「あのっ、夏矢先輩! こ、今度の日曜、近所で夏祭りがあるんですけど、一緒に行きませんかっ?」
その翌日。
善は急げと、視聴を約束していたドラマを再生する前に、夏矢先輩に切り出した。
僕の真向かいに位置して座る夏矢先輩は、突然の誘いに困ったように眉を下げた。いやがっている感じではなかったが、どう答えていいものか、ひどく迷っているみたいだった。
YESかNOか。どちらにせよすぐ返事をしてもらえると思っていた僕は、予期せぬ沈黙に激しく動揺してしまう。ドッドッドッとものすごい勢いで心臓が跳ねはじめた。
夏矢先輩は、たっぷり十分は考え込んでいた。「だ、ダメならダメで全然……」と、長い沈黙に耐えかねた僕が弱腰で二言目を告げると、「いや、ダメというより……」と、また黙ってしまう。
ダメというより何なんだ。
早く決着をつけてくれないと、口から心臓が飛び出していってしまう。指先が冷たい。ああ今、僕は、情けないほどに緊張している。
(――だってはじめて、デートのつもりで誘ってるから……)
夏矢先輩はこほん、と一つ咳払いをしてから、ひどく気まずい様子で僕に訊ねてきた。
「その前に一つ確認しておきたいんだが、佐倉は、その、俺のことが恋愛的な意味で好きだという解釈でいいのか……?」
「えッ⁉」
何の脈絡もなく突然核心に斬り込まれ、絶叫に近い声が飛び出た。
両親が家にいたら、真っ先に部屋に駆けつけてきただろうし、隣接するさっちゃんちにまで届いたのではないかというほどの大声だった。
「な、な、な、なんで……‼」
僕は両手で茹でダコのようになった顔を押さえ、激しく狼狽える。
(ど、どうして好きってバレてるの……ッ‼)
「部活の後輩として、夏矢先輩のことが大好き」というのは隠していなかったし、むしろ積極的に先輩に懐く後輩ムーブをしていたけれど。
恋愛的な意味で好きだと、特別匂わせた覚えはなくて。
僕の狼狽えっぷりに正解を察したのか、「だよなぁ」と呟きながら、夏矢先輩がぽりぽりと困ったように頬をかいた。
「……その、自慢じゃないが、それなりにモテてきた人生だったから、人が自分をどういう目で見ているのかには、結構敏感なんだ。……と言っても佐倉の場合は純粋に後輩として慕ってくれてるのか、恋愛感情も混ざってるのか、ちょっと判別がつけにくかったんだが。――さすがにそんなうるうるした目で夏祭りっていうデートみたいなことに誘われればな……」
「そ、そんなにうるうるした目、してましたか、僕」
まったく以て自覚がなかった。普通の後輩の顔をしていたつもりなのに。やはり恋は盲目。冷静な自己分析さえできなくなっていたらしい。
気持ちがダダ漏れになっていたことへの羞恥で、自然と下を向いてしまう。
ああやだな。
感情をコントロールするバーが壊れてしまったのか、泣きたくなんてなかったのに、両の瞳からポロポロと涙がこぼれ出した。
お気に入りのラグマットの上に、次から次へと小さな染みができていく。涙の跡はいずれ乾いて消えるけれど、一度明かされてしまった事実は二度と、知らなかったことにはできない。
ぐすぐすと鼻を啜りながら、「そ、そういう意味で好かれちゃって、いや、でした……?」と問うてみる。
夏矢先輩は「いやではなかった」と断言した。夏矢先輩は優しいけれど、気を遣われている感じはなかった。そのことに、ほんの少しだけ救われる。ここで変に配慮されても、ただ傷つくだけだった。
「ただ……。俺には、よくわからなくて」
次いで頭の上に降ってきた、夏矢先輩の本当に戸惑っている声がどうしようもなく気になって、顔を上げる。
