兄の親友と恋人ごっこしています



* *


「おはよう、温」
「おはよう。お兄ちゃんがこの時間に起きてくるの珍しいね」
 珍しく優雅が朝から構ってくる。一時限から授業のある僕と違って、今日、木曜日の優雅は午後からの授業のはず。それもサボっている日も多いから朝会うことも少ない。
 高校の頃は部活命でかなり真面目だったというのに。
「温、お前今日何時に帰ってくるんだ?」
「今日、バイトあるし、その後友だちと約束してて遅くなるから」
 リビングを通り玄関まで歩きながら会話する。優雅もついてきていた。
「ええーっなんでだよ、今日お前の誕生日じゃん」
 めちゃめちゃ憤慨している様子。
 そう、今日十月三十日は僕の誕生日。十九になる。
 普段構ってこない優雅だが、家族のイベントごとにはけっこう張り切る。
「この年でお誕生日って」
 僕は肩を竦めた。
「お母さんにも言ってあるから」
「そうなのか」
 優雅が妙にがっかりしているのでちょっと申し訳ない気がした。
「じゃあ、プレゼント何がいい? お前の欲しいもんわからないや」
「うん」
 考えたけどすぐには浮かんでこなかった。
「じゃあ、考えておく。ありがとう、お兄ちゃん」
 僕は「行ってきます」と言って玄関を出た。
 苦手な部分はあるものの、僕はけして優雅のことが嫌いなわけではない。というより接触がなさすぎて好きとか嫌いとか強い感情がない。でも、今は陸郎のことでわだかまりがある。今まで通りに接するのが辛い。

 駅に向かって歩いていく。
 陸郎と一緒に帰って来る時、いつも別れる場所が見えてきた。そっちの道へ行くと陸郎の家がある。
 陸郎と会わなくなってからここを通るのが辛い。
 そういえば、と思った。
(陸郎さん、僕の誕生日知ってたっけ。優雅が近くなるとプレゼント何にしようか、いつも騒いでたって言ってたな)
 陸郎のことが知りたくて、誕生日とか血液型を訊いた。その時彼が僕の誕生日を知っていたことに驚いた。
(今日僕の誕生日って、少しは気にしてくれてるかな?……なーんて、そんなわけないか)
 一人でツッコんで悲しくなって、足早にその場所を通り過ぎて行った。



* *



「もう、びっくりしましたよ~僕のシフトが変わってて!」
 裏口を出るなり僕は一緒に出てきた洸に言った。
 今日は授業の後五時から十時までのバイトだった。出勤すると先に来ていた洸が近づいてきて「今日オレと温くん九時までだから」と小声で言った。
 僕が休みだった昨日、洸が店長に僕らの退勤時間を変更してくれるように交渉したらしい。
 僕の誕生日を祝うために!
「僕の誕生日のためにわざわざ早く上がらなくても! 二人も早く上がっちゃったら大変じゃないですか」
 声は押さえているがやや非難めいた口調になってしまう。
 今日のことは学祭の日に決めた。でもバイトが終わってからということになっていたのだ。
「まぁまぁ、今日そんなに忙しくないから。金曜日だったらムリだったかもしれないけど」
 「確かに今日は暇ですがっ。でもそういうことじゃなくて」
 さらに言い募ろうとしたが、
「だって!」
 少し強い口調で止められた。
「好きなコの誕生日、少しでも早く祝いたいだろ!」
 鼻の頭をポリッと掻いて、照れくさそうな顔をしている。
 その言葉とその顔にこっちまで照れくさくなってくる。
(ガンガンいく宣言以来、そんなこと口にしなかったのに、ここぞってところで突いてくるなぁ)
「もう、洸くん。そういうのずるいですよ」
 毒気を抜かれてしまった。僕の言葉にはさっきまでの勢いはない。
「そう、オレずるいヤツだから」 
 ウィンクしながらそんなことを言う。普通だったら見ていて恥ずかしい言動だが、さすがにイケメンは違う。何やってもかっこいい。
「もう上がっちゃったし、こんなとこにいるのもったいないから、早くどっか行こ」
 後ろから両肩に手を置かれ、軽く押された。
「ですね。確かに今さらだ」
 もうすっかり諦めて促されるまま歩きだした。僕が納得したのにほっとしたのか、洸は肩を押していた手を離して隣を歩き始める。
「どこにする? この時間だと居酒屋か、ファミレスかな」
 ファミレスかなって言ったところで二人でくすっと笑った。洸も自分たちがバイトをしている店を思い浮かべたのがわかった。さすがに早上がりしているのに行くほど図々しくはない。
「温くんのとこの駅まで行ってもいいな」
「え? いいんですか」
「いいよ、温くんの誕生日だからね。家に近いほうが安心でしょ」

 話に夢中で気づかなかった。
 暗がりに人が立っているのを。
 店の表は大通りに面していて明るい。裏口側は細い道しかなく街灯もまばらだ。その上こちら側には窓もない壁なので、扉付近にしか灯りがない。
 その人影は、スタッフや業者しか入らない裏側の敷地に入り込んでいた。一番近い街灯の灯りを背にしていて顔もよくわからない。
 歩きながら、あれ? っと思った。
(誰かいる) 
 洸も気づいて不審に思ったのか、咄嗟に僕を背に隠した。
「温くん……」
 人影は僕の名を呼んだ。
(この声……)
 それは聞き覚えのある声だった。
 洸の後ろから少し顔を覗かせ、その人影をじっと見た。
 ――そのシルエットにも見覚えが。
「温くん」
 彼はもう一度僕の名を呼びながら、近づいてくる。
 間違いなかった。
(陸郎さん! なんで……!)
 咄嗟に声が出なかった。その代わり身体は洸の後ろからすり抜けていく。でも、洸が素早く位置を変えて僕の前に出た。
「なんの用ですか」 
「三瀬さんっ陸郎さんですっ」
 まだ意識しないと『洸』と呼べない。慌てていて『三瀬』と呼んでしまった。
 洸が顔だけ僕に向ける。きゅっと眉間に皺を寄せている。
 彼が最初からその人影が『陸郎』であると分かっていたことに、僕は気づいてしまった。