……当初は週三回の予定だった部活は、夏休みに二週目に突入するころには、週五にまで増えていた。つまり両親が家にいる土日以外は、朝十時ごろから夕方四時頃まで真壁先輩と一緒にいる。
なぜこんな過剰供給が発生したかというと、第一に、真壁先輩にも僕にも予定らしい予定がなくて暇だったこと。
第二に、そしてこれが最たる理由だが――真壁先輩のご家族が「夏矢が楽しそうだから」と、送迎回数の増加を申し出てくれたからだ。
……いや、この表現はちょっと嘘。実際には「佐倉くんさえ良かったら、夏矢ともっと一緒にいて遊んであげてくれないかな? 夏矢は他に親しい子いないし、家族といるときよりもずっとずっと楽しそうだから」と、真壁先輩のお兄さんとお姉さんに両手を握られて懇願された。
真壁先輩のことが好きな僕としては願ったり叶ったりの申し出だったが、お兄さんとお姉さんのあの真剣な、そしてどこか縋るような態度には、正直言って驚かされた。
少しだけ歳が離れているというのも影響しているだろうけれど、真壁先輩のご兄姉は、真壁先輩のことをやけに心配しているように見えた。
まあ弟が学校で他人を拒絶しまくっていると聞けば、案じずにはいられないのかもしれないけど。
ちなみに真壁先輩のお兄さんは真壁先輩とは少々タイプの違う優男風味の美男子で、お姉さんは絵に描いたように華やかなりし美女だった。
さて、少し話が逸れてしまったが、こんなふうに毎日会っていれば、否応なしに距離はぐっと縮まっていく。
絶対に仲の良い先輩後輩の関係にはなれた、という確信を持った僕が勇気を出して「夏矢先輩って、下の名前で呼んでいいですか?」と訊いてみたところ、「全然いいぞ」とあっさり承諾してくれたので、僕は最近真壁先輩ではなく「夏矢先輩」と呼んでいる。
下の名前で呼ぶことを許可してもらったときは、まさに天にも昇る気持ちだった。まだ全然僕の片想いなんだけども。
そう思うと、気分は一気に急降下していく。
こんなに毎日会っているのに、夏矢先輩のことが掴めなくて困惑する。
……夏矢先輩は、優しい。学校の中では唯一、僕にだけ。
特別な立ち位置にいる自分に浮かれ切ってしまえれば幸せなのだろうけど、でも知っている。理由があって人を遠ざけているだけで、夏矢先輩は本来誰にでも優しくできる人だ。
人の優しさの上限を十だとすれば、誰にも素で八優しくできる人。でなければいきなり飛び込んできた闖入者の僕に、あれだけ親切にすることはできまい。
夏矢先輩は僕の特別だけど。
僕が夏矢先輩の特別だから夏矢先輩に優しくしてもらえているのか、それとも素の夏矢先輩の優しさレベルが高いというだけの話なのか。
(……後者だと思うんだよねぇ。夏矢先輩ってたぶん、恋愛に対する興味が限りなく薄い人だから……)
そう思うのには根拠がある。
これだけ頻繁に会っていて色んなことを話しているのに、一回も恋愛の話題になったことがないのだ。
たとえ恋人がいなくても、どういうタイプが好きか、とか、どういう仕草がぐっとくるかとか、そういう盛り上がる恋愛ネタはこの世に山ほどあるけれど、意識が恋愛に向いていないのだろう。夏矢先輩の口から恋愛に結びつく話が出たことは一回もない。
どういうタイプが好きなのか、探りを入れてみたくはあるけれど、嘘が苦手すぎるので、僕の方からも恋愛面の話題を振ることができず、僕の恋は硬直していた。
ここからどう動いて良いかわからない。
そしてもう一つ、僕の中でざらついていること。
一応、「日焼け絶許部」の活動をするという名目で集まっていたので、夏矢先輩と僕は基本的にずっと僕の部屋で過ごしていた。
クーラーの効いた部屋で顔を突き合わせて宿題するのも、部屋でだらだら『ウェイブズ』のライブDVDを見たりゲームしたり、協力して昼食を作ったりするのはこれ以上なく楽しかった。
