「温くん」
学生たちが行き交う廊下をどかどか歩いていると後ろから声をかけられた。耳に入っているのに意識がそちらにいっていなかったせいか、すぐに反応できずそのまま二、三歩前に進む。
ぐっと肩を掴まれた。
「温くん、待って」
やっと止まって振り返る。
「陸郎さん……どうして」
さっき用事があるからとラインしたけど、自分があの場にいるとは知らせなかった。
「あの連絡不自然な感じがしたからすぐに見回したら、きみの後ろ姿が見えたんだ」
「そう……なんだ」
「何回も呼んだけど気づかないし、きみ歩くの早いし」
はぁと少し息が上がっているのは、かなりの早足で僕を追いかけてきたからだろうか。
自分に気づいて貰えたこと、必死で追いかけて来てくれたことの嬉しさがじんわりと滲んでくる。でも気になるのは。
「お兄ちゃんはどうしたの?」
「急用があるって置いてきた」
「あは」と涙ぐみそうなのを誤魔化すように短く笑う。
「……カフェでも行く? 昼まだだろ」
「陸郎さんは?」
「俺もまだ。きみが来てから食べるつもりだった」
学食には優雅がまだいるかもしれないし、カフェにももしかしたら探しにくるかも知れない。
「じゃあ、売店で何か買って食べませんか? ――外はダメそうだけど」
廊下の窓に目を走らせると雨がしとしと降っていた。
「いいよ」
僕らは売店でそれぞれ軽食を買うと、校内のあちこちに設けられている休憩スペースの一つに向かった。休憩スペースにはテーブルやイスが置いてある。窓に沿ってベンチイスもあり、僕はそこの一番隅に腰を下ろした。陸郎もその隣に座る。
「いただきます」
小さく呟いてサンドウィッチの包装を開ける。
「なんで、お兄ちゃんと?」
包装は開けたもののサンドウィッチは膝の上に載ったまま。隣では陸郎がおにぎりを頬張っていた。
(なんでって、何言ってんの。優雅は友だちのつもりなんだから、一緒にいたっておかしくないのに)
「学食に来たら見かけたからって言ってた」
口の中をすべて飲みこんでから答える。
「ふぅん」
何でもないことのように軽く頷く。
「……あの、最近時々用事があるって言っていたのってもしかして」
陸郎が大学に来る日は昼食を共にする。それは最初の約束だけど、お互いに用事があったらそっちを優先するというのもそこに加えてあった。だから用事があって来れなくても謝る必要すらないわけだ。それでも五月半ばまではその約束をお互い違えることはなかった。
「ああ……うん、優が一緒に昼食べようって言ってきて……」
僕を気遣ってか、それとも優雅と一緒にいたことを知られたくないのか言い淀む。
「ごめん」
陸郎がそうつけ加えたけど。
(謝る必要なんか……ないんだ……別に本当の恋人でもないのに)
「謝る必要なんかないですよ。最初に用事があったら断っていいって言ってあったんですから。他に友だちだっているだろうし、急用だって入るかもしれませんしね。それに……」
切ない気持ちが溢れてしまわないように殊更明るく笑ってみせる。
「僕は兄の代わりですからね。本物のお誘いには勝てないのはわかってますから」
上手く笑えているかなと陸郎の顔色を伺うと、陸郎の一見わかりづらい表情の中に労りのようなものがちらついている。
「温くん、俺はきみを優の代わりだとは思ってない」
「いいんですよ、無理しなくて」
(だって、時々やっぱりそんな目で見ているって感じる時があるから。でも、もしこれ以上優雅が陸郎さんに構ってくることが多くなったら……僕の建前は建前として成立しなくなるんじゃ……そうなったらこの関係は終わりに……)
貼りつかせた笑顔も剥がれそうになるが、でも、と別の考えも浮かぶ。
(陸郎さんは『親友』ではなく『恋人』としての優雅を求めた。でも兄は絶対にそれには応えないはず。ならまだ僕のことを必要としてくれるかも。僕は『恋人』として接すればいい……)
「でも今は兄じゃなくて僕を選んで追いかけてきてくれた。それがすごく嬉しいんです」
気分をあげてサンドウィッチを口に運ぶ。陸郎はもうすでに食べ終わっていた。ちらちら陸郎に視線を走らせつつ、もぐもぐとサンドウィッチを頬張りながら思い巡らす。
(恋人らしいこと……そうだ、二度目のデートしたいな。今度はもう少し遠出。デートっぽいところ)
最終的にはテーマパークを考えているが、今はまだその時じゃない。
買ってきたものを全部食べきりペットボトルの水で喉を潤す。
「陸郎さん! 今度の土曜日水族館行きませんか?」
* *
電車を乗り継いで小一時間。海の傍にある水族館。待ち合わせをして一緒に電車に乗るだけで僕はわくわくしていた。
ぐずついた天気は今日は小休止か朝からよいお天気で、そうなるとこの季節はけっこう暑い。海を見ると海岸には人がけっこう出ていた。
「海、いいですね」
普段でもあまり来ないので海を見るだけでテンションが上がってしまう。
「あとで行ってみる?」
「いいんですか?」
陸郎は少し笑って頷いた。陸郎からそう言ってくれたことにまた気分が上がった。
水族館前まで来るとかなり賑わっていた。親子連れやカップルが多い。
(自分たちは……何に見えるかな? まあ、友だち同士にしか見えないだろうけど。とはいえ……)
見回しても男二人連れというのはあまりいないような気がした。
