真壁先輩と会話する様子は思っていたより多くの人に目撃されていたらしい。
教室に到着するなりクラスメイトたちから、「真壁先輩とどういう繋がり⁉ 同中とか⁉」と質問攻めにされた。質問者のほとんどは女子だったが、ちらほらと男子もいた。
真壁先輩はどうやら、男性人気も高いらしい。まああれだけかっこいい人だから、自然と憧れてしまうのだろう。
答えてあげる義理はないので、にっこり人笑いして黙秘し続けていると、半日経ったくらいで勝手に諦めてくれた。
中には、「佐倉くんって大人しい見かけの割には結構冷たいよね」と、責めるような口調で言ってくる女子もいたが、「そうかもね」とこれまたにっこり笑って返しておいた。
僕から言わせれば、特別冷たくしているつもりはない。ただ、仲良くする人間を常に選び続けているだけ。
だって人生は有限だから、死ぬほどどうでもいい不特定多数の人間に変に愛想よくして無駄に時間を使っている暇なんてない。
今の僕は僕の家族と、さっちゃん及び佐築家の面々と、それから真壁先輩にしか興味がない。なおアイくんは手の届かない範疇にいる人だからここには含めないものとし、それ以外の人間にどう思われようが、本当にどうでもよかった。僕がどう振る舞ったって、嫌われるときは嫌われるしね。
さて、そんなこんなで放課後になった。
僕はウキウキとドキドキが半分半分の気持ちを抱えて、真壁先輩の待つ旧理科室へと向かった。
僕に対して過保護なところがあるさっちゃんは、しかし「じゃ、部活頑張れよ」とだけ言い残し、さっさと一人で帰宅済みだ。
今朝の様子を見て、真壁先輩への警戒心が薄れたのかもしれない。まぁさっちゃんは本来誰彼構わず警戒するタイプではないし、束縛系というわけでもない。むしろ束縛はさっちゃんのもっとも嫌うところだ。他人の行動に制限をかけるのが嫌いだからこそ、あのとき僕に日焼け絶許部の部室を教えてくれたのだし。
――僕が旧理科室に着いたときには、真壁先輩はもう中にいた。
昨日と同じように窓際に寄せた椅子の上に座り、今日も一つだけ開け放たれた窓の外をぼんやりと見つめている。自身の上に燦々と 降り注ぐ光など、まったく気にならないというように。
窓の外は、朝と変わらず晴れ渡っている。
今日も今日として元気にグラウンドで活動する運動部の――たぶんサッカー部と野球部だ――元気なかけ声を風が運び届ける。かけ声と共に夏の太陽で温められた風が、教室の中を通り過ぎてていった。
真壁先輩はなんだかセンチメンタルな雰囲気を纏っていたが、僕が明るい声で「遅れてすみませーん」と教室に入ると、すぐにその雰囲気を消してこちらを振り返ってくれた。
さすがに教室の中なので、マスクもタオルもアームカバーもしていない。そのままの真壁先輩だ。
「佐倉」
先輩らしく振る舞うのが照れくさいのか、真壁先輩がはにかみながら手を上げる。
うう~ん、率直に言ってとってもかわいい。見た目がチャラそうな分、言動の純真さがギャップとして胸に突き刺さる。
真壁先輩がもしアイドルをやっていたら、先輩は尊さという暴力で以て先輩のオタクを萌え死にさせていただろう。
僕もアイくんという最愛の推しがいなかったら(僕は推しは一人しか作らない主義だ)、真壁先輩のことを間違いなく推しにしていたと思う。控えめに言って真壁先輩はそのくらいいじらしくてかわいかった。
旧理科室の、向かい合って座るタイプの四人掛けの机。前列から二番目の、もっとも窓に近い席を陣取る真壁先輩の、机を挟んで真向かいの席を選んで座る。
僕が着席すると、真壁先輩は隣の丸椅子に置いていたビニール袋をテーブルの上に乗せ直した。それからこんもりと膨らんだビニール袋から、一つ一つ大事そうに中身を取り出していく。
出てきたのは、大量のジュースにお菓子だった。コーヒー紅茶、緑茶に炭酸飲料、百パーセントジュース。ポテトチップスにチョコレート菓子、キャンディにグミ。冷蔵庫がないからだろう、さすがにこの時期定番のお菓子であるアイスクリームまでは飛び出してこなかったけれど。
あらゆる飲み物とお菓子が手品のように飛び出してきて、僕はとてもびっくりした。
「どうしたんですか? このお菓子……」
一人で食べるにしては、明らかに量が多すぎる。真壁先輩が大食いだっていうんなら、話はまた別だけど。
僕が訊ねると、真壁先輩は少々恥ずかしそうに咳払いをした。そして窺うように僕を見て、小さく呟くように言う。
「……おまえの歓迎会、しようと思って……」
その言葉に、僕はたまらなくなって片手で口元を覆った。喉から形容しがたい興奮が飛び出ていきそうになるのを、必死で抑える。
カワイイ、イズ、カワイイ。
(え、こんなかわいい人、世界に存在していいの?)