時々は夏矢先輩のご家族が気を遣ってくれて、車でショッピングモールやら映画やら水族館に連れて行ってくれ、さらにありがたいことに色々奢ってくれた。
贅沢すぎるほど最高の夏なのはわかっていたが、「たまには外で遊んでみたい」という願望が消えてくれない。
この場合の「外」とはショッピングモールとか映画とか水族館とかそういう屋根のある建物じゃなくて、屋外の――海とか屋外プールとか、そういうれっきとした野外に行ってみたいのだ。
なぜなら部室で、太陽を燦々と浴びながらグラウンドの方を見つめている夏矢先輩の姿が頭に焼きついて離れない。
日焼け絶許部部員としてはあるまじきことかもしれないけど。
(……太陽光って、やっぱり綺麗なんだよねぇ)
天然のスポットライトを浴びて輝く夏矢先輩の姿を見たいと強く思う。
でも夏矢先輩の家の車の窓や、真壁先輩のご家族が徹底して日光を浴びないで済む場所を選んで連れて行ってくれていることを思うと、とてもじゃないが気軽に日の下には誘えない。
夏矢先輩のことだから、誘えばきっと「いいぞ」と返事してくれるんだろうけど。好きだからこそ、夏矢先輩の焼けたくないという気持ちを尊重したいと思う。相反する気持ちがぐるぐるぐるぐる、心の中でせめぎ合う。
う~ん、う~んと連日密かに頭を悩ませていた僕に、光明の光を与えてくれたのはさっちゃんだった。
――夏矢先輩に気を遣っているのだろう。夏矢先輩がうちに来ているときは、さっちゃんは決して我が家を訪れようとしない。
ではこの夏休み期間中まったく会っていないのかと言われればそんなことはなく、夏矢先輩が帰ったあとでうちに来たり、僕がさっちゃんのもとを訪れたり、土日は一緒に買い物に行ったり。さっちゃんとはそんな感じで過ごしている。
……そういえば、一回スイカのお裾分けに来てくれたさっちゃんと、帰ろうとして玄関から出たばかりの夏矢先輩とが家の玄関前で鉢合わせてしまったことがあるけれど、別に三角関係でもなんでもないので、たださっちゃんを紹介して終わった。僕の幼馴染みだからか、夏矢先輩はガン無視せず普通に挨拶してくれたが、さっちゃんは死ぬほど気まずそうに受け答えしていた。
――そんなお盆直後の平日、夜。
この日はさっちゃんと、面倒で難しい宿題を一緒に片付ける約束をしていた。
僕もさっちゃんも勉強はあまり得意な方ではないけれど、二人でやればきっとなんとかなるだろう。一緒に励み合ったおかげで、高校受験も無事乗り越えられたわけだし。
集合場所は僕の部屋。
向かい合わせの形でローテーブルにつき、あーでもないこーでもないと言いながら、カリカリシャーペンを走らせる。
「今日はここまで終わらせようね」と約束していた目標ページの三分の二に届いたとき、このときを待っていたかのように、さっちゃんが唐突に切り出してきた。
「ただの確認だけどよ、」
「うん、なぁに、さっちゃん」
問いかけてきたくせに、さっちゃんは僕ではなく問題集の方に視線を落としたままで、その上つまらなそうにクルクルとシャーペンを回していた。
さっちゃんがこういう仕草をしているとき、それすなわち、不安や緊張で気持ちが落ち着かないときだ。
だから僕も何を言われるのだろうと、内心構えたけれど、さっちゃんの口から飛び出してきたのは予想だにしない言葉だった。
「おまえ、今年の夏祭り、一緒には行かねぇよな」
「夏祭り……」
飛び出してきた意外すぎる単語に、僕は軽く目を見開いて、しみじみと言う。
「……そっかぁ。もうそんな時期なんだね」
「今年は来週だな。来週の日曜」
毎年隣町で行われる夏祭り。中学校のグラウンドを使って開催される祭りの規模は小さいが、佐倉家と佐築家の恒例行事だ。
