死にたがりの君に捧げる10の約束



「部屋はどこ?」
「二階。あ、ちょっと待って! 汚いかも!」
「どうでもいいわ。ゴキブリさえいなけりゃ」
「さすがにそこまで汚くはないと思うけど……」

 心配になる暇もなく、俺の部屋のドアが開かれる。母さんがいつの間にか掃除をしてくれていたのか、部屋の中はきちんと整理整頓されていた。
 
「で、どのゲーム?」
「ああ。母さん、どこに片付けたのかな……多分、テレビの周辺だと思うけど」
 
 俺はキョロキョロと部屋を見回した。
 いつも出しっぱなしにしていて大抵のものは見えるところにあったのに、すっきりしすぎて逆に分からなくなっている。
 いつも狭いと思っていた部屋がこんなに広かったなんて驚きだ。

「じゃあ、片っ端から探すね」
「おい! ちょっと、押し入れはやめて!」

 気がつくと、伊緒さんはいきなり俺の押し入れから攻め始めようとしていた。
 ゲームなんだから目の前のテレビ台の引き出しから探すのが定石だろうと思っていたのに、いきなりそんなパーソナルシークレットベースをほじくるなんてサディスティックにも程があるだろ!

 こんなデリカシーのない女子、絶対好きにならない。

「あ、そこはダメ! やめて伊緒さん!」

 俺の隠していたテストとか成績表とか使い古しのパンツとかいろいろ見られたくないものを散々掘り返したあとで、伊緒さんは結局目の前のテレビ台の引き出しから俺のゲーム機とソフトを見つけ出した。

「これで合ってる?」
「合ってるよ! 最初からそこ探してって何度も言ったよね⁉︎」

 彼女に散らかされ、俺の部屋は俺が生活していた時の様子に逆戻りしていた。

「ちゃんと片付けてね⁉︎」
「もう何がどこに入ってたのか分かんないから適当に突っ込んでおいていい?」
「伊緒さん、最悪!」

「ねえー!」

 その時、階下から母さんの声がした。
「倫也のお友達さん、うちでご飯食べて行かない? ちょっと多めに作っちゃったの!」
 俺と伊緒さんはお互いの顔を見合った。
 その5分後、伊緒さんは本当に適当に俺の荷物を押し入れに突っ込み、ゲーム機を持って階下に降りた。

「もう用事は済んだので失礼します」
「そう? 残念……」

 母さんが本当に残念そうに呟く。
 キッチンの皿の上には俺の大好物だった唐揚げが、見た目にもカリッとした食感が伝わるような色でこんもりと盛り付けられていた。



「いつも倫也がたくさん食べるから、鶏肉900グラムも買ってストックしてたの。ついいつもの調子でいっぱい揚げちゃったら、一人じゃなかなか食べきれなくて……」
「これ、めちゃくちゃ美味いやつ。食べていってよ、伊緒さん」

 本当は俺が食べたい。出てくるはずのないよだれが垂れそうだ。

「唐揚げ……コンビニとかスーパーのお惣菜売り場のしか食べたことないわ」
「本当? だったらぜひ! あ……でも、伊緒さんのお母さんがもう夕飯用意してるかな」

 時間はもうすぐ6時になる。夕飯時だ。

「用意してないと思う。あの人、家事しないの」
 伊緒さんは無表情で呟いて、「いただきます」と俺の母さんに頭を下げた。

 意外だった。断ると思ったのに。
 すると伊緒さんのお腹からぐううと可愛い音が鳴るのが聞こえた。

「お腹空いてたの? 伊緒さん」
「うるさい」

 本当に素直じゃないな、この人。



「いただきます!」

 食べられないけど、人一倍大きな声でそう言って、俺は両手を合わせた。
 俺の正面にはニヤニヤ顔の母さん。そして隣には無表情の伊緒さんがいる。

「……いただきます」
「遠慮なく、いっぱい食べてね!」
「今夜はお仕事じゃないんですか?」

 母さんがビールの缶を開けようとしていたのを見て、伊緒さんが聞く。

「そう。本業の方もたまたま明日は非番だから、今日はやけ食いしようと思ってたの! あれ……? 私が夜も仕事してるって、何で知ってるの?」
「藤牧くんに聞きました」
「えー? おかしいなあ。夜のバイト始めたの、倫也が事故った後だったんだけど……」