心底疑問に思ってしまう。
アイくんのアイドルとしての自覚に基づいたかわいらしさとはまた違う、野に咲く花のように控えめな、「いじらしい」が全面に出たかわいらしさだ。しかも養殖じゃない、天然物。まったくこの世の奇跡である。こんな見た目なのに、中身がお姫様っぽいなんて。
「あ、ありがとうございます……」
しまった、愛おしさで声が震えた。
万が一にでも誤解されないよう「とっても嬉しいです」と急いでつけ足す。真壁先輩はほっとしたように、「よかった」と応えてくれた。
だけど真壁先輩はずっと一人で「日焼け絶許部」をやってきていて、僕は僕で今まで部活という名の集団行動を一切してこなかったから、互いに振る舞いがよくわからなくなる。くすぐったいと緊張が互いに行き過ぎて、少しだけどこか気まずいような雰囲気になってしまう。
ひとまず勧められたチョコ菓子の袋を開け、現われた小さな球体型のビスケットを頬張ってみた。チョコレートのたっぷりかかった、ころりと丸い漆黒の玉。
「ん、はじめて食べましたけど、おいしいです! これ」
「だろう? 俺のお気に入りなんだ。だけどうちの学校の購買でしか見かけたことなくて。あ、こっちもうまいぞ」
お菓子を糸口に会話を繋いでいくと、互いにだんだんと緊張が解けてきた。
そこでふと、真壁先輩が思い出したように言った。
「そういえば、佐倉の推しのアイくんのグループ、えぇと……」
「ああ、『ウェイブズ』ですか?」
「ああ、そう、『ウェイブズ』だ。なんか聞き覚えがあったような気がして、昼休みに調べてみたんだが、父方のハトコがいるグループだった」
「え⁉」
驚きすぎて、音量調節に失敗した。突然の大声にびっくりしたらしい真壁先輩が、いたいけな小動物のようにふるりと身を震わせた。
「え、え、え、」
「だ、大丈夫か?」
「大丈夫なわけないじゃないですか‼ ま、まさかアイくんじゃないですよね⁉」
顔の系統は百八十度違いすぎるが。
僕はたまらなくなって大きく前に身を乗り出す。真壁先輩は人生でオタクになった経験がないのか、まさかそんなに驚かれるとは思わなかったという顔をしながら、「違う」と首を横に振った。
「ウルトラワイルドとやらを担当している、長壁ミツルだ」
「あーーーー‼」
言われてみれば確かに面影がある。ミツルは黒髪をすきっと短髪にしているので、言われるまで全然気づかなかったけれど。
「え、え、すごくないですか⁉」
僕は最高に興奮していたが、真壁先輩的にはどうにも僕の気持ちが理解できないらしい。
「そんなにすごいか? イトコじゃなくてハトコだし、親戚の集まりで数年に一回会うか会わないかくらいだしだから、かなり縁遠いぞ」としきりに首をひねっている。
「それでもすごいと思いますけど。僕、身内に芸能人がいる人に会ったのははじめてですし」
一番は推しと繋がりがある人に出会ったことに興奮していたが、真壁先輩を介してアイくんのサインをもらったりする気などはなかったので、その部分はあえて黙っていた。
「うーん、だけどそれで言ったら俺の父親も元モデルだからなぁ」
「え!」
これまた初耳である。
けれど言われてみれば確かに、真壁先輩のお顔立ちからはメンズモデル的なエッセンスを感じる。キリッとかっこいい系。お父さまはきっと名の知れたモデルだったに違いない。
「年の離れた兄貴も姉貴もインフルエンサーみたいなことやってるから、別にミツルだけ特別って感じはしないな」
「げ、芸能一家なんですね」
僕が本気で恐れおののいている様子がおかしかったのか、真壁先輩がふっと微笑む。
「俺は違うけどな。普通の、何者でもない一高校生」
「でも、理事長の孫なんですよね? こんな大きな学校の理事長の孫ってだけで、充分だと思いますけど……」
言うと、真壁先輩が「ああ、あの噂は事実じゃない」ときっぱりと否定した。
「……そうなんですか?」