僕たちが幼いときは双方の家族全員で、中学生に上がってからは、「早めに帰る」という約束で、僕とさっちゃんとそれからりゅーくんの三人だけで参加していた。……去年は例の出来事の直後で、それどころではなくて、行くことは叶わなかったのだけれど。
綿あめ、焼きそば、かき氷。フランクフルトにチョコバナナ。ヨーヨーすくいにリンゴ飴。それから射的に金魚すくい……。
夏祭りを象徴する魅惑の露店の光景が、次々と脳裏に浮かびだす。
暗い夜、煌々と輝く月とライトに照らされて人が浮かれ騒ぐさまは、嫌いじゃなかった。
……うぅん、嘘。かなり好きだ。だってあのお祭りには、楽しい思い出がぎゅぎゅぎゅぎゅって詰まってる。
さっちゃんが、言い訳するように言葉を重ねた。
「りゅーがさ、うるさいんだよ。……ほら、去年行けなかったから、今年は絶対行くんだって。で、おまえは一緒に行くのか訊いてこいって。……でも行かねぇよな? 真壁先輩がいるから」
「……え、なんで? 夏矢先輩とは特に約束してないよ?」
どうしてそんなことを訊かれるのかわからなくて、きょとんとしてしまう。
夏祭りがあることさえ忘れていたくらいなのだ。誘うなんてもちろんしていない。
するとさっちゃんこそ呆気に取られたような顔になり、そして次の瞬間には厳しい表情をした。ついでに「馬鹿」と本気で罵られる。
「おまえさ、夏祭りくらい誘っとけよ! デートの定番だろうが! 好きなやつの傍にいるだけで相手が振り向いてくれるなんて、そんな甘っちょろいこと考えてんなよ? 自主的に動く努力をしろ! ほしいやつは全力で落としに行かねぇと、自動的に両想いになる奇跡なんてこの世にねぇんだからな?」
「なに急に熱く語り出してるの? さっちゃん。僕の知らないうちに恋愛アドバイザーに転職でもしたの?」
僕がジトっとした目でさっちゃんを睨み上げると、さっちゃんは軽い調子で首を横に振った。
「いやぁ? 最近暇すぎて乙女ゲーしてんだよ」
「マジか、さっちゃん」
今のこの瞬間まで、この僕でさえ知らなかったんだけど。暇を極めた挙げ句に乙女ゲーって、一体どんな思考回路辿ればそこに行き着くんだろ。気になるけど、それよりも気になることがあって。
「……てかさ」
「うん? なんだよ」
シャーペン回しをやめたさっちゃんに代わって、今度は僕が俯き気味にシャーペンをくるくると回す。
「……なんかさっちゃん、妙に協力的じゃない?」
「…………ああ? 最初から反対はしてなかっただろ」
さっちゃんのシャーペンも、またくるくる回りはじめる。視線は微妙に合わないまま。
「そりゃそうだけど、」
「……だけど?」
「幼馴染みの初恋相手が男って、正直ちょっと驚かなかった?」
多様性が認められつつある時代だし、中学時代にはさっちゃんとの仲をしつこく疑われたこともあるけれど。
さっちゃんが本当はどう思っているのかは、ずっと気になっていた。
途端、さっちゃんがすっとテーブルにシャーペンを置いた。そして嘘ではないことを主張するように、僕の目を真正面から覗き込んでくる。揺るぎなく、強い黒の瞳。
「――別に、いいよ。相手が男でも女でも。おまえが心から好きだって思えたんなら、それで。誰が相手でも、全力で祝福してやるよ」
「……さっちゃん」
さすがの僕でも、少しうるっときた。
「おまえさぁ、昔から、こっちが心配になるくらい他人に無関心だったじゃん」
「……だって興味ないんだもん……」
それに半分は、さっちゃんがいたせいだ。さっちゃんがいれば、他には誰も要らなかった。全然違う性格をしているのに、根本のところががっちり噛み合ってしまっていて。