へにょんと眉を下げて困り果てている夏矢先輩は、僕以上に深く思い悩んでいる様子だった。
「……わからないって、何がですか?」
ポロポロと涙をこぼしながら僕が訊ねると、夏矢先輩は奥歯に物が挟まったように、もごもごしながら答えた。
「その……、俺が佐倉を、恋愛感情を含んだ意味で好きかどうかがわからなくて……」
「…………ん?」
何か思ってたのと話の方向性が違う気がする。そう思った途端、僕の涙はピュッと止まった。
僕は「はい!」と勢いよく手を上げて質問をぶつける。
「あの、ここから先の話の展開って、いやではないけど僕の気持ちには応えられないから諦めてほしいとか、もしくは互いに冷静になるためにしばらく部活を休みにして距離を置こうとか、そういう系の話じゃないんです?」
「や、そういう話ではまったくないな」
「逆にどうしてそういう方向性の話に行くんだ?」と、夏矢先輩が愕然としているが、むしろこっちがびっくりしたい。
「じゃあ何をそんなに困ってるんですか⁉」
「いや、その、俺が佐倉をそういう意味で好きかよくわかっていないのに、夏祭りに行きましょうっていう誘いに素直に頷いていいのかわからなくて……」
「……そんなの、適当に返事すればいいのに……」
僕が弱々しく呟くと、夏矢先輩は珍しくきつく眉を寄せ、きっぱりと首を横に振って言い切った。
「それはダメだ。だって佐倉は、デートのつもりで誘ってくれたんだろう? だったらこっちも真剣に答えないと、不誠実だろう」
「…………」
睫毛にひっつく形で残っていた涙が、ぽろりぽろりとこぼれていく。ついでに僕の気持ちも滴り落ちて。
「……僕、夏矢先輩のそういうところ、すごく好きです……」
言ってしまえば所詮は高校生の恋愛だ。ノリで付き合ってノリで別れても不思議ではない歳。だから「思い出作りで夏祭りくらい行ってやるか~」と軽く片付けることもできるのに、きっとそうする人の方が多いのに、真剣に向き合ってくれようとするその姿勢が、僕はたまらなく好きなのだ。
発言の一言一言を真摯に受け止めて、誠実にキャッチボールしようとしてくれるところ。人に真剣に向き合うのは、意外と労力がいって大変なのに。
「ありがとう」と夏矢先輩が陽炎のように淡く微笑み、僕を慰めるために僕の頭に手を伸ばしかけ――数秒の逡巡の末、その手を引っ込めた。ふわふわと中途半端な状態で、変に期待させるのは悪いと思ったのだろう。
僕は再び俯き、ぐすぐすと泣いた。鳴いているうちに、悲しいのか悲しくないのか自分でもよくわからなくなってきて、でもどうしようもなく涙があふれて止まらなかった。涙腺が、馬鹿になってしまっていた。
仕方ないので泣いたまま、夏矢先輩に訊ねる。
「夏矢先輩は僕のこと、どう思ってるんですか?」
夏矢先輩は顎の下に手をやり、真剣に真剣に、夏矢先輩にしかわからない感情の言語化に取り組んでくれる。
「佐倉が俺にとってかわいい後輩であることは間違いなくて、」
「はい」
「俺を見るたびに、小犬みたいにブンブン尻尾を振って寄ってきてくれるのはすごく嬉しいし、かわいいと思う」
客観的に見ても尻尾がブンブンだったんだ……と思うと叫び出したいほど恥ずかしくなったが、同時に本気でかわいいと思ってくれている温度がそこには存在していて、なんか、脈ありっぽい気がする、と淡い期待に顔を上げる。
夏矢先輩は思い悩むように目を伏せ、顎を触ったまま、懸命に言葉を絞り出す。
「……それに最近、佐倉の幼馴染みの……さっちゃんくんのことを考えるたびに面白くない気がしていて」
