兄の親友と恋人ごっこしています

 頭が混乱してて自分が何を言っているのかわからない。
「最初は……」
 僕の手をぎゅっと握ったまま、彼は静かに話し始めた。
「きみのこと優の弟としてしか見ていなかったよ。きみが優の代わりにしていいとか、『恋人ごっこ』しようとか、言うからそんなことできるわけないだろって思った。だからとりあえず『友だち』でなんて言った」
 陸郎は一つ一つ考えながら丁寧に伝えていく。
「でも……途中から、温くんといると楽しいし、可愛いって思い始めたんだ。きみはずっと『ごっこ』を続けていたようだけど」
 薙いでいた瞳に熱が籠り始めているように見える。
「泊まりの時ホテルできみが悪戯を仕掛けてきたから、仕返ししてやろうと思ってあんなことしたけど、たぶん半分くらい本気だった」
 えっ? と僕は驚いた。あの時陸郎の身体はノー反応だった。だからまったく僕になんの想いもないのだと思っていた。
「でもきみが『ごっこ』というからどうにか押し留めた」
 陸郎が『ごっこ』というたびに少し後ろめたい気分になる。僕自身は『ごっこ』を越えたいとずっと考えてたからだ。
「もうあの頃にはきみを好きになっていたんだと思う」
 ずっと黙って彼の言葉を聞いていた。途中で言葉をかけたくなっても今は言う時じゃないと。でも今の言葉にはもう黙っていられなくなった。
「じゃあ、なんで……『ごめん』……て?」
「温くんの言葉、嬉しかった。本当はずっと俺のこと好きでいてくれてたなんて。あの時……俺は……俺も好きだと言おうとした」
 好きだと言おうとしてくれてた! その事実に嬉しい気持ちが湧き上がったが、では何故『ごめん』だったのか、それが余計にわからなくなった。
 見れば、陸郎は眉間に深い皺を寄せ、ひどく苦しげな表情をしていた。
「でも、言葉にする前にもう一つの考えが浮かんだんだ。俺は本当に温くんを好きなのか」
 そこで小さく息を吸う。
 その言葉の先にくるものを僕はなんとなく想像できた。
「きみが優の代わりにしていいと言った時、そんなことできるわけないって思ってた。でも実はしばらくはやっぱりきみと優を重ねている自分に気づいていたんだ。だから、この『好き』ももしかしたら本当は温くんに対するものじゃないんじゃないかって、自分でも不安になった」
 僕の想像は当たっていた。それは陸郎といて時々感じていたし、僕自身も不安に思っていたことだった。
「自分の気持ちもわからなくて、だから温くんにも話せなくて。情けないけど、ただ『ごめん』しか言えなかった」
 熱を帯び始めていた瞳も、話をしているうちに伏せられ、今は僕の顔を見ていない。まだ僕の手を握ったままの自分の手のあたりに視線がある。
「きみを傷つけたのはわかっている……なのに俺は、きっときみのほうから連絡をくれるんじゃないかと、どこかで思っていたみたいだ。一週間が過ぎ、二週間が過ぎ……そのあたりまでは、きっと今はまだ気持ちが落ち着かないんだろう、そんなふうに思っていた」
 彼は滔々と話す。僕はそれを黙って聞いていた。怖くてどうしても会うことができなかった日々、彼はいったい何を思っていたのか。僕にはきっと会いたくないだろう、僕のことを気にもならないかもしれない。そんなふうに思っていた。
 でも、それはどうやら違ったみたいだ。
「ひと月が経ち……もう温くんは本当に俺と会う気がないのかもしれないと思い始めた。俺は不安になりながらも、いや、もしかしたら学祭に誘ってくるかも……なんて図々しいことを考えていた。でも、それもなくて、俺は落ちこんだ。やっと俺の中できみの存在がどれだけ大きくなっていたのか知ったよ。優よりも……」
「――!」
 僕は声にならない声をあげそうになった。
(優雅……よりも……? ほんとに……?)
「最初の頃、温くんといて優の面影を感じていた。でも温くんに会えなくなってからは優といても、温くんのことばかり考えていたよ」
 その言葉に心と身体が震える。
「僕……時々、陸郎さんと兄が一緒にいるのを見かけました。僕が連絡しなくても陸郎さんは気にしてなくて、やっぱり、僕より兄のほうが……って。でも、よく考えたら、連絡するのはいつも僕のほうだった、僕がしなければこのまま会わないままなんだろうって」
 彼はやっと僕の顔に視線を戻した。
「本当は何度も連絡しようと思ったんだ。でもきみを振るようなことをしておいて、どの面さげてって……。それに……きみはあのバイト先の先輩と……三瀬って言ったっけ……彼といつも一緒だった……俺はもう必要ないのかと思ったよ」
「そんなこと、な……っ。えっ? 陸郎さん、僕のこと見てたんですか?」
「そうだよ。昼に知らないうちに温くんの行きそうな場所を巡ってた。そのうち授業のない日まで行くようになってた」
 驚いた。僕が見ていたように、陸郎も僕を見ていたんだ。
「じゃあ……学祭の時に体育館で見かけたのも……」
「ああ。きみが学祭に来るんじゃないかと思って。そして、体育館に入るきみを見かけた。そこでもきみは三瀬と楽しそうにしていた。きみたちは……つき合ってるのか?」
 その問いに僕は激しく頭を横に振った。
「違います。でも……三瀬さんは僕のことが好きだと言った。陸郎さんに振られて、僕は彼の好意に甘えてしまった。僕もズルいヤツなんです」
「そうか……」
 と一つ息を吐いた。
「俺は、やっと決意したんだ。温くんがもう俺のことを必要としなくても、もう一度会おう。会って俺の気持ちを伝えようって。そして、きみの誕生日を祝おうって。これが本当の最後になっても」
「だから……今日」
 陸郎は頷く。
「今日はバイトの日だって知っていた。上がる時間はだいたい十時。でも違うこともあるって言ってたから、九時前からあそこにいたんだ。温くんに会うことができてよかった」
 陸郎は僕の話したことを覚えていた。そしてだいぶ前からあそこで待っていた。そのことに軽い感動を覚えた。
「温くん……お誕生日おめでとう。俺はきみが好きだ。きみはまだ俺のことを好きでいてくれてる?」
 陸郎の瞳は不安で揺れていた。陸郎が握っている手から僕は自分の手を引いた。そして、改めて陸郎の手の上に置き、握った。
「陸郎さん……僕は今でもあなたが好きです。『ごっこ』じゃなくて、本当の恋人になりたい」
「温くん……ありがとう」 
 陸郎は一瞬眩しそうに目を瞬かせた。
 それから。
「もう一度、キスしてもいい?」
「はい……」
 陸郎の顔が近づいてきた。
 さっきの掠めるようなキスではなく、しっとりと押し包むような口づけだった。


 『恋人ごっこ』やめました!


 僕らは本当の恋人同士になったのだ。