「あら、どうしたの」
家に着くと母が俺の頬に貼られたガーゼを見た。
昨夜、ナイフで切られた傷だ。
「猫だよ、佐野ん家の。すぐ引っかくんだ」
事前に考えていた通りの嘘をついた。
「病院へ行ったほうがいいんじゃないかしら?」
「大げさだな。消毒したし平気だよ」
まさか俺が不良たちと喧嘩をしたなんて母は思っていない。
「お昼食べたの?」
「うん、お腹減ってないから大丈夫」
俺は冷蔵庫から麦茶を出してコップへ注いだ。
テレビからニュースが流れてきた。
あの雑木林で遺体が見つかったと報じている。
警察は現在身元の確認を急いでいるという。
「まあ、すぐ近くじゃない」
母が目を見開いた。
「朝からパトカーがうるさかったんだ。これだったのか」
明人が他人事のように呟いた。
「殺人事件かしら。物騒ね」
俺は黙って麦茶を飲み干した。
家族の誰もが、俺が人を殺したなんて疑いすらしない……。
警察に出頭すれば俺は父、母、弟にも迷惑がかかる。
それに熊澤も……。
絶対に警察には行かない。俺は熊澤を裏切れない。
自分の部屋へ行き、机に座った。
問題集を開くけど、全く集中できない。
こうしている間にも、警察がうちに来るんじゃないだろうか。
職員室で会った刑事の鋭い眼差しが思い出される。
あのとき俺がドアから出ていくまで、じっと見られていた。
もしかして俺はすでに疑われているのだろうか。
ぞっと背筋が震える。逃げられる気がしない。
階段を誰かの足音が上がってくる。
誰だろう……。
足音は俺の部屋を通り過ぎた。隣のドアが開く音がする。明人だろう。
ほっと胸を撫で下ろした。
こんなことでビクビクしていたら身が持たない。
やっぱり俺には黙っていることなんてできないんだ。
警察に話してしまいたい。
正直に打ち明けても熊澤に死体遺棄の疑いがかからない方法はないだろうか。
俺が岡部を殺したと話せば、どうしてあの雑木林を知っていたのかと聞かれる。
「前を通ったことがある」と答えても、廃墟の存在まで知っていた理由にはならない。
あそこへバイクの部品を拾いに行って、熊澤はあの場所を知っていたのだから。
それに、彼は翌日学校を休んで遺体を埋めた。
――血で汚れた、あのシャツ。
『埋めるの大変だったんだ』
遺体の手足を切断したんだ。
あの夜、俺の服には血なんて一滴もついていない。
俺が岡部を殺して遺体を埋めたと言っても、調べられればすぐに嘘だとわかってしまう。
やっぱり今更、熊澤との共犯をごまかすことなんてできないんだ。
「参ったな……」
髪をかき乱す。
結局、俺には黙っていることしかできない。
『俺はお前と友達になったことを後悔してる』
俺を睨み上げた熊澤の冷たい目がまぶたに蘇った。
ズキンと胸が痛む。
捕まりたくない。そう思うのは当然だろう。
熊澤は俺が困り果てていたから、遺体の処理を手伝ってくれたんだ。
親切心が仇となった。それだけの話だ。
最初から俺が警察に行っていれば、熊澤を巻き込まずに済んだのに。
俺に勇気がないせいで、熊澤に嫌な思いをさせてしまった……。
全部、俺が悪いんだ。
ギュッと握り締めた手を開く。
爪の食い込み痕が、まだかすかに残っている。
熊澤は俺の手を取り、この傷あとへ優しく触れた。
彼の温かな指の感触を思い出すと、俺の目から涙が溢れた。
◇◇◇
二日後、塾の入口で佐野に会った。
「よう、久しぶり」
「この前はありがとな」
佐野の家に泊まったことにしてもらったことについて、俺は礼を言った。
「別にどうってことないよ。……そういえば、E組の熊澤の話聞いたか?」
驚いた。佐野には熊澤と仲がいいという話を一度もしていない。
一緒にいるところも見たことがないはずだ。
俺はすぐに佐野の腕を引っ張って、トイレへ連れ込んだ。
「な、なんでトイレなんだよ!?」
「すまん、大声出さないでくれ」
俺は人差し指を立て、なるべく小さな声で聞いた。
「熊澤が、どうかしたのか?」
「昨日の夜、熊澤が警察署に入っていくのを、他のクラスの奴が見たんだって」
「――警察署っ!? なんで?」
俺の心臓がバクバクと音を立てた。
「それが、なんかすげぇ思いつめた顔をしてたらしくてさ。あの熊澤が、だぜ。傷害で捕まったとか、なにかやらかしたとか、みんな面白がって噂してんだよ」
これだから普通科の連中は、と佐野は笑った。
嫌な予感がしてならない。
トイレを出る二人組の塾生が前を通った。
「――例の雑木林の犯人捕まったらしいぜ」
「17歳の高校生? どこの学校だろう?」
俺は彼らが見ていたスマホを覗き込んだ。
「ごめん、ちょっと見せて」
速報の記事には「殺人と死体遺棄の容疑」と書かれていた。
熊澤だ。熊澤が出頭したんだ。
あいつが、俺の罪を被ったんだ。一人で全部。
どうして……。
俺はいてもたってもいられなくなり、入口の自動ドアへ走った。
「おい、慧人。授業始まるぞっ!」
佐野の声が聞こえたが、返事もせずに塾を飛び出した。