「ああ。学校じゃ基本誰とも喋らないから、否定する機会がなくて放っておいてるけど。……理事長とは知り合いだし、この部活を作るときも色々協力してもらったけどな。俺は本当に、何者でもない普通の高校生に過ぎないよ」
……超売れっ子アイドルグループに親戚がいて、父親が元モデルで、お兄さんもお姉さんもインフルエンサーという人間は普通の高校生にはカテゴライズできませんよ、とツッコミたかったけれど、我慢した。真壁先輩が本気でそう思っているのがよくわかったから。
ただ、「先輩、その話絶対に他でしたらダメですよ。まだ校内の噂にはなってないみたいですけど、噂が立った時点で大騒ぎになりますよ」とだけは本気で忠告した。
すると真壁先輩が穏やかに笑って、「大丈夫、俺が学校で会話するのは佐倉だけだから」と言ってきたので、僕は少しだけ、少しだけ先輩をずるいと思ってしまった。だってそんなことを言われたら、否応なしにときめいてしまう。
(真壁先輩って、無自覚ずるい人だ……)
でも先輩の無垢さに翻弄されるのは、決していやではなかったけど。
それからいくつか話題が入れ替わって。
「そういえば、佐倉って何で通ってるんだ? 電車か? それとも徒歩? 自転車?」
と、通学手段の話になった。
「徒歩と電車ですね~。うち遠いんですよ。二時間以上かかります。××県から通ってるので」
言うと、真壁先輩はきょとんと目を丸くした。
「県外から来てるのか。遠いな。……っていうか、××県って有名な高校多くないか? 蘭雨高とか、天付高とか。大体はみんなそっちに行くだろ?」
「はい」と僕は頷く。
どちらも我が晴光学園より有名で人気の高い高校だ。偏差値がちょうどよくて、部活動が盛んで、とにかく制服がかわいくてかっこいいところ。あと同じ県内で、通学しやすいところ。
「だから同じ中学の出身の人は幼馴染みしかいませんよ」
「だよなぁ。佐倉はなんでそっちに行かなかったんだ?」
不思議そうに首を傾げている真壁先輩に、僕は静かに微笑んだ。
「僕たちにとっては晴光学園の方が魅力的だったんですよー。遠いけど、校舎は綺麗だし、校内の雰囲気もとっても良いですし。さっちゃ……幼馴染みと一緒にオープンキャンパスに参加して、『ここいいね』って言って、ここに決めたんです」
「へぇ。……それはきっと、久史さんも喜ぶ」
真壁先輩の口からぽろっとこぼれた名前。きっと我が晴光学園の理事長の名前なのだろう。親しげな響きが籠もっていた。
「あ、久史さんって言うのは理事長のことで」
律儀な真壁先輩が解説してくれる。
「……佐倉なら他のやつに言わないと思うから、もう正直に話すけど、俺のじいさんの古くからの友人なんだよ。だから俺のことも、それこそ生まれたときから知ってる、第二のじいさん的存在で」
「なるほど」
僕は納得した。
実の孫のようにかわいがられているから日焼け絶許部は創設を許されたし、真壁先輩のド派手すぎる赤髪も許されているのだろう。
じゃなきゃ一発で生徒指導室行きだよ、こんな目立ちすぎる髪色。真壁先輩には不思議なくらいよく似合っていて、綺麗だけど。
真壁先輩はその久史さんという人に、とても感謝しているようだった。
「俺が生まれてからのこと、ほとんど全部知ってるから、色々気にかけてくれててさ。いい人だよ、本当に。ちょっとお節介だけど」
そこまで言って、真壁先輩はちょっと複雑そうな顔をした。
「『日焼け絶許部』って名前をつけたのも、久史さんでさ。俺が日焼け対策する部活作りたいって言ったら、『どうせならアバンギャルドな名前にしよう』って。……俺は変に目立ちたくなかったから、普通に『日焼け対策部』とかにしたかったんだけど」
「…………」
僕は真壁先輩の赤髪をジトっと見つめて真実を告げた。
「……真壁先輩、生憎ですが、そんな派手な赤髪してて、『目立ちたくない』は通用しませんよ」
