兄の親友と恋人ごっこしています

「ああ」と溜息のような声を漏らし、右足を軽くあげてトンっとまた床の上に下ろす。
「ちょっとな。でも大丈夫」
「大丈夫じゃないですよっ歩かせすぎちゃいましたね、すみませんっ」
 向かいあって立っている彼の服の裾をぎゅっと掴んだ。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「どこかで休みましょう」 
「ほんと、大丈夫だよ?」
 表情は変わらず大丈夫そうに見えるけど。
 その時陸郎越しにある光景が目に入った。
(あ、ここって、売店だ)
「あ、じゃあ、お昼食べませんか? 僕ちょっとお腹空いてきちゃった」
 タイミングよくきゅるっとお腹が鳴る。実際十二時は過ぎていたのでお昼という理由はリアリティがあると思う。
「そこの売店で何か買ってイルカショーやるところで食べましょう」
「いいよ」
 信じてくれたかどうかはわからないけどとりあえずは自然に見えるようにそういう流れになった。

 それぞれ売店で昼食を買い、少し先のイルカショーのステージに向かう。観覧席の手前にショーの時間が書いてある看板を見つけた。
「二十分後くらいかな、ついでに観ていきますか?」
「そうだね」
 陸郎が頷いてくれたので、少しの間休憩ができるとほっとする。観覧席にはもうだいぶ人がいて同じように昼食を取りながら始まるのを待っているようだった。僕らは隅の空いている席に隣合って座った。
「懐かしいです。小学校の遠足でもやっぱりお弁当食べながらイルカショー見ました」
「あ、そうだったね」
 大丈夫だと言っていたけどやっぱり痛かったのだろう。座ってから表情が少し違って見えた。
 二人ともステージのほうを向きながら買ってきたものを頬張る。
 ふと見ると僕らより少し前のやっぱり隅っこのほうで、さっきの二人連れが仲良さげに座っていた。
(あ、さっきの二人……やっぱり、二人は恋人同士なのかな)
 本当のところはわからない。でもきっとそうだと思わせる雰囲気があった。現実に幸せそうな同性カップル見たのは初めてで、自分以外にも同性のほうが好ましい人間もいるのだと少しだけ安堵した。



* *



 一通り館内を巡りイルカショーを見終えた僕らは出口に向かった。席を立つ前に陸郎が言ってくれた。
「どうする? 海見に行く?」
 水族館に入る前に言っていたことをちゃんと覚えててくれたのだ。勿論僕の答えは。
「行きます!」
 水族館の出口の先はショップでこういうところにありがちなぬいぐるみやストラップ、菓子などが置いてある。
「見ていく?」
 僕がちらちらっと視線を走らせたことに気づいたらしい。
「あ、じゃあ。ちょっとだけ」
 えへへっと笑う。子どもっぽいと思われただろうか。
(お揃いのものなんかいいな……)
 そんなことがちょっと頭に浮かんだ時、すぐ傍らでスマホの振動が聞こえた。
「ごめん、電話だ」
 そう言って急いでショップを出て行った。

 陸郎が行ってしまうと何故か急に冷めたような気がした。
 水族館にいる生き物たちがゆらゆらと揺れているストラップに触れる。その中には海月もいて、それに触れる。
(お揃い……とか、無理だよね。今のままだと春にはただの思い出になってしまう……それは切なすぎる。もし僕が本当に陸郎さんの恋人になれたら……その時には……)
 でもそんな日が来るのだろうか。
 僕は海月のストラップを離し、他は見ずに外へ出た。


「――だからっ、さっきから何度同じことをっ。今日は用事あるから駄目だって――まだ終わってない――」
 ショップの外の端のほうから陸郎の声がした。珍しく少し荒い口調だ。近づいていいのかわからず、自動ドア前で立ち止まって様子を伺っていると、陸郎も僕のほうを見た。スマホに耳を当てながら顔の前に「ごめん」というように片手を立てた。そのあとは僕に聞こえないようにか小声で話してすぐに通話を終えた。
 そこで僕はやっと陸郎に歩み寄った。
「ごめんね、温くん。もう、いいの?」
 ちらっとショップのほうに目を走らせる。
「はい、もう大丈夫です」
「そう。こっちから海に出られるよ」
 水族館の裏はもう海岸だった。敷地は膝の辺りしかないコンクリートで仕切られていて乗り越えれば海岸に出られる。でもこちら側より海岸側のほうに着地するほうがちょっと大変な高さだった。飛び降りるという手もあるが……。
「あ、あっちに階段ありますね」
 陸郎の足を思って階段を使うことにした。
 

 海岸に座っている人、水際で遊んでいる人、サーフィンをしている人と様々だ。そんな人々を眺めながら陸郎と並んで砂浜を歩く。
「……あの……」
 さっきから考えていたことをやっと口にしようと思った。
「ん?」
「さっきの電話……もしかして、兄ですか?」
「あ……うん、そうだよ……」
 言いにくそうに言って、苦笑いをする。
「朝も出かける前に電話してきて、今日は用事があるから駄目だと言ったんだが……もう、用事終わったかって……」
 やっぱりそうだったんだ。さっきの様子を見て、なんとなくそんな気はしていた。
「最近なんだかやたらと構ってくるんだ」
「……よかったんですか? 今帰れば……」
(だって、僕は代わりだから。本物には敵わない……) 
 自虐的な気持ちが楽しかった時間を侵食していく。
「いいんだ、今日は温くんと一緒に出かけるって決めてたんだから。先の約束は違えたくない」
 立ち止まって僕の顔をじっと見る。
(……陸郎さん、本当に誠実な人だな)
「嬉しいです。兄より優先してもらえて」
 めいっぱい嬉しそうに笑ってみるが、心の中ではまだ複雑な気持ちが拭いきれない。
「あの……もしかして、兄は彼女と別れたとかじゃないですか?」
「さぁ……そんな話は聞いてないけど。どうしてそう思うの?」
「最近、家にいることが多くなったし。それに今陸郎さんが言ったようにやたら陸郎さんのまわりにいるような……」
 確信ではない。ただの感だ。でもこの感は当たっているような気がする。
「……そういえば、前にも一時期構ってきたことあったな……確か、彼女と別れた時に……」
 顔を見合わせる。やっぱりそうなのか、とお互いの顔に書いてありそうだ。
「良かったですね……また一緒にいられて」
 とつい言ってしまったら、
「別にそういうのは望んでないよ」
 少し怒ったような返事が返ってきた。
 なんとなく気不味くなって、そこから先は黙ってただ砂浜を歩いていた。