昼休みになると、佐野は「じゃあ」と俺に手を振って教室から出て行った。
佐野には最近彼女ができた。B組の小川理恵奈という女子だ。
「いいよな、普通科の奴らは気楽で」なんて言うくせに、普通科の彼女にメロメロなのだ。
昼休みは理恵奈と二人、空き教室でランチタイムを満喫している。
あぶれた俺は生徒会室で一人、弁当を食べる。別に寂しいとは思わない。
やらなければならない生徒会の仕事があるので、むしろ好都合だ。
誰かといると正直、息が詰まる。
昔から俺の心の奥にはそういう感覚がある。
今朝は母に「たまには学食で食べるから」と説明して、弁当の代わりに1000円札を受け取った。
食欲がないのに弁当を食べるのがきついから嘘をついたのだ。
廊下のパンの購買に生徒の群れができている。
俺は体育館の裏を目指して、渡り廊下を歩き始めた。
本当に熊澤は来ているだろうか。
体育館の陰に目をやった。
裏口の階段に投げ出した長い足が見える。
胸がドクンと高鳴る。
この位置からではせり出したコンクリート柱が邪魔で、顔が見えない。
俺は上履きのまま、そこまで歩いて行った。
足の主はやっぱり熊澤だ。
「ん。来たか」
俺を見て、ほとんど寝転がるようなだらしのない体勢を起こして座り直した。
なにを言われるのだろう。緊張に手が汗ばむ。
「昨日は眠れたか?」
「……あんまり」
ほとんどため息のような声で俺は答えた。
「もう昼めしは食ったのか?」
遺体に関する話が始まるかと思ったのに、熊澤はのんびりとした口調でそう言った。
どういうつもりなのだろう。正直、心境が理解できない。
俺は返事をせずに熊澤を睨みつけた。
「あんたは何を考えているんだ。……俺の弱み握って、どうするつもりだよ?」
じれったくなり、つい、棘のある言葉が出てしまった。
熊澤の顔がわずかに強張る。
まずい、怒らせたら終わりだ。
「あ?」
熊澤はポカンと口を開けて、俺の目を見た。
「なにが、目当てだ……?」
俺の声は震えていた。
渇いた喉へ唾液を飲み込む。
熊澤は薄く開いた唇からふぅと息を吐き出した。
「目当てねぇ……」
そう呟いてにやりと笑った。
恐怖に俺の背筋がゾクッと震える。
「何も求めてないっつったら、そりゃ嘘だわな……」
ドキリと胸が跳ねた。この男はやっぱり何かを要求する気でいたんだ。
動揺する俺の顔を、熊澤が静かに観察する。
「頼みがあるんだ」
頼みだと? 一体どんな頼みだ。
熊澤が静かに立ちあがった。
向かい合うとやっぱりデカい。
俺だって170センチあるけど、熊澤は190センチ以上あるのだろう。
喧嘩になったらまず敵わない。
熊澤は一歩詰め寄り、俺に顔を近づけた。
「お前さぁ、俺と……」
熊澤が俺の耳へ唇を近づける。
俺の心臓がドクドクと音を立てた。
怖くてたまらない。
「友達になってくれよ」
すぐにはピンと来なかった。
「と、……友達っ!?」
「ああ、そうだ」
熊澤の目は真剣だった。
あの怖い熊澤が、がり勉の俺と友達になりたい?
そんなこと、普通あるか?