ただでさえ端正すぎる容貌が人の目についてしまうというのに。咲き誇る真紅の薔薇のように髪を赤く染めていれば、それはもう「俺のことをどうぞご自由に見て下さい」とアピールしているのと同義だった。少なくとも、僕はそう解釈する。
けれど真壁先輩は思いもよらぬことを訊いたとばかりに、はっと目を見開いた。
そして右の手で目にかかりそうなほどに長い前髪をひとつまみし、真っ赤な前髪を見つめながら「う~ん」と困ったような声を出す。
「この髪色は別に目立とうとしたわけじゃなくて……」
「なくて?」
「ただ単に、昔とは全然違う自分になってみたかっただけなんだよなぁ」
軽く目を閉じ、実にしみじみとした調子で真壁先輩が呟く。
「いやまぁ、染めるときに確かに不良っぽいなとは思ったから、目立つって自覚はあったのか……?」
あ、真壁先輩がお悩みモードに突入してしまった。
そのまま一人問答をはじめてしまった真壁先輩を見つめながら、僕はそっと真壁先輩の買ってきてくれたサイダーに口をつけた。
しゅわしゅわと爽快でちょっぴり呼吸をし辛くさせる甘い炭酸が、喉の奥へと滑り落ちていく。
「――……」
やっぱりねぇ、「日焼け絶許部」なんて妙ちきりんな部活をやっているくらいだ。真壁先輩も訳ありなのだろう。
うっすらと覗けた、先輩の傷。
僕は黙って微笑んだまま次のお菓子を選び出すことで、真壁先輩の過去の片鱗には触れずにおいた。
僕だったら、昨日知り合ったばかりの他人に不用意に触れられたくないからと思うから。
だって僕が――僕たちがそうだもの。
教室に到着するなりクラスメイトたちから、「真壁先輩とどういう繋がり⁉ 同中とか⁉」と質問攻めにされた。質問者のほとんどは女子だったが、ちらほらと男子もいた。
真壁先輩はどうやら、男性人気も高いらしい。まああれだけかっこいい人だから、自然と憧れてしまうのだろう。
答えてあげる義理はないので、にっこり人笑いして黙秘し続けていると、半日経ったくらいで勝手に諦めてくれた。
中には、「佐倉くんって大人しい見かけの割には結構冷たいよね」と、責めるような口調で言ってくる女子もいたが、「そうかもね」とこれまたにっこり笑って返しておいた。
僕から言わせれば、特別冷たくしているつもりはない。ただ、仲良くする人間を常に選び続けているだけ。
だって人生は有限だから、死ぬほどどうでもいい不特定多数の人間に変に愛想よくして無駄に時間を使っている暇なんてない。
今の僕は僕の家族と、さっちゃん及び佐築家の面々と、それから真壁先輩にしか興味がない。なおアイくんは手の届かない範疇にいる人だからここには含めないものとし、それ以外の人間にどう思われようが、本当にどうでもよかった。僕がどう振る舞ったって、嫌われるときは嫌われるしね。
さて、そんなこんなで放課後になった。
僕はウキウキとドキドキが半分半分の気持ちを抱えて、真壁先輩の待つ旧理科室へと向かった。
僕に対して過保護なところがあるさっちゃんは、しかし「じゃ、部活頑張れよ」とだけ言い残し、さっさと一人で帰宅済みだ。
今朝の様子を見て、真壁先輩への警戒心が薄れたのかもしれない。まぁさっちゃんは本来誰彼構わず警戒するタイプではないし、束縛系というわけでもない。むしろ束縛はさっちゃんのもっとも嫌うところだ。他人の行動に制限をかけるのが嫌いだからこそ、あのとき僕に日焼け絶許部の部室を教えてくれたのだし。
――僕が旧理科室に着いたときには、真壁先輩はもう中にいた。
昨日と同じように窓際に寄せた椅子の上に座り、今日も一つだけ開け放たれた窓の外をぼんやりと見つめている。自身の上に燦々と 降り注ぐ光など、まったく気にならないというように。
窓の外は、朝と変わらず晴れ渡っている。
今日も今日として元気にグラウンドで活動する運動部の――たぶんサッカー部と野球部だ――元気なかけ声を風が運び届ける。かけ声と共に夏の太陽で温められた風が、教室の中を通り過ぎてていった。
