死にたがりの君に捧げる10の約束


「……ごめん」

 人がまばらの病院の待合室で、俺は彼女に頭を下げた。
 診察室での治療を終えて戻ってきた彼女は、俺を見て「まだいたの?」と無表情で呟いた。

 驚きもせず、怖がりもせず。予定調和のような顔をしている。
 普通の人間みたいな反応をされて、俺の方が逆に戸惑う。

「怖くないの?」
「……別に。もう見慣れたし」

 そう呟く彼女の腕には痛々しく包帯が巻かれていた。

「助けられなくてごめん。俺があの時声をかけなかったらこんなことにはなってなかったよね。幽体じゃなかったら確実に手を掴んでたんだけど……」

 俺の体が透明だったばっかりに、俺の伸ばした手は彼女の手をすり抜けていた。幸い、歩道橋の下を歩いていた人が大事になる前に気づいて彼女を中段で受け止めてくれたから最悪の事態は免れた。

「死ぬかと思ったけど、案外軽傷だったみたい」

 彼女は抑揚のない声でボソボソとしゃべりながら、辺りに人がいないベンチをわざわざ選んで座った。俺も隣に腰かける。彼女は一瞬迷惑そうな顔をしたけど、俺は気づかなかったフリをした。

「でも親が心配するよな。こんな包帯して娘が帰ったら……」
「……さあ。しないんじゃない」
「いや、するよ。絶対する。俺の母さんも俺が死にかけてるの見て号泣してたもん」
「あなたの家と私の家じゃ違う。子どもに関心のない家だってあるよ。自分の価値観で話さないで」
「……ごめん」
「面倒だから、いっそのこと死んでたら良かったのに」
「そんなこと言うなって……あーっ!」

 俺は思わず大きな声を出した。

「何? うるさい……」
「そうだよ、あのまま見える子ちゃんが死んでくれていれば良かったんじゃ……⁉︎」

 彼女が助かって良かったなって、ついうっかり安堵してたけど、実は絶好の生き返りチャンスを逃していたんじゃないか? と思った瞬間。

「死んでれば良かった?」

 見える子ちゃんがボソッと呟いた。
 ヤバい。今度こそ怒ったかもしれない。

「ご、ごめん……」
「そんなこと人に言われたの、初めて」
「ほ、本当にごめん!」
「別にいいけど」
「い……いいの⁉︎」
 俺はびっくりして彼女を二度見した。

「許してくれるんだ。すげえ心が広いね! 俺なんか、死んでりゃ良かったなんて言われたらお前が死ね! って思っちゃうけど」
 冗談まじりに明るく笑ってみせたけど、見える子ちゃんには表情がない。怒っても笑ってもいない。まるで感情のない人形みたいだ。

「あの……やっぱり怒ってます?」
「別に」
「いや、なんで怒らないの? 普通怒るよね」
「普通って何?」

 彼女は尖った視線を俺に向けた。

「みんなと同じ反応じゃなきゃ普通じゃないとか、こっちが間違ってるように言われるとムカつくんだけど。価値観の押し付け、やめて」

 唖然とする俺を、彼女は無表情のまま睨みつける。

「……私、昔からこうなの。みんなが笑っていても面白いと思ったことないし、泣いたり怒ったりしてるのを見ても共感できない。そういうつまんない人間なの。だからもう話しかけないで」

 自分のことを話すのさえ面倒くさそうにそう語って、彼女は正面を向いた。

 人にかまってほしくてわざと自虐したり自己肯定感の低いふりをしているわけでもなく、本気で自分はそうなんだと主張しているように見えた。俺のことも幽霊っぽいから嫌がっているんじゃなくて、人として会話できてしまうから嫌がっているようだった。

 人と関わるのがとことん面倒くさいのかな。
 親との縁も薄そうだった。
 だから人生に絶望しているのかな、なんて想像してしまう。

 もしかしたら。
 この子、本当に死にたいと思ってる?
 この子が俺を救ってくれるかも──。
 
 淡い期待が膨らんだ。
 うまく頼み込めば、彼女が俺の代わりになってくれるかもしれない。

「君、変わってるね。あ、いい意味だよ!」
「話しかけないでって言ったでしょ。聞いてなかったの?」
「今まであんまり会ったことないタイプだな。個性的でとてもいいと思うよ」
「……そんなことを言えば女子が喜ぶとでも思ってる?」
「は? 思ってないよ、そんなこと……!」
「じゃあ無意識でそれ? まるでナンパ師みたい」

 俺はポカンと口を開けた。
 俺がナンパ師? とんだ誤解だ。
 なんか顔が熱くなってきた。体はないから多分気のせいなんだろうけど。
 
「違う違う! そういうんじゃなくて」
「分かってる。私みたいなの引っかけても反応薄くてつまんないしね」
「いや、そういう意味でもなくて……」

 俺は無意味に手で顔をパタパタと仰いだ。

「君はすっごく変で面白いし、全然つまんなくないよ。可愛気はあんまりないかもしれないけど……。あ、これはお世辞でもナンパでも何でもない、俺の正直な気持ち!」

 って、俺何言ってんだ。これじゃまるで本当にナンパみたいじゃんか。
 だんだん恥ずかしくなってきた。
 うん。顔が熱いぞ。多分気のせいなんだろうけど!

