死にたがりの君に捧げる10の約束



 160秒の絶叫タイムが終わった。
「楽しかったね、水瀬さ……ん」
 笑顔で伊緒に話しかけようとした彼は、伊緒が泣いていることに気づいて顔色を変えた。

「どうしたの? 大丈夫? 気持ち悪くなっちゃった?」
「ごめんなさい」

 彼に頭を下げると、伊緒はロッカーに預けた自分のバッグだけを取り出してその場を逃げ出した。
 常識人のすることではない。最低な人間のすることだ。分かってはいたけれど、立ち止まることができなかった。
 

 自分の頭の中で、大切な誰かがゆっくりと死んでいく。
 それが伊緒には耐えられなかった。


 絶叫コースターのエリアから遠く離れるように園内を駆け抜けていくと、やがて子供たちのはしゃぐ声がした。メリーゴーラウンドやティーカップといった昔からある古いアトラクションばかりが集まった子供向けのエリアに入ったようだ。

 伊緒はメリーゴーラウンドの正面にベンチを見つけ、そこに腰を下ろした。
 白い木馬と栗色の木馬が並んで上下しながらゆっくりと横に移動していく。永遠のように繰り返していくその光景を無心で眺めているうちに、伊緒の隣に誰かが座った。

 優子かさっきの彼だと思ったら、違った。
 見覚えのない高校生らしき男だ。髪の色はやや茶色でナチュラルなショートヘアだ。目は小さめで可愛いと言えなくもない。彼は伊緒を見つめて、元気に「こんにちは!」と挨拶した。

 伊緒はなんて反応したらいいのか分からず、ぼんやりと彼を見つめた。

「見えてますよね? 俺のこと。あの、もし良かったら俺の話を聞いてもらえませんか? 今日、全然人としゃべってなくて寂しくて仕方なかったんですよ!」

 良く言えば人懐こい。悪く言えば、図々しい。そのどちらとも取れる態度に何となく懐かしさを感じた。

「すみません、自己紹介してませんでしたね。俺の名前は藤牧倫也(ふじまきともや)って言います。宮藤(くどう)高校の三年、18歳です。本当は大学一年のはずなんですけど、とある理由で留年しちゃって。あ、もうすぐ卒業だから4月から大学生ね。趣味はゲームで、好きな食べ物は……えーと、焼肉です! で……あなたは?」
「……」

 まだ反応できない伊緒を見つめて、藤牧倫也と名乗った男は首を傾げる。

「あれ? 俺、前にもこんなこと言いませんでしたっけ……?」
「……さあ」

 初めて会ったはずだ。けれども、伊緒の胸はじわじわと熱くなってきていた。まるで、ずっと会いたかった人にやっと会えたみたいに。

「とある理由って、なんですか?」
 伊緒は何故かドキドキしながら尋ねた。

「あ、留年した理由? バカだからとかじゃないですよ! いや、バカだったのかな……。チャリで走ってたらトラックに轢かれて、一時は意識不明の重体にまでなったんです。でも一ヶ月以内になんとか目を覚まして、それから半年リハビリ地獄で。マジでしんどかった」

 倫也は笑いながら悲劇を語った。

「大変だったんですね」
「俺より、親の方が大変だったんだけどね。うち、母子家庭なんだけど事故の相手が外国人で、そいつが保険入ってなかったせいで俺の入院費うちの自腹になっちゃったんだ。でも病院からいい弁護士を紹介してもらって、なんとか示談金を払ってもらうことができて……」
「それは良かったですね」
「うん! 苦労かけちゃったのに、母はその金で大学行けって言ってくれて……必死で受験してやっと合格したんだ」
「そうなんだ。うちも母子家庭。あと、受験も今年。K大の医学部に合格したの」
「え、マジで⁉︎ 俺も俺も! じゃあ春から同級生だ」

