部員非募集! 「日焼け絶許部」で恋をする♡

 真壁先輩と相合い傘をして帰った日から、数日が経った。あの日以降も無事に(?)帰り道での相合い傘は続いていて、真壁先輩との仲も順調に深まっていた。
 ――真壁先輩は学内で僕を見かけると、必ず「佐倉!」と嬉しそうに声をかけてきてくれる。そのせいもあって、僕と真壁先輩が親しい関係にあることはだいぶ知られるようになっていた。
 普段は誰も彼も無表情でガン無視する真壁先輩が、僕を見つけた途端別人みたいに優しい顔で話しかけるのだから、それは目立たないはずがない。もちろん誰にも言っていないけど、僕がたった一人だけ日焼け絶許部に入部を許されたらしいというのも、密かな噂話として学内に流れていた。
 だから多少の嫌がらせは覚悟していたが、真壁先輩が理事長の孫――つまり学内の権力者と誤解されているからか、僕の身辺は思わず拍子抜けしてしまうほど静かだった。
 いやひょっとしたら、僕たちの中学時代がちょっとおかしかっただけかもしれないけど。

「そういえば、」

 今日も今日とて、一つだけ開け放たれた窓から熱い夏の日差しが差し込む放課後の旧理科室。
 ふと朝のさっちゃんとの会話を思い出した僕は、真向かいに座って窓の外を眺める真壁先輩に話題を振った。
 ……真壁先輩は部室に来ると、真っ先にこの窓を開ける。僕の方が来るのが遅いときは、僕が来るまで窓枠に手を置き、窓の外――グラウンドの方をぼんやり眺めている。
 暇さえあれば窓の外を向いている真壁先輩だけれど、僕がこうして話かけると、必ず体ごとこちらを向いて熱心に話を聞いてくれる。
 そういうところも、好感度が高い。

「今朝、とうとう幼馴染みに『日焼け絶許部ってどんな活動してんの?』って訊かれたんですよぉ」

 言うと真壁先輩が興味深そうな顔になった。心なしか、体勢も前のめりだ。

「それで佐倉は、なんて答えたんだ?」
「お菓子食べながらお喋りしたり、一緒に美容系配信者の日焼け対策動画見たりしてるって言いました」
「その通りだなぁ」

 うんうんと、真壁先輩が頷く。

「幼馴染みは中学までゴリゴリの陸上部だったんで、『ゆるすぎるだろ……』って呆れ返ってましたけどね。僕としてはすごく楽しいですけど」

 「確かに」と真壁先輩がくちびるの端におかしそうな笑みを乗せる。

「運動部出身だったら、信じられないくらいゆるく感じるだろうな。自分で作った部活なのに、俺も最初は全然慣れなかったし。……でも、佐倉が楽しいならよかった」

 そう言う真壁先輩は本当に嬉しそうだった。
 その笑みを見て僕は、真壁先輩の善性と優しさを再確認する。
 四階ということで階下の喧噪から完全に切り離された旧理科室は、まるで魔法にかけられでもしたかのように静かで落ち着いている上に、飲食にお喋りも可であるため、学校の他のどの場所よりもはるかに居心地の良い場所だった。
 僕はそんな真壁先輩の心地良い基地に勝手に乗り込んできた闖入者なのに、そんな僕のことまで、どうしてこんなにも思いやれことができるんだろう。僕だったら、絶対無理。
 真壁先輩の優しさに、胸がじわっと温かくなって、それでつい、胸の奥に仕舞っていた気持ちをぽろりとこぼしてしまった。

「……僕、真壁先輩のこと、不快にさせたりしてませんか?」
「うん? どうして?」

 チョコ菓子を摘まもうとしていた真壁先輩が、心底びっくりした表情をして手を止める。

「俺は佐倉といるの、すごく楽しいよ。その証拠に、佐倉といる俺は、いつも笑ってるだろう?」

 確かにそうだ。僕の質問に困ったり答え辛そうにしているときはあるけれど、僕といるときの先輩は、大抵楽しそうに笑ってくれている。
 だけど自覚があるのに、嬉しいと思うのに、素直に受け止めて信じ切ることができない。真壁先輩がどれだけ優しい人か、よく知ってしまっただけに、心のどこかで気を遣われているんじゃないかと思ってしまう。

(……素直に信じないのも、失礼な話なんだけどさ)

 僕は思い切って、なぜ突然そんな心配をし出したのかを吐露してみることにした。

「……僕、僕と全然親しくない人たちから言わせると、かなりドライ……っていうか、冷たすぎるらしくって」
「……うん」

 まだ話の序盤なのに、真壁先輩が僕を気遣うように、きゅっと眉を寄せた。
 先輩にそんな顔はさせたくなかったのだけれど、ここでやめるのも変だったので、とりあえず一気に話してしまうことにする。

「『佐倉って本当(ほんと)人の気持ちわかんないよね』とか、『感情ってものがないんじゃないの』とか言われたことがあって。まあ家族とか幼馴染みたち以外に優しくない自覚はあったので、感情ない……まではいかないけど、感情を感じる部分が鈍いのかなって思ってたりもしてて、」
「うん」
「そのことを気にしてるわけでは全然ないんですけど、僕も真壁先輩と過ごすの、とっても楽しいから。僕の無神経さで知らないうちに真壁先輩を不安にさせてたらやだなって、なんだか急に不安になっちゃって」

 他の人になんて嫌われようが疎まれようが憎まれようが、僕の心には波風一つ立たないけれど、真壁先輩には間違っても嫌われたくなかった。不愉快な思いをさせたくなかった。
 真壁先輩に嫌われてしまうのは、世界で一番耐えがたいことだった。