「……夏矢先輩とさっちゃん、ほとんど接触ないですよね?」
だってさっちゃんが僕のために、懇切丁寧に夏矢先輩を避けているから。
二人の接触はたった一回。さっちゃんがスイカのお裾分けを持ってきてくれたときに、帰宅しようとしていた夏矢先輩とかち合ってしまったあのときだけだ。
「ああ、ない、けど」と夏矢先輩がどこか複雑そうな表情で頷く。その表情に、僕の胸の中で芽生えた期待の芽が、また少し大きくなる。
「……少し前に、佐倉の家の前でさっちゃんくんに遭遇しただろ?」
「はい」
夏矢先輩が、そのときの気持ちを正直に吐露する。先輩の中でもまだ整理のついていないらしい、不透明でぐちゃぐちゃな気持ちを。
「……ものすごいイケメンだったから、正直かなり動揺した。あんなかっこいい子が佐倉の幼馴染みなんだ、家族同然に仲が良いんだって思ったら、胸がもやもやしたよ。あのときからずっと、さっちゃんくんのことが引っかかってる」
「せんぱ、」
「でもこのもやもやが、単純に仲の良い後輩を取られた気がしてもやもやするのか、佐倉が好きで気になってるからもやもやするのか、今まで誰にも恋したことがないからわからなくて……」
「先輩! それは、恋です‼」
僕はすっくと立ち上がって、恋の押し売りを開始した。
夏矢先輩の自覚のない「好き」が、僕の胸を侵食してきている。ほわほわと甘酸っぱい気持ちが、真正面からダイレクトに伝わってくる。
ねぇ夏矢先輩、あなたは絶対僕のことが好きだってば。
だからもうこれは、言いくるめた方が勝ちだ。
恥ずかしいから桃色に染まった頬には気づかれませんようにと願いながら、僕は夏矢先輩の腕を取って起立させ、ずずいと夏矢先輩に迫った。
「夏矢先輩は今、僕に恋してます‼」
「そ、そうか……?」
僕の勢いに気圧されたように、夏矢先輩が思わず、といった調子で一歩後退ったけれど、絶対に逃がしてなんてあげない。
だって本当に、本当に、絶対誰にもあげたくないくらいに大好きなんだもん。人類一、いや宇宙一愛している。
だからチャンスがあるならちゃんと掴んでものにする。でないと一生後悔するのが目に見えている。
「少女漫画でもよくあるじゃないですか! 突然現われたイケメン幼馴染みに動揺するなんて、それは恋以外の何物でもありません! ただの後輩としか思ってなかったら、『佐倉にはこんないい幼馴染みがいるんだな。よかったな』で終わりです! 先輩はさっちゃんに嫉妬したからもやもやしたんです! つまりいいですか、先輩! 『これは恋!』はい、リピートアフターミー!」
「こ、これは恋……! いやしかしな、佐倉、」
「なんですか、夏矢先輩!」
ここまで来て、まだ抵抗しようとするなんて! もう大人しく流されていてほしい。大丈夫、僕が絶対あなたのこと、宇宙一幸せにしてみせるから。
僕にはその覚悟があるのに、それでも夏矢先輩はいやいやと、及び腰で首を振る。
「俺はおまえに恋してもらえるような立派な人間じゃなくて、すごく情けない男、」
なんだ、という夏矢先輩の声に、覆いかぶせる。
「正真正銘立派な人間なんてまず存在しないから大丈夫です!」
派手な外見の割にはおっとり感が抜け切っていない、中身淑女な先輩の「立派な人間じゃない」発言なんか当てにならない。
大体僕だって色々隠してる。僕の過去の出来事を知ったら、夏矢先輩はきっと絶句してしまう。
「そ、そうかもな……?」
僕に押し切られかけ、夏矢先輩が納得した……ように首を傾ける。
ここだ、もう一押し!