真壁先輩はなんだかセンチメンタルな雰囲気を纏っていたが、僕が明るい声で「遅れてすみませーん」と教室に入ると、すぐにその雰囲気を消してこちらを振り返ってくれた。
さすがに教室の中なので、マスクもタオルもアームカバーもしていない。そのままの真壁先輩だ。
「佐倉」
先輩らしく振る舞うのが照れくさいのか、真壁先輩がはにかみながら手を上げる。
うう~ん、率直に言ってとってもかわいい。見た目がチャラそうな分、言動の純真さがギャップとして胸に突き刺さる。
真壁先輩がもしアイドルをやっていたら、先輩は尊さという暴力で以て先輩のオタクを萌え死にさせていただろう。
僕もアイくんという最愛の推しがいなかったら(僕は推しは一人しか作らない主義だ)、真壁先輩のことを間違いなく推しにしていたと思う。控えめに言って真壁先輩はそのくらいいじらしくてかわいかった。
旧理科室の、向かい合って座るタイプの四人掛けの机。前列から二番目の、もっとも窓に近い席を陣取る真壁先輩の、机を挟んで真向かいの席を選んで座る。
僕が着席すると、真壁先輩は隣の丸椅子に置いていたビニール袋をテーブルの上に乗せ直した。それからこんもりと膨らんだビニール袋から、一つ一つ大事そうに中身を取り出していく。
出てきたのは、大量のジュースにお菓子だった。コーヒー紅茶、緑茶に炭酸飲料、百パーセントジュース。ポテトチップスにチョコレート菓子、キャンディにグミ。冷蔵庫がないからだろう、さすがにこの時期定番のお菓子であるアイスクリームまでは飛び出してこなかったけれど。
あらゆる飲み物とお菓子が手品のように飛び出してきて、僕はとてもびっくりした。
「どうしたんですか? このお菓子……」
一人で食べるにしては、明らかに量が多すぎる。真壁先輩が大食いだっていうんなら、話はまた別だけど。
僕が訊ねると、真壁先輩は少々恥ずかしそうに咳払いをした。そして窺うように僕を見て、小さく呟くように言う。
「……おまえの歓迎会、しようと思って……」
その言葉に、僕はたまらなくなって片手で口元を覆った。喉から形容しがたい興奮が飛び出ていきそうになるのを、必死で抑える。
カワイイ、イズ、カワイイ。
(え、こんなかわいい人、世界に存在していいの?)
心底疑問に思ってしまう。
アイくんのアイドルとしての自覚に基づいたかわいらしさとはまた違う、野に咲く花のように控えめな、「いじらしい」が全面に出たかわいらしさだ。しかも養殖じゃない、天然物。まったくこの世の奇跡である。こんな見た目なのに、中身がお姫様っぽいなんて。
「あ、ありがとうございます……」
しまった、愛おしさで声が震えた。
万が一にでも誤解されないよう「とっても嬉しいです」と急いでつけ足す。真壁先輩はほっとしたように、「よかった」と応えてくれた。
だけど真壁先輩はずっと一人で「日焼け絶許部」をやってきていて、僕は僕で今まで部活という名の集団行動を一切してこなかったから、互いに振る舞いがよくわからなくなる。くすぐったいと緊張が互いに行き過ぎて、少しだけどこか気まずいような雰囲気になってしまう。
ひとまず勧められたチョコ菓子の袋を開け、現われた小さな球体型のビスケットを頬張ってみた。チョコレートのたっぷりかかった、ころりと丸い漆黒の玉。
「ん、はじめて食べましたけど、おいしいです! これ」
「だろう? 俺のお気に入りなんだ。だけどうちの学校の購買でしか見かけたことなくて。あ、こっちもうまいぞ」
お菓子を糸口に会話を繋いでいくと、互いにだんだんと緊張が解けてきた。
そこでふと、真壁先輩が思い出したように言った。
「そういえば、佐倉の推しのアイくんのグループ、えぇと……」
「ああ、『ウェイブズ』ですか?」
「ああ、そう、『ウェイブズ』だ。なんか聞き覚えがあったような気がして、昼休みに調べてみたんだが、父方のハトコがいるグループだった」