家に着くと母が俺の頬に貼られたガーゼを見た。
昨夜、ナイフで切られた傷だ。
「猫だよ、佐野ん家の。すぐ引っかくんだ」
事前に考えていた通りの嘘をついた。
「病院へ行ったほうがいいんじゃないかしら?」
「大げさだな。消毒したし平気だよ」
まさか俺が不良たちと喧嘩をしたなんて母は思っていない。
「お昼食べたの?」
「うん、お腹減ってないから大丈夫」
俺は冷蔵庫から麦茶を出してコップへ注いだ。
テレビからニュースが流れてきた。
あの雑木林で遺体が見つかったと報じている。
警察は現在身元の確認を急いでいるという。
「まあ、すぐ近くじゃない」
母が目を見開いた。
「朝からパトカーがうるさかったんだ。これだったのか」
明人が他人事のように呟いた。
「殺人事件かしら。物騒ね」
俺は黙って麦茶を飲み干した。
家族の誰もが、俺が人を殺したなんて疑いすらしない……。
警察に出頭すれば俺は父、母、弟にも迷惑がかかる。
それに熊澤も……。
絶対に警察には行かない。俺は熊澤を裏切れない。
自分の部屋へ行き、机に座った。
問題集を開くけど、全く集中できない。
こうしている間にも、警察がうちに来るんじゃないだろうか。
職員室で会った刑事の鋭い眼差しが思い出される。
あのとき俺がドアから出ていくまで、じっと見られていた。
もしかして俺はすでに疑われているのだろうか。
ぞっと背筋が震える。逃げられる気がしない。
階段を誰かの足音が上がってくる。
誰だろう……。
足音は俺の部屋を通り過ぎた。隣のドアが開く音がする。明人だろう。
ほっと胸を撫で下ろした。
こんなことでビクビクしていたら身が持たない。
やっぱり俺には黙っていることなんてできないんだ。
警察に話してしまいたい。
正直に打ち明けても熊澤に死体遺棄の疑いがかからない方法はないだろうか。
俺が岡部を殺したと話せば、どうしてあの雑木林を知っていたのかと聞かれる。
「前を通ったことがある」と答えても、廃墟の存在まで知っていた理由にはならない。
あそこへバイクの部品を拾いに行って、熊澤はあの場所を知っていたのだから。
それに、彼は翌日学校を休んで遺体を埋めた。
――血で汚れた、あのシャツ。
『埋めるの大変だったんだ』
遺体の手足を切断したんだ。
あの夜、俺の服には血なんて一滴もついていない。
俺が岡部を殺して遺体を埋めたと言っても、調べられればすぐに嘘だとわかってしまう。
やっぱり今更、熊澤との共犯をごまかすことなんてできないんだ。
「参ったな……」
髪をかき乱す。
結局、俺には黙っていることしかできない。
『俺はお前と友達になったことを後悔してる』
俺を睨み上げた熊澤の冷たい目がまぶたに蘇った。
ズキンと胸が痛む。
捕まりたくない。そう思うのは当然だろう。
熊澤は俺が困り果てていたから、遺体の処理を手伝ってくれたんだ。
親切心が仇となった。それだけの話だ。
最初から俺が警察に行っていれば、熊澤を巻き込まずに済んだのに。
俺に勇気がないせいで、熊澤に嫌な思いをさせてしまった……。
全部、俺が悪いんだ。
ギュッと握り締めた手を開く。
爪の食い込み痕が、まだかすかに残っている。
熊澤は俺の手を取り、この傷あとへ優しく触れた。
彼の温かな指の感触を思い出すと、俺の目から涙が溢れた。
◇◇◇
二日後、塾の入口で佐野に会った。
「よう、久しぶり」
「この前はありがとな」
佐野の家に泊まったことにしてもらったことについて、俺は礼を言った。
「別にどうってことないよ。……そういえば、E組の熊澤の話聞いたか?」
驚いた。佐野には熊澤と仲がいいという話を一度もしていない。
一緒にいるところも見たことがないはずだ。
俺はすぐに佐野の腕を引っ張って、トイレへ連れ込んだ。
「な、なんでトイレなんだよ!?」
「すまん、大声出さないでくれ」
俺は人差し指を立て、なるべく小さな声で聞いた。
「熊澤が、どうかしたのか?」
「昨日の夜、熊澤が警察署に入っていくのを、他のクラスの奴が見たんだって」
「――警察署っ!? なんで?」
俺の心臓がバクバクと音を立てた。
「それが、なんかすげぇ思いつめた顔をしてたらしくてさ。あの熊澤が、だぜ。傷害で捕まったとか、なにかやらかしたとか、みんな面白がって噂してんだよ」
これだから普通科の連中は、と佐野は笑った。
嫌な予感がしてならない。
トイレを出る二人組の塾生が前を通った。
「――例の雑木林の犯人捕まったらしいぜ」
「17歳の高校生? どこの学校だろう?」
俺は彼らが見ていたスマホを覗き込んだ。
「ごめん、ちょっと見せて」
速報の記事には「殺人と死体遺棄の容疑」と書かれていた。
熊澤だ。熊澤が出頭したんだ。
あいつが、俺の罪を被ったんだ。一人で全部。
どうして……。
俺はいてもたってもいられなくなり、入口の自動ドアへ走った。
「おい、慧人。授業始まるぞっ!」
佐野の声が聞こえたが、返事もせずに塾を飛び出した。
