兄の親友と恋人ごっこしています




 僕と陸郎が『恋人ごっこ』改め『恋人同士』になってから、ひと月が過ぎた。
 季節は冬になっていた。



「この間も大学で二人でいるの見かけた、上手くいってるみたいで良かったな」
「あ、見てたんですか」
「偶然! ――なぜかよく見かけちゃうんだよなー」
 心なしかしゅんとしている。

 大学では洸とはあまり遭遇しなくなり、バイト前や後の更衣室で偶然会った時に話をするだけになった。
 陸郎と会わなかった期間、彼と過ごすのはすごく慰めになった。
 僕のことを好きでいてくれる彼に陸郎とのことを報告するのは少し気まずかったが、軽い修羅場になったことを考えても、何も言わないわけにはいかなかった。
 彼は「おめでとう。よかったな」と微笑んでくれた。

「あの人前より大学来てない?」
 もう既に着替え終えて、二人で更衣室の真ん中にある長椅子に座っている。
「そうなんですよねー。授業のない日も来てるんです」
「あ、そうなんだ。なんか意外だよな」
 彼は実に清々しい顔をしている。
 もう僕のことはなんとも思っていないのかもしれない。それだったらいい。僕が言うのもおこがましいが、彼には幸せになってもらいたい。
「本当に洸くんにはいろいろと甘えてしまって……」
「おっどうした、急にあらたまって」
 もう一度、改めて彼にお礼を言いたくなった。
「ありがとうございました」
 座ったままだけど、隣に座っている洸に向かって丁寧にお辞儀をした。
「なんの礼かわからないけど。オレ、お前のこと諦めたわけじゃないから」
「え?」
 驚いて顔を上げると、洸がめちゃめちゃいたずらっぽく笑っている。
「あの人とまた何かあった時には攫っていこうと隙を狙ってるんだ。だから何かあったらオレに泣きついて?」
 イケメンがイケメンなことを言っている。
(洸くん、まだ僕なんかのこと……)
「僕が言うことじゃないですけどっ。洸くんには僕なんかよりもっと素敵な人を見つけてくださいっ!」
 力説してしまった。
 洸はちょっと困った顔になって。
「そうだなー、お前がずっと幸せだったら――そのうちには、ね」
 かっこよすぎて心の中で、だーっと涙を流した。
「あ、僕もう行かなきゃ」
 更衣室の壁にある時計を見て、急に我に帰る。
「お迎え?」
「あ、うん」
 今の話の後で見せつけるようなのもどうかと思って、軽く頷いて立ち上がった。
「お疲れ様です」
「お疲れ~」
 洸は小さく手を振っていた。

 いつものように裏口から出ると、敷地の外にある街灯の下に人影があった。僕はその人影に向かってパタパタと走って行く。
「お待たせしました」
「お疲れ様、温」

  陸郎は僕を『温』と呼ぶようになった。
「寒いのにありがとうござ……。わっ陸郎さ……の手冷たいっ」
 僕は彼の両手を取って自分の両手で挟んで温めた。バイト上がりの僕の手はまだ温かい。
「きみの手は温かいな」
 と言って、くすっと笑う。
「なに?」
 どうして笑われたのだろうか。
「温がいつまでも慣れないのが、なんというか可愛いなって」


 僕らの関係が『ごっこ』ではなくなった翌日のことだ。
 再び、陸郎が大学へ来る日は昼食を共にする、というのが始まった。
 今まで向かいに座っていたのが、その日から隣に座るようになった。そして、その日彼は僕の耳元でこそっと話した。
「温くんのこと、温って呼んでもいい?」
「え、は、はい」
 その甘い声にどきどきする。彼は続けて言う。
「温も……俺のこと呼び捨てでいいよ。それから敬語もなしで」
 前に一度提案されたことがある。でもやっぱり年上の人を呼び捨てなんてと思ったのだ。自分で言いだしたくせに『陸郎さん』と呼ぶのさえ慣れるのに時間がかかった。
「え、でも」
 と僕が反論しようとすると、陸郎はさっきよりもさらに甘い声で言った。
「だって、俺たち恋人同士だろ」


 陸郎は昔から『温』と呼んでいたようにすぐに馴染んだが、僕はひと月経ってもどこかぎこちない。
「可愛くなんてないですっ」
 ぷうっと頬を膨らませるとまた笑って、
「帰ろうか」
 と言った。
 陸郎から指を絡めてきて、表通りまでの暗い道を手を繋いで歩いた。


 さっき洸が言っていた。
『あの人前より大学来てない?』
 そうなのだ。
 あの日から陸郎は少し変わった。
 名前のことも然り。それから、今まで僕から連絡していたのが、陸郎からも連絡してくれるようになった。
『おはよう』とか『おやすみ』とか、そういう他愛もないこと。僕が日課にしていた一日一ラインみたいに。
 そして、会う回数もかなり増えた。
 陸郎が授業のない日も大学に来て、昼食を共にしたり、授業の後に夕食に誘ってくれたり。土曜日はデートしたり。
 バイトの時はこうして迎えに来てくれたりもする。バイト先まで来てくれる時や地元の駅前で待っていてくれる時など様々。
 思いもよらぬマメさだった。

 洸が大学で接触してこなくなったり、バイト終わりに話をするのに外ではなく更衣室に変えたりしたのも、二人でいるところを陸郎に見せないためだった。
『隙を狙っている』と言いながらも僕らに気遣ってくれているのだろう。


 地元の駅に着き、いつものように歩いて帰る。
 その後は大概住宅街のどこかしらの公園に寄るのだ。
 まだ離れたくないというように。