 見える子ちゃんが冷めた目でそんなテンパった俺の顔を見ている。

「……あなた、何言ってんの?」
「ごめん。俺もよく分かんない」
「あなたの方が変わってるよ」
「いや。見える子ちゃんの方が変わってる。そこは譲れない」

 見える子ちゃんの目がカミソリのように細くなる。

「見える子ちゃんって何。私、そんな名前じゃないんだけど」
「じゃあ名前を教えてよ」
「綾波レイ」
「どっかで聞いたことあるー。そして似てるかも!」
「あなた、うるさい」
 
 ボソボソしたしゃべり方とか、表情のなさとか、人形みたいな心のあり方があの国民的アニメのキャラによく似ている。
 残念ながら、彼女が自分の名前を教えてくれる気はなさそうだなと思った時だった。
 
「水瀬(みなせ)さーん。お会計でお待ちの水瀬伊緒(いお)さんいらっしゃいますか?」

 受付の人の声に、彼女は無言で立ち上がる。

 水瀬伊緒。
 それが彼女の名前だったようだ。

「伊緒さん」 
 処方箋と明細書を持って戻ってきた彼女は、俺にそう呼ばれて嫌そうな顔をした。


「もうおしゃべりは十分でしょ。消えて」


 消えてと言われても。
 伊緒さんとここで離れたら、またいつ会えるか分からない。俺を見える人が他に現れてくれたらいいけど、そんな人がいるかどうか分からない。

 伊緒さんは天から降りてきた蜘蛛の糸だ。
 その糸を自分から離す気は、俺にはない。

 足早に病院を出る彼女に申し訳ないと思いながらついていく。

「ついてこないでってば」
「ごめん。俺もこんな気持ち悪いことしたくないんだけど、伊緒さんだけが頼りなんだ。俺が見えるの、伊緒さんだけだし」
「知らないよそんなの。あなたの都合でしょ」
「頼むよ、話聞いて。時間がないんだ。俺、あと一ヶ月で死んじゃうかもしれないんだ」
「だから?」

 彼女は立ち止まり、冷たい瞳で振り向いた。

「もうすぐ死ぬからって、それが何? だからって他人に迷惑かけていいとでも思ってんの? 私は怪我までさせられたんだよ。その上、なんであなたの身の上話を聞かされなくちゃいけないの? なんで私があなたにそこまでしてあげなくちゃいけないのよ」

 彼女の瞳は夜の闇より暗い。その昏さに息を呑む。

「私に甘えてこないで。私、普通じゃないから。感情がぶっ壊れてるから、あなたがどんなに可哀想な人でも何とも思わないの。死ぬなら勝手に死になさいよ」


 ……何も言えなかった。
 彼女が走り去る背中を見つめながら、俺はその場に立ち尽くした。
 彼女の言葉が俺の足を地面に縫いつけてしまったようだ。縫いつけられる足ももうないんだけど。

「終わったな……」

 俺の人生はここで終わったんだという絶望的な感覚だけがあった。
 彼女しか俺を救えないと思い込んでいたからか。まさに命綱を切られたような気持ちだった。

 彼女の言う通りだ。
 この期に及んで、俺はまだ人生を舐めてた。
 お涙頂戴の話で情に訴えて助けてって言えば、誰かが「いいよ」って言ってくれるんじゃないかって、そんな甘えた考えでいた。
 どこかで、楽勝だとすら思っていた。
 きっと優しい人が見つかって、俺を助けてくれるだろうって……楽観視していた。

 だけど、現実は話すらまともに聞いてもらえなかった。
 まさにどうしようもない。とりつく島もなかった。
 そうだよな。聞く義理なんてないもんな。

 俺は道路にゆっくりと膝を落として項垂れた。

 馬鹿だ。
 俺はどこまで馬鹿なんだよ。
 たとえ話を聞いてもらえたとしたって、俺みたいな奴のために誰かが代わりに死んでくれるわけがない。
 彼女みたいに、誰かに死ねって言う勇気もない。

 最初から無理だったんだ、こんなミッション。
 俺はもう生き返れない。

「ごめん、母さん……」

 思い出したのは母さんの顔だった。
 バカな息子でごめん。延命してもらっているけど、無駄になりそうだ。
 早く生まれ変わった方が、経済的な負担もなくなって……母さんのためになる。
 涙が溢れる。
 拓巳も、裕樹も、ごめん。もう一度二人に会いたかったけど……俺は無理だ。
 バカなことがしたかったな。もう一度。
 
 ゲームしたり、カラオケ行ったり、バーガー食ったり。
 そんな些細なことがもう一度したかったよ。
 楽しかったな。

 道の真ん中に倒れ込んで思い切り号泣する。いいよな、別に。誰も俺のことなんか見えてないんだから。
 親への懺悔と。後悔と。自分の不甲斐なさと。いろいろ全部ここに吐き出してから……あの世に行きたい。

 情けないほど声を上げて、本気で泣いた。

 すると、一枚の白い紙が俺の目の前に落ちてきた。
 見上げるとそこに伊緒さんがいた。

「伊緒……」
「それ、書いてくれない?」

 彼女はやっぱり無表情だった。

「何、これ……」
「私のクラスで出された面倒くさい宿題。私にはひとつも思い浮かばないの。だから、あなたが代わりに考えてよ」

 そこには『死ぬまでにしたい10のこと』と書かれていた。

「あなた、後悔していることあるんじゃない? 考えてくれたら、話くらいは聞いてあげてもいいわ」
「本当……?」
「だから道路で泣くなんてみっともない真似やめて。見苦しい人は大嫌いなの」

 話だけでも聞いてもらえる。
 それだけで俺の魂は浮遊した。涙を拭いて立ち上がる。

「ありがとう、伊緒さん」