中学のころは頑張って僕以外と交流していたさっちゃんと違い、僕は中学のころからさっちゃん以外と交流するのをやめていた。……その意味では、僕と夏矢先輩は少し似ていて。
「だから、まあ、嬉しいよ。おまえに心から好きな相手ができて。……俺はおまえの半分だけど、半分だから、そういう意味ではおまえを愛してやれないし。半分って言っても、所詮別個体の人間だからさ。いつか道は別れるだろうし、そしたら死ぬまで隣にいてやることもできないし。だから、おまえの『好き』が増えていくのは純粋に嬉しいよ。おまえに対する心配が、少しずつ消えていくから。――まさかおまえが、俺とほぼ同じ男を選ぶとは思ってなかったけどな」
最後だけ茶化しに走ったさっちゃんを、僕はきっと睨み上げる。片方の目からぽろりと涙がこぼれ落ちていったけど、優しいさっちゃんは見ないふりをしてくれた。
「出た、またそのなぞなぞ。いい加減答え教えてよ!」
「ヤだわ。……あ、いや、おまえが真壁先輩と夏祭り行けたら教えてやってもいい」
「はぁ~~~~⁉ 何それ! てかそもそも、日焼け対策に命かけてる夏矢先輩を太陽の下に引きずり出すのは――」
そこまで言って、ハッとした。
夏祭りの開催時間は夕方から夜にかけて。夏矢先輩を一番光り輝かせてくれる、朝や昼の透明な日差しの中で先輩を見ることは叶わないけれど、太陽が隠れはじめる時間帯だから、真っ昼間よりは断然誘いやすい。
それに、鮮烈な夕陽を浴びる夏矢先輩は夏矢先輩でイイ。とびきりエモーショナルだ。
「さっちゃん天才か⁉」
僕は興奮のあまり手を叩いた。
褒められて嬉しいくせに、さっちゃんはあくまでもクールを装って言う。
「おまえが抜けてるだけだろ。……りゅーも大体察してるから、りゅーには俺から断っとくな」
「うん、ありがと」
やっぱり持つべきものは、大事な幼馴染みだ。
綿あめリンゴ飴、かき氷。焼きそば、チョコバナナにヨーヨーすくい……。
楽しいお祭り、夏祭り。
勇気を振り絞って誘ったら、夏矢先輩はOKをくれるだろうか。
なぜこんな過剰供給が発生したかというと、第一に、真壁先輩にも僕にも予定らしい予定がなくて暇だったこと。
第二に、そしてこれが最たる理由だが――真壁先輩のご家族が「夏矢が楽しそうだから」と、送迎回数の増加を申し出てくれたからだ。
……いや、この表現はちょっと嘘。実際には「佐倉くんさえ良かったら、夏矢ともっと一緒にいて遊んであげてくれないかな? 夏矢は他に親しい子いないし、家族といるときよりもずっとずっと楽しそうだから」と、真壁先輩のお兄さんとお姉さんに両手を握られて懇願された。
真壁先輩のことが好きな僕としては願ったり叶ったりの申し出だったが、お兄さんとお姉さんのあの真剣な、そしてどこか縋るような態度には、正直言って驚かされた。
少しだけ歳が離れているというのも影響しているだろうけれど、真壁先輩のご兄姉は、真壁先輩のことをやけに心配しているように見えた。
まあ弟が学校で他人を拒絶しまくっていると聞けば、案じずにはいられないのかもしれないけど。
ちなみに真壁先輩のお兄さんは真壁先輩とは少々タイプの違う優男風味の美男子で、お姉さんは絵に描いたように華やかなりし美女だった。
さて、少し話が逸れてしまったが、こんなふうに毎日会っていれば、否応なしに距離はぐっと縮まっていく。
絶対に仲の良い先輩後輩の関係にはなれた、という確信を持った僕が勇気を出して「夏矢先輩って、下の名前で呼んでいいですか?」と訊いてみたところ、「全然いいぞ」とあっさり承諾してくれたので、僕は最近真壁先輩ではなく「夏矢先輩」と呼んでいる。
下の名前で呼ぶことを許可してもらったときは、まさに天にも昇る気持ちだった。まだ全然僕の片想いなんだけども。
そう思うと、気分は一気に急降下していく。