 しまった。時間軸がおかしかったか。焦る俺の隣で、伊緒さんは冷静に切り返す。

「藤牧くんのお見舞いに行った時、病院の先生から聞きました」
「あらそうだったの。倫也の病院にも行ってくれたのね。ありがとう」

 意識不明の重体だった俺の姿を思い出したのか、一瞬しんみりした表情を浮かべた母さんだったけど、ビールを一口飲んで陽気さを取り戻した。

「それで、水瀬さんは倫也とはどういうご関係だったの?」

 それが聞きたくて引き留めたんだろうなってすぐに分かった。うちにはゲーム機を取りにくるだけでこんなに長居する予定はなかったから、こういう質問に対する打ち合わせは特にしていない。伊緒さんのアドリブに賭けるしかない。

 ドキドキしながら隣を見ると、伊緒さんは涼しい顔でこう言った。


「ナンパされました」


 ……ちょっと待て。死人に口なしだからって言っていいことと悪いことがあるだろ⁉︎

「伊緒さん!」
「すっごくしつこくて、君しかいないとか言われて泣きつかれて、土下座されて、もう最悪で」
「おおおおい!!」

 悲しいけれど、全部本当!
 すると、母さんが豪快に「あははははっ!」と笑い出した。

「やだ、倫也ったら。お父さんにそっくりだわ! 私も若い頃、お父さんにそうやって口説かれたのよ。ほんと、お調子者でどうしようもない人だったけど……一緒にいるとすっごく楽しかったのよね」


 

 父さんと母さんのきっかけなんて、初耳だ。
 楽しい人だったことは聞いているけど、父さんが事故で死んだのはもう十年も前のことだし、面影はうろ覚えだった。
 母さんは俺が事故に遭って、父さんのことも思い出すことが多くなったはずだ。あの時の苦しみを、今度は俺がまた母さんに味わわせている。

「倫也もお調子者だし、最初はちょっとウザいかもしれないけど、付き合っていくうちにきっと楽しくなってくるわよ。ああ見えて、根は優しくて素直ないい子なの。だから……あの子が目を覚ますのを、水瀬さんも一緒に待っててくれないかな」
「目を覚ます……?」
「私はそう信じてる。倫也は絶対に私を一人にしたりしないって」

 母さんは笑いながらぽろっと涙をこぼした。

「やだ、久しぶりにお酒飲んだから……もう酔いが回っちゃったかな。さあ、食べて食べて。あったかいうちに」
 
 母さんに勧められて、伊緒さんの箸が唐揚げに伸びる。箸先に感じるサクサクの衣の感触は今でも覚えている。口に運ぶと、油のいい匂いがするんだ。隠し味に使っているマヨネーズのおかげで、外はサクサクなのに中は柔らかくてさ。

 もう一度食べたいよ。母さんの唐揚げ。

「……美味しい」

 伊緒さんがボソッと呟く声がしたけど、俺は顔を上げることができなかった。

「当然だろ」
 そう言うのが精一杯だった。


 ◇


「ご馳走様でした」
 夕食後、伊緒さんは丁寧にお辞儀をして俺の家を出た。
 外はすっかり夜の気配に包まれ、満月が明るく空に輝いていた。

「ごめんね、伊緒さん。うちの母さんおしゃべりでさ。疲れたろ」
 俺は隣を歩く伊緒さんにお詫びを入れた。
 母さんは酒が入ったせいでおしゃべりが加速して、あれからほとんど一人でずっとしゃべっていた。俺のことや父さんのことを脈絡もなく。

「母子家庭だったのね、あなた。生き返りたがっているのは、あのお母さんを一人にさせないため?」
「うん……まあね。母一人子一人ってやつだから」

 伊緒さんはこの時何を考えていたんだろう。
 彼女の表情からは何も汲み取れなかった。

「伊緒さんちは? 何人家族? 兄弟とかいる?」

 伊緒さんは黙っていた。
 ちょっと機嫌が悪そうに見えるのは、俺がしゃべりすぎたせいかな。母さんの楽しそうなしゃべり声を聞けて、俺もちょっとテンションが上がりすぎていたのかもしれない。