兄の親友と恋人ごっこしています

 ディナーコースの予約をしていたが、何も頼まないままというのは申し訳なくて、とりあえずカフェラテを頼んだ。
 慣れてきたとはいえまだこのほろ苦さが美味しいとは感じられない。しかしこの苦さが今の心境にマッチしていた。
(にが~いとか言って泣いてもいいかな)
 もちろんそんなことをするわけにもいかない。
 カフェラテを啜りながら三十分が過ぎた。特にせかしもしないスタッフに感謝しつつ、やっぱりこのままじゃよくないという気持ちになる。
「あの、すみません」
「はい」
 ちょうど通りがかった、さっきとは違う大学生くらいの男性スタッフに声をかける。彼もまた満面の笑顔だ。教育がよく行き届いている。
「あの申し訳ないんですが、もう一人が来れなくてなったので、一人分だけ用意してもらえますか? お会計は二人分で構わないので」
「かしこまりました。ただ今ご用意いたします」
 彼はキッチンに向かう途中で先ほどの女性スタッフに声をかけられ何か話しているようだった。若い女性だがもしかしたらホールのチーフか何かなのかもしれない。
 話し終わるとその女性が僕のテーブルの前にやって来た。
「咲坂様、もしよろしかったら、あちらのテーブルにお食事をご用意させて頂いてもよろしいですか?」
 そう言って彼女が示したのは、入ってから店内を見回した時に見えた海岸側に面したお一人様席だった。
「お願いします」
 僕はその言葉に甘えることにした。
「では、ご案内いたします」
 案内され席に座ると離れる間際彼女は言った。
「料金はお一人様分で大丈夫ですので」
「ありがとうございます」
 彼女はにっこり笑ってキッチンに向かった。
 海岸側の席には今は誰もおらず、一人静かに食事をするにはうってつけだ。
 アンティパストから始まったコース料理がセコンドピアットになる頃には空も海も真っ暗になったが、海岸線に灯りが灯る静かで美しい景色を眺めることができた。


「どうぞまたいらしてください」
 外まで見送りに来てくれた女性スタッフが言ってくれた言葉の裏には、「今日来られなかった方と」という言葉が隠れているように思えた。
(陸郎さんとまた来れたらいいのに)
 とても美味しかったけどどこか涙の味がして、次に来ることがあったら心から楽しい食事をしたい。
 僕はすぐに帰る気持ちになれず、温かみのある色のイルミネーションが施されている並木道のところどころにあるベンチの一つに座った。
「あ、そうだ。陸郎さんにプレゼント贈らなきゃ」
 僕はスマホを開いた。
 使ってしまえばなくなってしまう。形に残らないプレゼント。
 ラインで贈ることのできる全国展開しているコーヒーショップのギフト券だ。
「お誕生日おめでとうございます。陸郎さん」
 ギフト券を贈る手続きを取りながら小さく呟く。完了するとスマホを閉じて、また上品な暖色の灯りだけのイルミネーションを眺める。
(ここを手を繋いで歩いてみたかったなぁ……まぁ、無理だと思うけど)
「…………」
 遠目に並木道を歩いている男に目が止まった。他にもちらほら人影があるが、その男だけはイルミネーションも見ずに一直線にこちらに向かって来るように見えたのだ。小走りで。片足を微妙に引き摺りながら。
「陸郎さん……?」
 やがて僕の目の前にその男が立つ。はぁはぁと息を切らしながら。
「陸郎さん、遅いですよ」
 僕は座ったまま、にこっと笑う。
「温くん、申し訳ない。抜けだすの遅くなってしまった」
 大きく身体を折って謝罪の言葉を言う。
「いいんですよ、相手が優雅なら仕方ない。僕はあくまで代わりだから」
 この言葉を言う度に僕の心に傷がつき、陸郎は複雑そうな表情になる。
「そんなに……急がなくたって……足痛いんですよね」
 すっと立ち上がって陸郎を支えるように両腕にそっと手をかける。
「来なくたって……良かったのに……」
 本当は来て欲しかった。それとは裏腹の言葉を言う声はか細く震え、視線は陸郎の胸辺りにあった。
「温くん……」
 何か言おうとする陸郎を制して満面の笑みを浮かべる。顔を上げ陸郎を見た。
「料理美味しかったですよ。もう僕満腹です。一人だとなかなかゆっくりは食べれなくて一時間かからずに最後までいってしまいました」 
 二人で楽しく会話しながらなら、もう少しゆっくりと味わえたのだろう。本当なら今頃はドルチェが出て、陸郎はいつも通りコーヒーを飲んでいたかもしれない。
「店内もすごく素敵で、一人来られなくなったって言ったら、海岸の景色の見える窓際のお一人様席に変えてくれるような気遣いもあって」
 独りでも平気だったと、陸郎が来なかったことなど気にしていないと、そう言うつもりだったのに。出てくる言葉は完全に非難めいている。
「今度は本当に陸郎さんと来たいですね」
 僕は笑っているつもりでいたんだ。
「温……泣くな」
「え……泣いてなんか……」
 ほろっと頬に水滴が流れたのを感じた。
 陸郎の大きな手でぐっと頭を押さえこまれる。彼は僕の顔を自分の胸に押しつけ、空いているほうの腕を僕の背中に回した。
 誰かが見れば男同士で抱き合っていると変な目で見られるのではないか。
「りくろ……さ……。こんなことして、誰か」
「誰も見てないし、見てても構わない」
 更に力強く抱きしめられる。
「ごめんな」
 そう繰り返す言葉にもう耐えきれなかった。今だけは泣かせてもらおう。僕は陸郎の胸を涙で濡らした。


 一頻り泣いて、僕らはベンチに並んで座っていた。
(やっぱり……好きだよ、陸郎さん……僕のこと好きになってくれないかな……本当の恋人だったら、きっとあの後にキスぐらいするよね。キス、してほしかったなぁ)
 僕は改めて彼への気持ちを自覚した。
「陸郎さん、お誕生日おめでとうございます。プレゼント贈ったので、スマホ見てくださいね」
 陸郎はスマホを確認し、「ありがとう」と微笑んだ。