こんなに毎日会っているのに、夏矢先輩のことが掴めなくて困惑する。
……夏矢先輩は、優しい。学校の中では唯一、僕にだけ。
特別な立ち位置にいる自分に浮かれ切ってしまえれば幸せなのだろうけど、でも知っている。理由があって人を遠ざけているだけで、夏矢先輩は本来誰にでも優しくできる人だ。
人の優しさの上限を十だとすれば、誰にも素で八優しくできる人。でなければいきなり飛び込んできた闖入者の僕に、あれだけ親切にすることはできまい。
夏矢先輩は僕の特別だけど。
僕が夏矢先輩の特別だから夏矢先輩に優しくしてもらえているのか、それとも素の夏矢先輩の優しさレベルが高いというだけの話なのか。
(……後者だと思うんだよねぇ。夏矢先輩ってたぶん、恋愛に対する興味が限りなく薄い人だから……)
そう思うのには根拠がある。
これだけ頻繁に会っていて色んなことを話しているのに、一回も恋愛の話題になったことがないのだ。
たとえ恋人がいなくても、どういうタイプが好きか、とか、どういう仕草がぐっとくるかとか、そういう盛り上がる恋愛ネタはこの世に山ほどあるけれど、意識が恋愛に向いていないのだろう。夏矢先輩の口から恋愛に結びつく話が出たことは一回もない。
どういうタイプが好きなのか、探りを入れてみたくはあるけれど、嘘が苦手すぎるので、僕の方からも恋愛面の話題を振ることができず、僕の恋は硬直していた。
ここからどう動いて良いかわからない。
そしてもう一つ、僕の中でざらついていること。
一応、「日焼け絶許部」の活動をするという名目で集まっていたので、夏矢先輩と僕は基本的にずっと僕の部屋で過ごしていた。
クーラーの効いた部屋で顔を突き合わせて宿題するのも、部屋でだらだら『ウェイブズ』のライブDVDを見たりゲームしたり、協力して昼食を作ったりするのはこれ以上なく楽しかった。
時々は夏矢先輩のご家族が気を遣ってくれて、車でショッピングモールやら映画やら水族館に連れて行ってくれ、さらにありがたいことに色々奢ってくれた。
贅沢すぎるほど最高の夏なのはわかっていたが、「たまには外で遊んでみたい」という願望が消えてくれない。
この場合の「外」とはショッピングモールとか映画とか水族館とかそういう屋根のある建物じゃなくて、屋外の――海とか屋外プールとか、そういうれっきとした野外に行ってみたいのだ。
なぜなら部室で、太陽を燦々と浴びながらグラウンドの方を見つめている夏矢先輩の姿が頭に焼きついて離れない。
日焼け絶許部部員としてはあるまじきことかもしれないけど。
(……太陽光って、やっぱり綺麗なんだよねぇ)
天然のスポットライトを浴びて輝く夏矢先輩の姿を見たいと強く思う。
でも夏矢先輩の家の車の窓や、真壁先輩のご家族が徹底して日光を浴びないで済む場所を選んで連れて行ってくれていることを思うと、とてもじゃないが気軽に日の下には誘えない。
夏矢先輩のことだから、誘えばきっと「いいぞ」と返事してくれるんだろうけど。好きだからこそ、夏矢先輩の焼けたくないという気持ちを尊重したいと思う。相反する気持ちがぐるぐるぐるぐる、心の中でせめぎ合う。
う~ん、う~んと連日密かに頭を悩ませていた僕に、光明の光を与えてくれたのはさっちゃんだった。
――夏矢先輩に気を遣っているのだろう。夏矢先輩がうちに来ているときは、さっちゃんは決して我が家を訪れようとしない。
ではこの夏休み期間中まったく会っていないのかと言われればそんなことはなく、夏矢先輩が帰ったあとでうちに来たり、僕がさっちゃんのもとを訪れたり、土日は一緒に買い物に行ったり。さっちゃんとはそんな感じで過ごしている。