「え⁉」
驚きすぎて、音量調節に失敗した。突然の大声にびっくりしたらしい真壁先輩が、いたいけな小動物のようにふるりと身を震わせた。
「え、え、え、」
「だ、大丈夫か?」
「大丈夫なわけないじゃないですか‼ ま、まさかアイくんじゃないですよね⁉」
顔の系統は百八十度違いすぎるが。
僕はたまらなくなって大きく前に身を乗り出す。真壁先輩は人生でオタクになった経験がないのか、まさかそんなに驚かれるとは思わなかったという顔をしながら、「違う」と首を横に振った。
「ウルトラワイルドとやらを担当している、長壁ミツルだ」
「あーーーー‼」
言われてみれば確かに面影がある。ミツルは黒髪をすきっと短髪にしているので、言われるまで全然気づかなかったけれど。
「え、え、すごくないですか⁉」
僕は最高に興奮していたが、真壁先輩的にはどうにも僕の気持ちが理解できないらしい。
「そんなにすごいか? イトコじゃなくてハトコだし、親戚の集まりで数年に一回会うか会わないかくらいだしだから、かなり縁遠いぞ」としきりに首をひねっている。
「それでもすごいと思いますけど。僕、身内に芸能人がいる人に会ったのははじめてですし」
一番は推しと繋がりがある人に出会ったことに興奮していたが、真壁先輩を介してアイくんのサインをもらったりする気などはなかったので、その部分はあえて黙っていた。
「うーん、だけどそれで言ったら俺の父親も元モデルだからなぁ」
「え!」
これまた初耳である。
けれど言われてみれば確かに、真壁先輩のお顔立ちからはメンズモデル的なエッセンスを感じる。キリッとかっこいい系。お父さまはきっと名の知れたモデルだったに違いない。
「年の離れた兄貴も姉貴もインフルエンサーみたいなことやってるから、別にミツルだけ特別って感じはしないな」
「げ、芸能一家なんですね」
僕が本気で恐れおののいている様子がおかしかったのか、真壁先輩がふっと微笑む。
「俺は違うけどな。普通の、何者でもない一高校生」
「でも、理事長の孫なんですよね? こんな大きな学校の理事長の孫ってだけで、充分だと思いますけど……」
言うと、真壁先輩が「ああ、あの噂は事実じゃない」ときっぱりと否定した。
「……そうなんですか?」
「ああ。学校じゃ基本誰とも喋らないから、否定する機会がなくて放っておいてるけど。……理事長とは知り合いだし、この部活を作るときも色々協力してもらったけどな。俺は本当に、何者でもない普通の高校生に過ぎないよ」
……超売れっ子アイドルグループに親戚がいて、父親が元モデルで、お兄さんもお姉さんもインフルエンサーという人間は普通の高校生にはカテゴライズできませんよ、とツッコミたかったけれど、我慢した。真壁先輩が本気でそう思っているのがよくわかったから。
ただ、「先輩、その話絶対に他でしたらダメですよ。まだ校内の噂にはなってないみたいですけど、噂が立った時点で大騒ぎになりますよ」とだけは本気で忠告した。
すると真壁先輩が穏やかに笑って、「大丈夫、俺が学校で会話するのは佐倉だけだから」と言ってきたので、僕は少しだけ、少しだけ先輩をずるいと思ってしまった。だってそんなことを言われたら、否応なしにときめいてしまう。
(真壁先輩って、無自覚ずるい人だ……)
でも先輩の無垢さに翻弄されるのは、決していやではなかったけど。
それからいくつか話題が入れ替わって。
「そういえば、佐倉って何で通ってるんだ? 電車か? それとも徒歩? 自転車?」
と、通学手段の話になった。
「徒歩と電車ですね~。うち遠いんですよ。二時間以上かかります。××県から通ってるので」
言うと、真壁先輩はきょとんと目を丸くした。
「県外から来てるのか。遠いな。……っていうか、××県って有名な高校多くないか? 蘭雨高とか、天付高とか。大体はみんなそっちに行くだろ?」