けれど勢い込んで喋っていたせいで、はあ、はあ。さすがにちょっと疲れてしまって黙り込んだ。
ほんの少しの沈黙のあと、僕はそっと夏矢先輩に手を伸ばし、その指先にちょんと触れた。温かい。……いきなり触られたことに驚いたように、夏矢先輩が身を震わせる。けれど振り払おうとはしなかった。
だからまた、期待の芽が成長してしまう。
「……僕にこうやって触られるの、いやですか?」
「……いや、ではないな」
動揺で上擦った声。
「……じゃあ、これは?」
今度はもっと大胆に、ぎゅっと手を繋いでみる。それも互いの指と指を絡み合わせる、俗に言う「恋人繋ぎ」の形で。
「さく、ら……」
先輩の声がますます上擦って、かすれる。
「これはさすがに、気持ち悪い?」
夏矢先輩がふるりふるりと無言で首を横に振る。はじめて異性と触れ合う無垢な乙女のように、頬を真っ赤に染めながら。
でも知ってる。僕だって今、首まで真っ赤。だってはじめてなんだもの、こんなこと。
頑張れ頑張れ佐倉ささね、ここまで来たら、もう一押し。
自分で自分を鼓舞して、僕は夏矢先輩の茶色っぽい黒の瞳を覗き込んだ。夏矢先輩の綺麗な瞳に映る僕の目はうるうるしていて、どうしようもない好きがあふれていた。
「……これ、が、いやじゃないなら、ひとまず僕と夏祭りに行きましょう」
「…………」
「夏祭りに行って、思いっ切り恋人っぽいことをして、それがいやじゃなかったら、僕とお付き合いして下さ――」
「待ってくれ」
夏矢先輩が慌てて僕の言葉を遮った。遮られたことに、僕が絶望しかけたのも束の間。
夏矢先輩が今までに見たことがないくらいの真剣な表情で、僕の目を見つめて告白してきた。
「佐倉と夏祭りに行って、カップルがするようなことをたくさんして、それで俺が佐倉のことを好きだってちゃんと自覚できたなら、そのときは俺と付き合ってくれ」
「――――」
僕に押されたからではなく、ちゃんと自分の意志でそう言ってくれているのが伝わってきて。
ぽろりと一粒、僕の瞳から涙がこぼれ落ちていく。その一滴が呼び水になって、本当は泣き虫じゃない僕は、またポロポロと泣いてしまう。
「……先輩、好きです。大好きです」
「知ってるよ、そんなにアピールされちゃあな」
夏矢先輩が困ったように、でも温かく笑ってくれる。
その笑みを見て、僕は「ああ好きだな」って、馬鹿の一つ覚えみたいにそう思った。
その翌日。
善は急げと、視聴を約束していたドラマを再生する前に、夏矢先輩に切り出した。
僕の真向かいに位置して座る夏矢先輩は、突然の誘いに困ったように眉を下げた。いやがっている感じではなかったが、どう答えていいものか、ひどく迷っているみたいだった。
YESかNOか。どちらにせよすぐ返事をしてもらえると思っていた僕は、予期せぬ沈黙に激しく動揺してしまう。ドッドッドッとものすごい勢いで心臓が跳ねはじめた。
夏矢先輩は、たっぷり十分は考え込んでいた。「だ、ダメならダメで全然……」と、長い沈黙に耐えかねた僕が弱腰で二言目を告げると、「いや、ダメというより……」と、また黙ってしまう。
ダメというより何なんだ。
早く決着をつけてくれないと、口から心臓が飛び出していってしまう。指先が冷たい。ああ今、僕は、情けないほどに緊張している。
(――だってはじめて、デートのつもりで誘ってるから……)
夏矢先輩はこほん、と一つ咳払いをしてから、ひどく気まずい様子で僕に訊ねてきた。
「その前に一つ確認しておきたいんだが、佐倉は、その、俺のことが恋愛的な意味で好きだという解釈でいいのか……?」
「えッ⁉」
何の脈絡もなく突然核心に斬り込まれ、絶叫に近い声が飛び出た。
両親が家にいたら、真っ先に部屋に駆けつけてきただろうし、隣接するさっちゃんちにまで届いたのではないかというほどの大声だった。
「な、な、な、なんで……‼」