「ごめんなさい、ただそれだけの話なんですけど」

 真壁先輩があんまり真面目な顔で訊いてくれているのが申し訳なくってと謝罪で結んで強引に終わらせようとしたら、珍しく怒ったように眉を跳ね上げた真壁先輩が、強い口調で断言した。

「佐倉は感情がないわけでも他人の感情に鈍いわけでもないだろう。――他の人間よりも自分軸がはっきりしてるだけだ」

 自分軸。

 予想外の言葉に、僕は目を見張った。
 僕が驚いているのを見て、真壁先輩は説明不足だと思ったのか、まっすぐに僕の目を見ながら説明を足してきた。

「佐倉は自分の軸がはっきりしてるから、他のやつみたいにあれこれ迷ったりブレたりしないんだよ。一本貫いてるさまを、佐倉のことをよく知らないやつに勝手にドライだって表現されてるだ。だから、気にしなくていい。……佐倉が本当にドライで冷たくていやなやつだったら、俺は佐倉のこととっくにこの部から追い出してるよ」

 そう言われた途端、胸の奥からぶわっと何か温かいものが一気に噴き出してきて、自分でも戸惑った。
 胸の奥で固く強張っていた何かがゆるゆると溶けて流れ出していく、そんな心地いい感覚があった。
 散々ただ単に「ドライ」とか「冷たい」とかで表現されてきた――そして僕自身もまあ当てはまる部分はあるから、で片付けてきた――「仲良くしたい人としか仲良くしようとしない」という信念を、真壁先輩が「自分軸がはっきりしてるゆえだ」と表現してくれたことが、信じられないくらい嬉しかった。
 表面的な僕じゃなくて、僕の本質を捉えてくれたような気がしたから。
 久々にさっちゃん並みに、深く僕を理解してくれる人に、出会えた気がした。
 
 これはとても貴重なこと。スマホやAIなどが発達し、外から入ってくる膨大な情報に押し潰され続け、誰もが疲弊しているこの現代社会では、人は表面的にしか、人を見ようとしなくなっているから。人の根本を捉える力が、昔よりずっと弱くなってしまっているから。それなのに。

(……真壁先輩は、僕をちゃんと見てくれてるんだなぁ)

 そのことが、静かに僕を嬉しくさせる。飛び跳ねたくなるみたいな派手な嬉しさじゃない。体の隅々に染み渡っていくような、静かな喜び。穏やかな、心地よさ。
 気がつくと、僕は自然に微笑んでいた。

(……僕、本当に真壁先輩のこと、好きだなぁ)

 相合い傘をしてもらったときからうっすら自覚していて、でも「気のせいかも」って見ないふりをしていた自分の気持ちを、僕は今ここでちゃんと認めてあげることにした。

 ――僕は真壁先輩が好き。

 LIKEじゃなくて、LOVEの意味で。

(だってこの人を、好きにならずにいられる?) 

 部員非募集のはずなのに、僕だけは特別に入部させてくれて。
 部室以外の場所で見かける真壁先輩はいつも眉間に皺を寄せたつまらなそうな表情で一人っぽちでいるのに、僕の姿を見かけると、いつだって表情を柔らかくして話しかけにきてくれて。
 帰り道には、相合い傘までしてくれて。
 ここまで人の本質を見てくれて。

(好きになる以外の他に、何があるの?)

 とくんとくんと足早に――だけど心地よく心臓が跳ねていく。

「佐倉?」

 真壁先輩が不思議そうに首を傾げている。

「真壁先輩」

 名前を呼ぶ声に、どうしようもない甘ったるさが滲んだ。さっきまでは存在していなかった甘さ。
 だけどもう僕は認めてしまったから。
 真壁先輩のことが好きだって。

「僕、晴光学園に来て、日焼け絶許部に入部して、本当によかったです」

 嬉しさが胸の奥からこんこんとあふれ出て、人生で一番綺麗で幸せな笑みになる。僕は今、心の底からの幸せを感じている。真壁先輩と出会えたこの奇跡に、ただ最大級の感謝を。
 幸福を噛み締めて微笑む僕に釣られたのか、真壁先輩もふんわり優しく微笑んだ。宗教画に出てくる聖母のように、慈愛に満ち満ちた笑み。

「……俺も」

 たった一つだけ開け放たれた窓から強い風が入ってきて、軽やかに室内を通り過ぎていく。

「日焼け絶許部は俺の聖域だったから、他に誰も入れるつもりはなかったけど。佐倉を入れて……いや、佐倉が入ってくれてよかった。一人でいるときより、ずっとずっと楽しい。心の空白が、埋まっていく気がする」

 聖域。

 その言葉が、ストンと胸に落ちてくる。
 ああそうか、そうだよね、ここは聖域。確実に過去に何かあった真壁先輩の、心の安寧を守るための場所。
 その聖域に立ち入りを許されているなんて、贅沢者にもほどがある。
 特別扱いされていることへの喜びに舞い上がると同時に、なんとなく察せられる真壁先輩の過去の傷の深さに、締めつけられるように胸が痛んだ。

 真壁先輩の抱えている傷を知りたい。
真壁先輩が僕の中で揺るぎない立ち位置を築いてしまったからこそ、その傷に触れたい。痛みを分かち合わせてほしいと、切ないくらいにそう思う。
 でも。

(……真壁先輩にとって、僕はまだ、ただの部活の後輩でしかないから)

 踏み込むのは躊躇われる。

(……両想いになれたら、その傷に触れられる?)

 その問いは、恋愛初心者の僕にはまったくもってわからなかった。