには、『月下の孤狼』の文字。コーヒーのイラストが描かれている。
 そのまま視線を上に向けると、大きな扉があった。扉には、OPENと書かれたプレートがかけられている。
「おー……ぷん」
 少女は習いたての英語力で、その文字を呼んだ。たしかおーぷんは開いているという意味だったはずだ。
 少女は背伸びをして取っ手を掴むと、体重をかけて扉を開けた。ちりん、と扉の上から音が鳴る。




 ふわりとコーヒーの香りが鼻腔をくすぐった。何かを炒めている音も聞こえる。奥に見えるテーブルの木目を、太陽の光が照らす。
 少女は扉の隙間から身を滑り込ませた。後ろで扉が静かに閉まっていく。知らない場所だけど、不思議と怖さは感じなかった。
「……あの」
「いらっしゃいませ」
 少女が店の中に呼びかけようとしたら、図ったかのように奥から猫耳の男性が現れた。男性はにこにことほほ笑んでいた。
 少女は口を開け閉めしたが、やがて閉じてしまった。なんといえばいいのかわからなかったのだ。いつもは、おかあさんがやってくれていたから。
 男性はそんな少女の様子を見守っていたが、ひゅんと尻尾を振ると、手を差し出した。微笑みを深めて、男性は言う。
「お席へご案内します」