「はい」と僕は頷く。
どちらも我が晴光学園より有名で人気の高い高校だ。偏差値がちょうどよくて、部活動が盛んで、とにかく制服がかわいくてかっこいいところ。あと同じ県内で、通学しやすいところ。
「だから同じ中学の出身の人は幼馴染みしかいませんよ」
「だよなぁ。佐倉はなんでそっちに行かなかったんだ?」
不思議そうに首を傾げている真壁先輩に、僕は静かに微笑んだ。
「僕たちにとっては晴光学園の方が魅力的だったんですよー。遠いけど、校舎は綺麗だし、校内の雰囲気もとっても良いですし。さっちゃ……幼馴染みと一緒にオープンキャンパスに参加して、『ここいいね』って言って、ここに決めたんです」
「へぇ。……それはきっと、久史さんも喜ぶ」
真壁先輩の口からぽろっとこぼれた名前。きっと我が晴光学園の理事長の名前なのだろう。親しげな響きが籠もっていた。
「あ、久史さんって言うのは理事長のことで」
律儀な真壁先輩が解説してくれる。
「……佐倉なら他のやつに言わないと思うから、もう正直に話すけど、俺のじいさんの古くからの友人なんだよ。だから俺のことも、それこそ生まれたときから知ってる、第二のじいさん的存在で」
「なるほど」
僕は納得した。
実の孫のようにかわいがられているから日焼け絶許部は創設を許されたし、真壁先輩のド派手すぎる赤髪も許されているのだろう。
じゃなきゃ一発で生徒指導室行きだよ、こんな目立ちすぎる髪色。真壁先輩には不思議なくらいよく似合っていて、綺麗だけど。
真壁先輩はその久史さんという人に、とても感謝しているようだった。
「俺が生まれてからのこと、ほとんど全部知ってるから、色々気にかけてくれててさ。いい人だよ、本当に。ちょっとお節介だけど」
そこまで言って、真壁先輩はちょっと複雑そうな顔をした。
「『日焼け絶許部』って名前をつけたのも、久史さんでさ。俺が日焼け対策する部活作りたいって言ったら、『どうせならアバンギャルドな名前にしよう』って。……俺は変に目立ちたくなかったから、普通に『日焼け対策部』とかにしたかったんだけど」
「…………」
僕は真壁先輩の赤髪をジトっと見つめて真実を告げた。
「……真壁先輩、生憎ですが、そんな派手な赤髪してて、『目立ちたくない』は通用しませんよ」
ただでさえ端正すぎる容貌が人の目についてしまうというのに。咲き誇る真紅の薔薇のように髪を赤く染めていれば、それはもう「俺のことをどうぞご自由に見て下さい」とアピールしているのと同義だった。少なくとも、僕はそう解釈する。
けれど真壁先輩は思いもよらぬことを訊いたとばかりに、はっと目を見開いた。
そして右の手で目にかかりそうなほどに長い前髪をひとつまみし、真っ赤な前髪を見つめながら「う~ん」と困ったような声を出す。
「この髪色は別に目立とうとしたわけじゃなくて……」
「なくて?」
「ただ単に、昔とは全然違う自分になってみたかっただけなんだよなぁ」
軽く目を閉じ、実にしみじみとした調子で真壁先輩が呟く。
「いやまぁ、染めるときに確かに不良っぽいなとは思ったから、目立つって自覚はあったのか……?」
あ、真壁先輩がお悩みモードに突入してしまった。
そのまま一人問答をはじめてしまった真壁先輩を見つめながら、僕はそっと真壁先輩の買ってきてくれたサイダーに口をつけた。
しゅわしゅわと爽快でちょっぴり呼吸をし辛くさせる甘い炭酸が、喉の奥へと滑り落ちていく。
「――……」
やっぱりねぇ、「日焼け絶許部」なんて妙ちきりんな部活をやっているくらいだ。真壁先輩も訳ありなのだろう。
うっすらと覗けた、先輩の傷。
僕は黙って微笑んだまま次のお菓子を選び出すことで、真壁先輩の過去の片鱗には触れずにおいた。
僕だったら、昨日知り合ったばかりの他人に不用意に触れられたくないからと思うから。
だって僕が――僕たちがそうだもの。