――やっぱり熊澤は”豪くん”なんじゃないか。
俺は思い切って聞いてみた。
「もしかして……子供の頃、一緒に遊んだ?」
熊澤は一瞬だけ黙った。
「……ああ」
彼が幼なじみだとわかった瞬間、さっきまでの恐怖が嘘みたいに薄れていった。
「なんだ、豪くんだったのか! もしかしてとは思ってたんだ」
熊澤が”豪くん”だったなんて。
それに俺とまた友達になりたいと思ってくれていたとは。
嬉しくてたまらない。
俺は彼の体に腕を回してギュッと抱きついた。
筋肉質でずっしりと分厚い。懐かしい感触だ。相変わらず逞しいんだな。
「お、おいっ」
熊澤が困惑したような声を上げた。
「ねえ、覚えてる? 砂場で山作って、トンネルを掘ったのを」
彼の目を見ると、優しい眼差しで俺を見ていた。
夢で見たように昔と一緒の瞳だ。
「ああ、ブランコも一緒に乗ったな」
熊澤は俺のことを守ってくれたあの頃の”豪くん”のままだ。
死体を処理してくれたのも、きっと俺を助けたかっただけなんだ。
安心したら急に空腹を感じた。
――ぐうぅぅ……。
俺のお腹が音を立てた。
気恥ずかしさに俺は体を離す。
「メシ、まだなんだな?」
俺がうなずくと、熊澤はビニール袋からメロンパンを出した。
「じゃあ、これ喰え」
「え……?」
自分で食べようと思って買ったに違いない。
メロンパンは購買の一番人気の商品だ。
よく買えたなと聞こうとしてやめた。
いくら混んでいようと熊澤が近づけば他の生徒は避けるだろう。
……それを俺がもらっていいのだろうか。
「いいから喰えって」
押しつけるように渡されて、受け取ってしまった。
慌ててポケットから財布を出そうとしたら、「いらねぇよ」と鼻で笑われた。
おごりなのか。熊澤の。
熊澤は袋からクリームパンを取り出した。
メロンパンの袋を開けて齧りつく。
甘くザクザクした歯ざわり。
優しく素朴な味になんだか気持ちが解れる。
熊澤から親切にされたのが嬉しかった。
しかし夢中で頬張ったせいで、咽込んでしまった。
「げほっ、げほ……」
さっきまで緊張して喉が渇いていたから、パンが引っかかったのだ。
「おい、大丈夫かよ。嫌じゃなかったら飲んでいいぞ」
彼は飲みかけのストレートティーのペットボトルを差し出した。
「うん、ありがと……」
少し迷ったけど、一口もらうことにした。
――間接キス。
口をつける瞬間にそんな言葉が浮かんで、慌てて否定する。
バカな。男同士じゃないか。
変に心臓がざわついた。
渡り廊下を走っていく上履きの音、ふざけ合う声が聞こえる。
食事を終えた熊澤は頭の後ろで腕を組んで、その場に寝そべった。
俺は胸の内にあった熊澤への気持ちを包み隠さず打ち明けた。
「本当はずっと声をかけたかったんだ。でも、俺なんかに話しかけられちゃ迷惑だろうと思って」
声をかけられないまま高校生活の半分が過ぎてしまったのだ。
「迷惑なんてこたぁねぇよ」
熊澤は鼻をフンと鳴らした。
「実は俺もずっと同じこと考えてたんだ。俺みたいな落ちこぼれが声かけちゃまずいって」
驚いた。熊澤も俺と同じ気持ちだったんだ。
「そんな。俺はまた豪くんと会えて嬉しいよ」
”豪くん”と呼んだ瞬間、熊澤が目を見開いた。
そしてポッと赤くなると同時に顔を背ける。
「その呼び方、まだすんのな」
「ダメ……かな?」
なんだか変なことをしてしまった気がして不安になった。
「別に構わねぇけど」
そう答えて、彼は紅茶をゴクゴクと飲んだ。
青い空に夏らしい雲が浮かぶ。
俺たちの間を心地よい風が吹き抜ける。
「なあ、あのときの約束覚えているか?」
唐突に熊澤がそう聞いた。
「――約束?」
もちろん覚えている。そう答えたいのに……。
約束というものが、俺には何のことだかさっぱりわからなかった。
