兄の親友と恋人ごっこしています

「彼氏……」
 その言葉が引っかかりでもしたのか口の中で呟いている。
「……いや、いないよ。俺は誰ともつき合ったことはない」
 うーんっと僕は考えた。『彼氏』とオウム返しに呟いたその意味を。
 思い当たることは。
「あの……松村さんて男の人が好き……なんですか? それとも女の人も大丈夫な人?」
 世の中にはそういう人も確実にいる。僕はたぶん女の人はだめな部類の人間だ。
 陸郎はどっちなのだろう。
「…………」
 彼はしばらく黙りこんでいた。

(そうだよね。こんなデリケートな話、今日までまともに話をしたこともない、友人のただの弟に話すわけない。普通なら今までの話だってごまかしてもおかしくないし)
 自分のこともなんで話してしまったんだろう。確かに陸郎は僕の秘密を知っても誰かに言うような人間ではないと思うが。
 この話は終わりにしよう、と口を開きかけた時。
「俺は――今まで優以外に人を好きになったことがない。だから、わからない」
 陸郎はそう答えてくれた。
(わからない……か。男とか女とか関係なくその人が好きってやつか。素敵な言葉だね)
 優雅はそんなに想われてるんだと、ちくっと胸が痛んだ。

「じゃあ、試してみませんか?」
 なんだかすごく意地悪したくなってきた。
「試す?」
「松村さんが男の人が好きなのか、それとも優雅以外の男はだめなのか――」
 そこは彼女を作って普通に女の人も大丈夫か試してみろって言うところだよな、と思いつつ。
(だって仕方がない、僕だって松村さんのこと好きなんだし、もし男のほうがいいってなれば僕にだって可能性が)

「――僕で試してみない?」
「温くんそれは……」
 くっと陸郎の眉間に皺が寄った。陸郎は真面目そうだし、こういう『試す』とかに嫌悪を感じるのだろうか。
 しかし僕のほうもここまで自分のことを話して引っこみがつかなくなった。
 なるべく深刻にならないような感じで軽い口調で。にっと笑いながら。
「僕も今は誰ともつき合ってないし。松村さんみたいに大人で素敵な人が彼氏の代わりになってくれたら嬉しいなって」
 経験豊富そうに見えるように言ってみる。

 本当は僕も今まで誰ともつき合ってことがない。高校の頃は部活の先輩関係の知り合いで同じ性癖の人につき合ってみないかと言われたこともある。そういう人間が他にもいるんだと、自分が特別なんじゃないとほっとしたけど。
 それだけだった。
 僕の心にはやっぱり陸郎がいて、他の人とはつき合えなかった。

(何が試してみない? だ。自分こそ試すことなんてできなかったくせに)
  そんな自分にちょっと呆れたけど、でもこれは陸郎とつき合えるチャンスじゃないかと、どうにか口説き落としたいところだ。
「僕、顔だけならお兄ちゃんに似てるでしょ。背もお兄ちゃんくらいに伸びたし。まぁ頭と運動神経は全然劣るけど背格好一緒だもん。お兄ちゃんの代わりにしていいから、試してみません?」

 軽く。軽く。

 『お兄ちゃん』と口にする度に引き攣りそうになるのをバレないように。軽い気持ちで提案していると思えるような口調で言う。
「温くん、それおかしくない? 優以外の男が大丈夫なのか、優に似たきみと試すって。それで大丈夫ってことになっても、結局優が好きだってことになるんじゃないの?」
「ぅ゙……」と空気で喉を詰まらせたような音を発する。
(松村さん……っそれは確かに正論ですっ)
「それに……きみはいいの? そういうつき合いで。もっと自分を大切にしなきゃだめだよ」
 優しい声で優しく目尻を下げて言う。僕の知っている陸郎はもっと表情のない顔でこんなふうに話をする人じゃなかった。
(松村さんは大人になったのかな)
 それとも優雅のことが陸郎を変えたのだろうか。優しいのにどこか人生諦めてるみたいな。
(松村さん! ダメだよ! 優雅にフラレたくらいで!)
 僕が陸郎の気持ちを変えてあげたかった。

「じゃあ、『ごっこ』くらいに考えたらどうかな? 上手くいかなかったり、どちらかに本当に好きな人ができたらやめる。松村さんが卒業するまでの一年間。僕と恋人ごっこしようよ」

 自分が陸郎のことを好きなことは言わない。もし言っちゃったらきっと重く考えて乗ってくれないだろうから。
「え、でも」
 陸郎はまだ納得いかないらしい。それも仕方ない。
「ね、松村さんっ! あまり重く考えないでいいんですよ。大学内で一緒にご飯食べたりとか、そんな感じでいいんで」
 ゴリ押ししてみる。
「じゃあ……」
 どうやら陸郎は押しに弱いらしい。
「友だちでもいいかな?」
「えー」
(友だち……友だちか)
 かなりがっくりきたけど、このまま関わりがなくなるよりはマシかな。

「いいですよ、でも僕のほうは恋人のつもりでいますね」

 あくまで軽い態度を崩さず強気に笑ってみせた。