……そういえば、一回スイカのお裾分けに来てくれたさっちゃんと、帰ろうとして玄関から出たばかりの夏矢先輩とが家の玄関前で鉢合わせてしまったことがあるけれど、別に三角関係でもなんでもないので、たださっちゃんを紹介して終わった。僕の幼馴染みだからか、夏矢先輩はガン無視せず普通に挨拶してくれたが、さっちゃんは死ぬほど気まずそうに受け答えしていた。
――そんなお盆直後の平日、夜。
この日はさっちゃんと、面倒で難しい宿題を一緒に片付ける約束をしていた。
僕もさっちゃんも勉強はあまり得意な方ではないけれど、二人でやればきっとなんとかなるだろう。一緒に励み合ったおかげで、高校受験も無事乗り越えられたわけだし。
集合場所は僕の部屋。
向かい合わせの形でローテーブルにつき、あーでもないこーでもないと言いながら、カリカリシャーペンを走らせる。
「今日はここまで終わらせようね」と約束していた目標ページの三分の二に届いたとき、このときを待っていたかのように、さっちゃんが唐突に切り出してきた。
「ただの確認だけどよ、」
「うん、なぁに、さっちゃん」
問いかけてきたくせに、さっちゃんは僕ではなく問題集の方に視線を落としたままで、その上つまらなそうにクルクルとシャーペンを回していた。
さっちゃんがこういう仕草をしているとき、それすなわち、不安や緊張で気持ちが落ち着かないときだ。
だから僕も何を言われるのだろうと、内心構えたけれど、さっちゃんの口から飛び出してきたのは予想だにしない言葉だった。
「おまえ、今年の夏祭り、一緒には行かねぇよな」
「夏祭り……」
飛び出してきた意外すぎる単語に、僕は軽く目を見開いて、しみじみと言う。
「……そっかぁ。もうそんな時期なんだね」
「今年は来週だな。来週の日曜」
毎年隣町で行われる夏祭り。中学校のグラウンドを使って開催される祭りの規模は小さいが、佐倉家と佐築家の恒例行事だ。
僕たちが幼いときは双方の家族全員で、中学生に上がってからは、「早めに帰る」という約束で、僕とさっちゃんとそれからりゅーくんの三人だけで参加していた。……去年は例の出来事の直後で、それどころではなくて、行くことは叶わなかったのだけれど。
綿あめ、焼きそば、かき氷。フランクフルトにチョコバナナ。ヨーヨーすくいにリンゴ飴。それから射的に金魚すくい……。
夏祭りを象徴する魅惑の露店の光景が、次々と脳裏に浮かびだす。
暗い夜、煌々と輝く月とライトに照らされて人が浮かれ騒ぐさまは、嫌いじゃなかった。
……うぅん、嘘。かなり好きだ。だってあのお祭りには、楽しい思い出がぎゅぎゅぎゅぎゅって詰まってる。
さっちゃんが、言い訳するように言葉を重ねた。
「りゅーがさ、うるさいんだよ。……ほら、去年行けなかったから、今年は絶対行くんだって。で、おまえは一緒に行くのか訊いてこいって。……でも行かねぇよな? 真壁先輩がいるから」
「……え、なんで? 夏矢先輩とは特に約束してないよ?」
どうしてそんなことを訊かれるのかわからなくて、きょとんとしてしまう。
夏祭りがあることさえ忘れていたくらいなのだ。誘うなんてもちろんしていない。
するとさっちゃんこそ呆気に取られたような顔になり、そして次の瞬間には厳しい表情をした。ついでに「馬鹿」と本気で罵られる。
「おまえさ、夏祭りくらい誘っとけよ! デートの定番だろうが! 好きなやつの傍にいるだけで相手が振り向いてくれるなんて、そんな甘っちょろいこと考えてんなよ? 自主的に動く努力をしろ! ほしいやつは全力で落としに行かねぇと、自動的に両想いになる奇跡なんてこの世にねぇんだからな?」
「なに急に熱く語り出してるの? さっちゃん。僕の知らないうちに恋愛アドバイザーに転職でもしたの?」
僕がジトっとした目でさっちゃんを睨み上げると、さっちゃんは軽い調子で首を横に振った。