学生たちが行き交う廊下をどかどか歩いていると後ろから声をかけられた。耳に入っているのに意識がそちらにいっていなかったせいか、すぐに反応できずそのまま二、三歩前に進む。
ぐっと肩を掴まれた。
「温くん、待って」
やっと止まって振り返る。
「陸郎さん……どうして」
さっき用事があるからとラインしたけど、自分があの場にいるとは知らせなかった。
「あの連絡不自然な感じがしたからすぐに見回したら、きみの後ろ姿が見えたんだ」
「そう……なんだ」
「何回も呼んだけど気づかないし、きみ歩くの早いし」
はぁと少し息が上がっているのは、かなりの早足で僕を追いかけてきたからだろうか。
自分に気づいて貰えたこと、必死で追いかけて来てくれたことの嬉しさがじんわりと滲んでくる。でも気になるのは。
「お兄ちゃんはどうしたの?」
「急用があるって置いてきた」
「あは」と涙ぐみそうなのを誤魔化すように短く笑う。
「……カフェでも行く? 昼まだだろ」
「陸郎さんは?」
「俺もまだ。きみが来てから食べるつもりだった」
学食には優雅がまだいるかもしれないし、カフェにももしかしたら探しにくるかも知れない。
「じゃあ、売店で何か買って食べませんか? ――外はダメそうだけど」
廊下の窓に目を走らせると雨がしとしと降っていた。
「いいよ」
僕らは売店でそれぞれ軽食を買うと、校内のあちこちに設けられている休憩スペースの一つに向かった。休憩スペースにはテーブルやイスが置いてある。窓に沿ってベンチイスもあり、僕はそこの一番隅に腰を下ろした。陸郎もその隣に座る。
「いただきます」
小さく呟いてサンドウィッチの包装を開ける。
「なんで、お兄ちゃんと?」
包装は開けたもののサンドウィッチは膝の上に載ったまま。隣では陸郎がおにぎりを頬張っていた。
(なんでって、何言ってんの。優雅は友だちのつもりなんだから、一緒にいたっておかしくないのに)
「学食に来たら見かけたからって言ってた」
口の中をすべて飲みこんでから答える。
「ふぅん」
何でもないことのように軽く頷く。
「……あの、最近時々用事があるって言っていたのってもしかして」
陸郎が大学に来る日は昼食を共にする。それは最初の約束だけど、お互いに用事があったらそっちを優先するというのもそこに加えてあった。だから用事があって来れなくても謝る必要すらないわけだ。それでも五月半ばまではその約束をお互い違えることはなかった。
「ああ……うん、優が一緒に昼食べようって言ってきて……」
僕を気遣ってか、それとも優雅と一緒にいたことを知られたくないのか言い淀む。
「ごめん」
陸郎がそうつけ加えたけど。
(謝る必要なんか……ないんだ……別に本当の恋人でもないのに)
「謝る必要なんかないですよ。最初に用事があったら断っていいって言ってあったんですから。他に友だちだっているだろうし、急用だって入るかもしれませんしね。それに……」
切ない気持ちが溢れてしまわないように殊更明るく笑ってみせる。
「僕は兄の代わりですからね。本物のお誘いには勝てないのはわかってますから」
上手く笑えているかなと陸郎の顔色を伺うと、陸郎の一見わかりづらい表情の中に労りのようなものがちらついている。
「温くん、俺はきみを優の代わりだとは思ってない」
「いいんですよ、無理しなくて」
(だって、時々やっぱりそんな目で見ているって感じる時があるから。でも、もしこれ以上優雅が陸郎さんに構ってくることが多くなったら……僕の建前は建前として成立しなくなるんじゃ……そうなったらこの関係は終わりに……)
貼りつかせた笑顔も剥がれそうになるが、でも、と別の考えも浮かぶ。
(陸郎さんは『親友』ではなく『恋人』としての優雅を求めた。でも兄は絶対にそれには応えないはず。ならまだ僕のことを必要としてくれるかも。僕は『恋人』として接すればいい……)
「でも今は兄じゃなくて僕を選んで追いかけてきてくれた。それがすごく嬉しいんです」
気分をあげてサンドウィッチを口に運ぶ。陸郎はもうすでに食べ終わっていた。ちらちら陸郎に視線を走らせつつ、もぐもぐとサンドウィッチを頬張りながら思い巡らす。
(恋人らしいこと……そうだ、二度目のデートしたいな。今度はもう少し遠出。デートっぽいところ)
最終的にはテーマパークを考えているが、今はまだその時じゃない。
買ってきたものを全部食べきりペットボトルの水で喉を潤す。
「陸郎さん! 今度の土曜日水族館行きませんか?」
* *
電車を乗り継いで小一時間。海の傍にある水族館。待ち合わせをして一緒に電車に乗るだけで僕はわくわくしていた。
ぐずついた天気は今日は小休止か朝からよいお天気で、そうなるとこの季節はけっこう暑い。海を見ると海岸には人がけっこう出ていた。
「海、いいですね」
普段でもあまり来ないので海を見るだけでテンションが上がってしまう。
「あとで行ってみる?」
「いいんですか?」
陸郎は少し笑って頷いた。陸郎からそう言ってくれたことにまた気分が上がった。
水族館前まで来るとかなり賑わっていた。親子連れやカップルが多い。
(自分たちは……何に見えるかな? まあ、友だち同士にしか見えないだろうけど。とはいえ……)
見回しても男二人連れというのはあまりいないような気がした。