僕は両手で茹でダコのようになった顔を押さえ、激しく狼狽える。
(ど、どうして好きってバレてるの……ッ‼)
「部活の後輩として、夏矢先輩のことが大好き」というのは隠していなかったし、むしろ積極的に先輩に懐く後輩ムーブをしていたけれど。
恋愛的な意味で好きだと、特別匂わせた覚えはなくて。
僕の狼狽えっぷりに正解を察したのか、「だよなぁ」と呟きながら、夏矢先輩がぽりぽりと困ったように頬をかいた。
「……その、自慢じゃないが、それなりにモテてきた人生だったから、人が自分をどういう目で見ているのかには、結構敏感なんだ。……と言っても佐倉の場合は純粋に後輩として慕ってくれてるのか、恋愛感情も混ざってるのか、ちょっと判別がつけにくかったんだが。――さすがにそんなうるうるした目で夏祭りっていうデートみたいなことに誘われればな……」
「そ、そんなにうるうるした目、してましたか、僕」
まったく以て自覚がなかった。普通の後輩の顔をしていたつもりなのに。やはり恋は盲目。冷静な自己分析さえできなくなっていたらしい。
気持ちがダダ漏れになっていたことへの羞恥で、自然と下を向いてしまう。
ああやだな。
感情をコントロールするバーが壊れてしまったのか、泣きたくなんてなかったのに、両の瞳からポロポロと涙がこぼれ出した。
お気に入りのラグマットの上に、次から次へと小さな染みができていく。涙の跡はいずれ乾いて消えるけれど、一度明かされてしまった事実は二度と、知らなかったことにはできない。
ぐすぐすと鼻を啜りながら、「そ、そういう意味で好かれちゃって、いや、でした……?」と問うてみる。
夏矢先輩は「いやではなかった」と断言した。夏矢先輩は優しいけれど、気を遣われている感じはなかった。そのことに、ほんの少しだけ救われる。ここで変に配慮されても、ただ傷つくだけだった。
「ただ……。俺には、よくわからなくて」
次いで頭の上に降ってきた、夏矢先輩の本当に戸惑っている声がどうしようもなく気になって、顔を上げる。
へにょんと眉を下げて困り果てている夏矢先輩は、僕以上に深く思い悩んでいる様子だった。
「……わからないって、何がですか?」
ポロポロと涙をこぼしながら僕が訊ねると、夏矢先輩は奥歯に物が挟まったように、もごもごしながら答えた。
「その……、俺が佐倉を、恋愛感情を含んだ意味で好きかどうかがわからなくて……」
「…………ん?」
何か思ってたのと話の方向性が違う気がする。そう思った途端、僕の涙はピュッと止まった。
僕は「はい!」と勢いよく手を上げて質問をぶつける。
「あの、ここから先の話の展開って、いやではないけど僕の気持ちには応えられないから諦めてほしいとか、もしくは互いに冷静になるためにしばらく部活を休みにして距離を置こうとか、そういう系の話じゃないんです?」
「や、そういう話ではまったくないな」
「逆にどうしてそういう方向性の話に行くんだ?」と、夏矢先輩が愕然としているが、むしろこっちがびっくりしたい。
「じゃあ何をそんなに困ってるんですか⁉」
「いや、その、俺が佐倉をそういう意味で好きかよくわかっていないのに、夏祭りに行きましょうっていう誘いに素直に頷いていいのかわからなくて……」
「……そんなの、適当に返事すればいいのに……」
僕が弱々しく呟くと、夏矢先輩は珍しくきつく眉を寄せ、きっぱりと首を横に振って言い切った。
「それはダメだ。だって佐倉は、デートのつもりで誘ってくれたんだろう? だったらこっちも真剣に答えないと、不誠実だろう」
「…………」
睫毛にひっつく形で残っていた涙が、ぽろりぽろりとこぼれていく。ついでに僕の気持ちも滴り落ちて。
「……僕、夏矢先輩のそういうところ、すごく好きです……」