「いやぁ? 最近暇すぎて乙女ゲーしてんだよ」
「マジか、さっちゃん」
今のこの瞬間まで、この僕でさえ知らなかったんだけど。暇を極めた挙げ句に乙女ゲーって、一体どんな思考回路辿ればそこに行き着くんだろ。気になるけど、それよりも気になることがあって。
「……てかさ」
「うん? なんだよ」
シャーペン回しをやめたさっちゃんに代わって、今度は僕が俯き気味にシャーペンをくるくると回す。
「……なんかさっちゃん、妙に協力的じゃない?」
「…………ああ? 最初から反対はしてなかっただろ」
さっちゃんのシャーペンも、またくるくる回りはじめる。視線は微妙に合わないまま。
「そりゃそうだけど、」
「……だけど?」
「幼馴染みの初恋相手が男って、正直ちょっと驚かなかった?」
多様性が認められつつある時代だし、中学時代にはさっちゃんとの仲をしつこく疑われたこともあるけれど。
さっちゃんが本当はどう思っているのかは、ずっと気になっていた。
途端、さっちゃんがすっとテーブルにシャーペンを置いた。そして嘘ではないことを主張するように、僕の目を真正面から覗き込んでくる。揺るぎなく、強い黒の瞳。
「――別に、いいよ。相手が男でも女でも。おまえが心から好きだって思えたんなら、それで。誰が相手でも、全力で祝福してやるよ」
「……さっちゃん」
さすがの僕でも、少しうるっときた。
「おまえさぁ、昔から、こっちが心配になるくらい他人に無関心だったじゃん」
「……だって興味ないんだもん……」
それに半分は、さっちゃんがいたせいだ。さっちゃんがいれば、他には誰も要らなかった。全然違う性格をしているのに、根本のところががっちり噛み合ってしまっていて。
中学のころは頑張って僕以外と交流していたさっちゃんと違い、僕は中学のころからさっちゃん以外と交流するのをやめていた。……その意味では、僕と夏矢先輩は少し似ていて。
「だから、まあ、嬉しいよ。おまえに心から好きな相手ができて。……俺はおまえの半分だけど、半分だから、そういう意味ではおまえを愛してやれないし。半分って言っても、所詮別個体の人間だからさ。いつか道は別れるだろうし、そしたら死ぬまで隣にいてやることもできないし。だから、おまえの『好き』が増えていくのは純粋に嬉しいよ。おまえに対する心配が、少しずつ消えていくから。――まさかおまえが、俺とほぼ同じ男を選ぶとは思ってなかったけどな」
最後だけ茶化しに走ったさっちゃんを、僕はきっと睨み上げる。片方の目からぽろりと涙がこぼれ落ちていったけど、優しいさっちゃんは見ないふりをしてくれた。
「出た、またそのなぞなぞ。いい加減答え教えてよ!」
「ヤだわ。……あ、いや、おまえが真壁先輩と夏祭り行けたら教えてやってもいい」
「はぁ~~~~⁉ 何それ! てかそもそも、日焼け対策に命かけてる夏矢先輩を太陽の下に引きずり出すのは――」
そこまで言って、ハッとした。
夏祭りの開催時間は夕方から夜にかけて。夏矢先輩を一番光り輝かせてくれる、朝や昼の透明な日差しの中で先輩を見ることは叶わないけれど、太陽が隠れはじめる時間帯だから、真っ昼間よりは断然誘いやすい。
それに、鮮烈な夕陽を浴びる夏矢先輩は夏矢先輩でイイ。とびきりエモーショナルだ。
「さっちゃん天才か⁉」
僕は興奮のあまり手を叩いた。
褒められて嬉しいくせに、さっちゃんはあくまでもクールを装って言う。
「おまえが抜けてるだけだろ。……りゅーも大体察してるから、りゅーには俺から断っとくな」
「うん、ありがと」
やっぱり持つべきものは、大事な幼馴染みだ。
綿あめリンゴ飴、かき氷。焼きそば、チョコバナナにヨーヨーすくい……。
楽しいお祭り、夏祭り。
勇気を振り絞って誘ったら、夏矢先輩はOKをくれるだろうか。