必死で思い出そうと記憶を辿る。だが努力は虚しく、沈黙だけが流れる。
熊澤は一瞬、目を伏せた。
「そっか。いいんだ。忘れてくれ」
「ごめん。約束って何だっけ? 教えてくれよ」
どうして思い出せないのだろう。記憶力には自信があるはずなのに……。
思い出せないことがすごく悔やしかった。
「そんな顔するな、大したことじゃない。それにしても、お前は変わったな。ガキの頃は引っ込み思案で弱虫だったのに、今じゃ生徒会長なんだから」
「生徒会長には進んでなったわけじゃないよ。頼まれて断れなかったんだ」
正直に言うと熊澤は目を細めた。
「お前らしいな」
チャイムが鳴って、俺たちは一緒に渡り廊下を歩き出した。
熊澤の顔を見上げる。彼は「なんだよ」と微笑んだ。
ああ、昔の熊澤だ……。
俺がずっと求めていたのはこの笑顔だ。
まるで時が、あの頃に戻ったようだ。
佐野には最近彼女ができた。B組の小川理恵奈という女子だ。
「いいよな、普通科の奴らは気楽で」なんて言うくせに、普通科の彼女にメロメロなのだ。
昼休みは理恵奈と二人、空き教室でランチタイムを満喫している。
あぶれた俺は生徒会室で一人、弁当を食べる。別に寂しいとは思わない。
やらなければならない生徒会の仕事があるので、むしろ好都合だ。
誰かといると正直、息が詰まる。
昔から俺の心の奥にはそういう感覚がある。
今朝は母に「たまには学食で食べるから」と説明して、弁当の代わりに1000円札を受け取った。
食欲がないのに弁当を食べるのがきついから嘘をついたのだ。
廊下のパンの購買に生徒の群れができている。
俺は体育館の裏を目指して、渡り廊下を歩き始めた。
本当に熊澤は来ているだろうか。
体育館の陰に目をやった。
裏口の階段に投げ出した長い足が見える。
胸がドクンと高鳴る。
この位置からではせり出したコンクリート柱が邪魔で、顔が見えない。
俺は上履きのまま、そこまで歩いて行った。
足の主はやっぱり熊澤だ。
「ん。来たか」
俺を見て、ほとんど寝転がるようなだらしのない体勢を起こして座り直した。
なにを言われるのだろう。緊張に手が汗ばむ。
「昨日は眠れたか?」
「……あんまり」
ほとんどため息のような声で俺は答えた。
「もう昼めしは食ったのか?」
遺体に関する話が始まるかと思ったのに、熊澤はのんびりとした口調でそう言った。
どういうつもりなのだろう。正直、心境が理解できない。
俺は返事をせずに熊澤を睨みつけた。
「あんたは何を考えているんだ。……俺の弱み握って、どうするつもりだよ?」
じれったくなり、つい、棘のある言葉が出てしまった。
熊澤の顔がわずかに強張る。
まずい、怒らせたら終わりだ。
「あ?」
熊澤はポカンと口を開けて、俺の目を見た。
「なにが、目当てだ……?」
俺の声は震えていた。
渇いた喉へ唾液を飲み込む。
熊澤は薄く開いた唇からふぅと息を吐き出した。
「目当てねぇ……」
そう呟いてにやりと笑った。
恐怖に俺の背筋がゾクッと震える。
「何も求めてないっつったら、そりゃ嘘だわな……」
ドキリと胸が跳ねた。この男はやっぱり何かを要求する気でいたんだ。
動揺する俺の顔を、熊澤が静かに観察する。
「頼みがあるんだ」
頼みだと? 一体どんな頼みだ。
熊澤が静かに立ちあがった。
向かい合うとやっぱりデカい。
俺だって170センチあるけど、熊澤は190センチ以上あるのだろう。
喧嘩になったらまず敵わない。
熊澤は一歩詰め寄り、俺に顔を近づけた。
「お前さぁ、俺と……」
熊澤が俺の耳へ唇を近づける。
俺の心臓がドクドクと音を立てた。
怖くてたまらない。
「友達になってくれよ」
すぐにはピンと来なかった。
「と、……友達っ!?」
「ああ、そうだ」
熊澤の目は真剣だった。
あの怖い熊澤が、がり勉の俺と友達になりたい?
そんなこと、普通あるか?