言ってしまえば所詮は高校生の恋愛だ。ノリで付き合ってノリで別れても不思議ではない歳。だから「思い出作りで夏祭りくらい行ってやるか~」と軽く片付けることもできるのに、きっとそうする人の方が多いのに、真剣に向き合ってくれようとするその姿勢が、僕はたまらなく好きなのだ。
発言の一言一言を真摯に受け止めて、誠実にキャッチボールしようとしてくれるところ。人に真剣に向き合うのは、意外と労力がいって大変なのに。
「ありがとう」と夏矢先輩が陽炎のように淡く微笑み、僕を慰めるために僕の頭に手を伸ばしかけ――数秒の逡巡の末、その手を引っ込めた。ふわふわと中途半端な状態で、変に期待させるのは悪いと思ったのだろう。
僕は再び俯き、ぐすぐすと泣いた。鳴いているうちに、悲しいのか悲しくないのか自分でもよくわからなくなってきて、でもどうしようもなく涙があふれて止まらなかった。涙腺が、馬鹿になってしまっていた。
仕方ないので泣いたまま、夏矢先輩に訊ねる。
「夏矢先輩は僕のこと、どう思ってるんですか?」
夏矢先輩は顎の下に手をやり、真剣に真剣に、夏矢先輩にしかわからない感情の言語化に取り組んでくれる。
「佐倉が俺にとってかわいい後輩であることは間違いなくて、」
「はい」
「俺を見るたびに、小犬みたいにブンブン尻尾を振って寄ってきてくれるのはすごく嬉しいし、かわいいと思う」
客観的に見ても尻尾がブンブンだったんだ……と思うと叫び出したいほど恥ずかしくなったが、同時に本気でかわいいと思ってくれている温度がそこには存在していて、なんか、脈ありっぽい気がする、と淡い期待に顔を上げる。
夏矢先輩は思い悩むように目を伏せ、顎を触ったまま、懸命に言葉を絞り出す。
「……それに最近、佐倉の幼馴染みの……さっちゃんくんのことを考えるたびに面白くない気がしていて」
「……夏矢先輩とさっちゃん、ほとんど接触ないですよね?」
だってさっちゃんが僕のために、懇切丁寧に夏矢先輩を避けているから。
二人の接触はたった一回。さっちゃんがスイカのお裾分けを持ってきてくれたときに、帰宅しようとしていた夏矢先輩とかち合ってしまったあのときだけだ。
「ああ、ない、けど」と夏矢先輩がどこか複雑そうな表情で頷く。その表情に、僕の胸の中で芽生えた期待の芽が、また少し大きくなる。
「……少し前に、佐倉の家の前でさっちゃんくんに遭遇しただろ?」
「はい」
夏矢先輩が、そのときの気持ちを正直に吐露する。先輩の中でもまだ整理のついていないらしい、不透明でぐちゃぐちゃな気持ちを。
「……ものすごいイケメンだったから、正直かなり動揺した。あんなかっこいい子が佐倉の幼馴染みなんだ、家族同然に仲が良いんだって思ったら、胸がもやもやしたよ。あのときからずっと、さっちゃんくんのことが引っかかってる」
「せんぱ、」
「でもこのもやもやが、単純に仲の良い後輩を取られた気がしてもやもやするのか、佐倉が好きで気になってるからもやもやするのか、今まで誰にも恋したことがないからわからなくて……」
「先輩! それは、恋です‼」
僕はすっくと立ち上がって、恋の押し売りを開始した。
夏矢先輩の自覚のない「好き」が、僕の胸を侵食してきている。ほわほわと甘酸っぱい気持ちが、真正面からダイレクトに伝わってくる。
ねぇ夏矢先輩、あなたは絶対僕のことが好きだってば。
だからもうこれは、言いくるめた方が勝ちだ。
恥ずかしいから桃色に染まった頬には気づかれませんようにと願いながら、僕は夏矢先輩の腕を取って起立させ、ずずいと夏矢先輩に迫った。
「夏矢先輩は今、僕に恋してます‼」
「そ、そうか……?」
僕の勢いに気圧されたように、夏矢先輩が思わず、といった調子で一歩後退ったけれど、絶対に逃がしてなんてあげない。
だって本当に、本当に、絶対誰にもあげたくないくらいに大好きなんだもん。人類一、いや宇宙一愛している。
だからチャンスがあるならちゃんと掴んでものにする。でないと一生後悔するのが目に見えている。
「少女漫画でもよくあるじゃないですか! 突然現われたイケメン幼馴染みに動揺するなんて、それは恋以外の何物でもありません! ただの後輩としか思ってなかったら、『佐倉にはこんないい幼馴染みがいるんだな。よかったな』で終わりです! 先輩はさっちゃんに嫉妬したからもやもやしたんです! つまりいいですか、先輩! 『これは恋!』はい、リピートアフターミー!」
「こ、これは恋……! いやしかしな、佐倉、」
「なんですか、夏矢先輩!」
ここまで来て、まだ抵抗しようとするなんて! もう大人しく流されていてほしい。大丈夫、僕が絶対あなたのこと、宇宙一幸せにしてみせるから。
僕にはその覚悟があるのに、それでも夏矢先輩はいやいやと、及び腰で首を振る。
「俺はおまえに恋してもらえるような立派な人間じゃなくて、すごく情けない男、」
なんだ、という夏矢先輩の声に、覆いかぶせる。
「正真正銘立派な人間なんてまず存在しないから大丈夫です!」
派手な外見の割にはおっとり感が抜け切っていない、中身淑女な先輩の「立派な人間じゃない」発言なんか当てにならない。
大体僕だって色々隠してる。僕の過去の出来事を知ったら、夏矢先輩はきっと絶句してしまう。
「そ、そうかもな……?」
僕に押し切られかけ、夏矢先輩が納得した……ように首を傾ける。
ここだ、もう一押し!
けれど勢い込んで喋っていたせいで、はあ、はあ。さすがにちょっと疲れてしまって黙り込んだ。
ほんの少しの沈黙のあと、僕はそっと夏矢先輩に手を伸ばし、その指先にちょんと触れた。温かい。……いきなり触られたことに驚いたように、夏矢先輩が身を震わせる。けれど振り払おうとはしなかった。
だからまた、期待の芽が成長してしまう。
「……僕にこうやって触られるの、いやですか?」
「……いや、ではないな」
動揺で上擦った声。
「……じゃあ、これは?」
今度はもっと大胆に、ぎゅっと手を繋いでみる。それも互いの指と指を絡み合わせる、俗に言う「恋人繋ぎ」の形で。
「さく、ら……」
先輩の声がますます上擦って、かすれる。
「これはさすがに、気持ち悪い?」
夏矢先輩がふるりふるりと無言で首を横に振る。はじめて異性と触れ合う無垢な乙女のように、頬を真っ赤に染めながら。
でも知ってる。僕だって今、首まで真っ赤。だってはじめてなんだもの、こんなこと。
頑張れ頑張れ佐倉ささね、ここまで来たら、もう一押し。
自分で自分を鼓舞して、僕は夏矢先輩の茶色っぽい黒の瞳を覗き込んだ。夏矢先輩の綺麗な瞳に映る僕の目はうるうるしていて、どうしようもない好きがあふれていた。
「……これ、が、いやじゃないなら、ひとまず僕と夏祭りに行きましょう」
「…………」
「夏祭りに行って、思いっ切り恋人っぽいことをして、それがいやじゃなかったら、僕とお付き合いして下さ――」
「待ってくれ」
夏矢先輩が慌てて僕の言葉を遮った。遮られたことに、僕が絶望しかけたのも束の間。
夏矢先輩が今までに見たことがないくらいの真剣な表情で、僕の目を見つめて告白してきた。
「佐倉と夏祭りに行って、カップルがするようなことをたくさんして、それで俺が佐倉のことを好きだってちゃんと自覚できたなら、そのときは俺と付き合ってくれ」
「――――」
僕に押されたからではなく、ちゃんと自分の意志でそう言ってくれているのが伝わってきて。
ぽろりと一粒、僕の瞳から涙がこぼれ落ちていく。その一滴が呼び水になって、本当は泣き虫じゃない僕は、またポロポロと泣いてしまう。
「……先輩、好きです。大好きです」
「知ってるよ、そんなにアピールされちゃあな」
夏矢先輩が困ったように、でも温かく笑ってくれる。
その笑みを見て、僕は「ああ好きだな」って、馬鹿の一つ覚えみたいにそう思った。