――やっぱり熊澤は”豪くん”なんじゃないか。
俺は思い切って聞いてみた。
「もしかして……子供の頃、一緒に遊んだ?」
熊澤は一瞬だけ黙った。
「……ああ」
彼が幼なじみだとわかった瞬間、さっきまでの恐怖が嘘みたいに薄れていった。
「なんだ、豪くんだったのか! もしかしてとは思ってたんだ」
熊澤が”豪くん”だったなんて。
それに俺とまた友達になりたいと思ってくれていたとは。
嬉しくてたまらない。
俺は彼の体に腕を回してギュッと抱きついた。
筋肉質でずっしりと分厚い。懐かしい感触だ。相変わらず逞しいんだな。
「お、おいっ」
熊澤が困惑したような声を上げた。
「ねえ、覚えてる? 砂場で山作って、トンネルを掘ったのを」
彼の目を見ると、優しい眼差しで俺を見ていた。
夢で見たように昔と一緒の瞳だ。
「ああ、ブランコも一緒に乗ったな」
熊澤は俺のことを守ってくれたあの頃の”豪くん”のままだ。
死体を処理してくれたのも、きっと俺を助けたかっただけなんだ。
安心したら急に空腹を感じた。
――ぐうぅぅ……。
俺のお腹が音を立てた。
気恥ずかしさに俺は体を離す。
「メシ、まだなんだな?」
俺がうなずくと、熊澤はビニール袋からメロンパンを出した。
「じゃあ、これ喰え」
「え……?」
自分で食べようと思って買ったに違いない。
メロンパンは購買の一番人気の商品だ。
よく買えたなと聞こうとしてやめた。
いくら混んでいようと熊澤が近づけば他の生徒は避けるだろう。
……それを俺がもらっていいのだろうか。
「いいから喰えって」
押しつけるように渡されて、受け取ってしまった。
慌ててポケットから財布を出そうとしたら、「いらねぇよ」と鼻で笑われた。
おごりなのか。熊澤の。
熊澤は袋からクリームパンを取り出した。
メロンパンの袋を開けて齧りつく。
甘くザクザクした歯ざわり。
優しく素朴な味になんだか気持ちが解れる。
熊澤から親切にされたのが嬉しかった。
しかし夢中で頬張ったせいで、咽込んでしまった。
「げほっ、げほ……」
さっきまで緊張して喉が渇いていたから、パンが引っかかったのだ。
「おい、大丈夫かよ。嫌じゃなかったら飲んでいいぞ」
彼は飲みかけのストレートティーのペットボトルを差し出した。
「うん、ありがと……」
少し迷ったけど、一口もらうことにした。
――間接キス。
口をつける瞬間にそんな言葉が浮かんで、慌てて否定する。
バカな。男同士じゃないか。
変に心臓がざわついた。
渡り廊下を走っていく上履きの音、ふざけ合う声が聞こえる。
食事を終えた熊澤は頭の後ろで腕を組んで、その場に寝そべった。
俺は胸の内にあった熊澤への気持ちを包み隠さず打ち明けた。
「本当はずっと声をかけたかったんだ。でも、俺なんかに話しかけられちゃ迷惑だろうと思って」
声をかけられないまま高校生活の半分が過ぎてしまったのだ。
「迷惑なんてこたぁねぇよ」
熊澤は鼻をフンと鳴らした。
「実は俺もずっと同じこと考えてたんだ。俺みたいな落ちこぼれが声かけちゃまずいって」
驚いた。熊澤も俺と同じ気持ちだったんだ。
「そんな。俺はまた豪くんと会えて嬉しいよ」
”豪くん”と呼んだ瞬間、熊澤が目を見開いた。
そしてポッと赤くなると同時に顔を背ける。
「その呼び方、まだすんのな」
「ダメ……かな?」
なんだか変なことをしてしまった気がして不安になった。
「別に構わねぇけど」
そう答えて、彼は紅茶をゴクゴクと飲んだ。
青い空に夏らしい雲が浮かぶ。
俺たちの間を心地よい風が吹き抜ける。
「なあ、あのときの約束覚えているか?」
唐突に熊澤がそう聞いた。
「――約束?」
もちろん覚えている。そう答えたいのに……。
約束というものが、俺には何のことだかさっぱりわからなかった。
必死で思い出そうと記憶を辿る。だが努力は虚しく、沈黙だけが流れる。
熊澤は一瞬、目を伏せた。
「そっか。いいんだ。忘れてくれ」
「ごめん。約束って何だっけ? 教えてくれよ」
どうして思い出せないのだろう。記憶力には自信があるはずなのに……。
思い出せないことがすごく悔やしかった。
「そんな顔するな、大したことじゃない。それにしても、お前は変わったな。ガキの頃は引っ込み思案で弱虫だったのに、今じゃ生徒会長なんだから」
「生徒会長には進んでなったわけじゃないよ。頼まれて断れなかったんだ」
正直に言うと熊澤は目を細めた。
「お前らしいな」
チャイムが鳴って、俺たちは一緒に渡り廊下を歩き出した。
熊澤の顔を見上げる。彼は「なんだよ」と微笑んだ。
ああ、昔の熊澤だ……。
俺がずっと求めていたのはこの笑顔だ。
まるで時が、あの頃に戻ったようだ。