 おしゃべりな彼に釣られていつの間にか会話が弾んでいる。
 この雰囲気がまた懐かしいと感じさせる。
 すると彼は優しい眼差しで伊緒を見つめて言った。

「……おかしなことを言ってもいい?」
「うん」
「意識不明の間、俺ずっとここにいたような気がするんだ」

 彼の正面にはメリーゴーラウンドが動いていた。

「ここで、死神を名乗る男に魂を狩られそうになったんだよ」
「何それ」
「まあまあ。聞いてよ、そいつがヒドい奴でね、俺の魂を差し出さないなら代わりに別の人間を殺して魂を取ってこいなんて言うんだよ。俺、母さんのためにどうしても生き返りたかったから、素直に代わりの人間を探したの」
「そんな気前のいい人、いなかったでしょ」

 変な話、と思いながら伊緒はふふっと笑った。

「いたんだ。一人だけ」

 彼はちょっと真顔になって、遠くを見つめた。
 
「その子はすごく孤独で、自分の存在価値を見失っていて……でもすごく優しくてね。俺の代わりに死んでもいいって言ってくれたんだ。だけど俺、一緒にいるうちにその子のことが好きになっちゃって……」
「えっ……」 

 伊緒がじっと見つめると、彼は照れたように笑った。

「ごめん、本当に変な話してるよね」
「いいから、続けて」

 彼は恥ずかしそうに赤くなりながら再び語り出した。

「その子に生きててほしくなっちゃって、やっぱり自分が消えようと思ったの。でも、俺が消えたらその子がまた悲しんじゃって、死のうとするかもしれないじゃん。だから死神に頼んで、彼女の頭から俺の記憶を消してもらったの。俺のことを忘れちゃえば、この世界に一人で生き残っても彼女が辛くないんじゃないかと思って」
 
 伊緒はまるで自分が彼にそうされたかのように憤慨した。

「勝手だよ、そんなの。その子の意志は違ったんじゃない?」
「そうだと思う。俺のエゴだった」

 彼は素直に自分の非を認めてしゅんと俯いた。
「酷いことをしちゃったかもしれないって、今でも後悔してる」

 伊緒はそれを聞いて少しだけ溜飲を下げた。
 彼が彼女を本気で想っていたことはその横顔と眼差しで知ることができた。

「……あなたはどうして生き返れたの? 死神にあげる魂がなかったのに」
「それなんだけど……嘘みたいなことが起きてさ」

 彼は伊緒をチラッと見て微笑んだ。

「彼女の記憶を消した後、いよいよ死神が俺の前に現れて魂を刈り取ろうとしたんだ。『覚悟はいいな』と言われて、頷こうとしたそのとき──俺らのいた歩道橋の真下で、交通事故が起きたんだ。スマホのながら見運転での単独事故だよ。死んだのは若い男で、自分が死んだことも分かってなくて、まだ動画の続きを観たがってたよ」
「死神はその人を連れていったんだ?」
「うん。『お前、運がいいな』って言われた」

 それは本当に奇跡みたいなタイミングだったらしい。
 事故を起こした男は可哀想だが、ながら見運転で他人をはねる可能性もあっただろう。そんな二重の悲劇が起こらかったことは不幸中の幸いと言えるかもしれない。

「その死神もけっこう粋な人だね」
「うん。俺の死んだ父さんにそっくりだったよ。本人には『そんなわけあるか、バーカ』って否定されちゃったけど……俺は今でも父さんみたいに思ってる」

 彼はそう言って少しだけ寂しそうに笑った。

 
「それで俺はこの世界に戻って来られたんだけど……死神が言うには、こっちに戻る場合、一番大切なことを忘れなきゃいけないっていうルールがあるんだって。それで目が覚めたら……大切な人の名前も、顔も、彼女とのやりとりも、断片的にしかほとんど思い出せなくなってた」
「不思議な話ね」
「うん。でも忘れないよ、彼女といたことは。いつかきっと思い出してみせる」

 彼のまっすぐな眼差しが、伊緒の心臓を熱く震わせた。
 
「思い出せるといいね」
「うん。ここに来れば思い出せるような気がしてたまにフラッと来てるんだ。絶叫は苦手なのにね」

 何故か泣きたくなる。
 じんわりと、じんじんと。あたたかく切ない想いが胸を打つ。
 

「実は、私にも不思議な話があるんだけど……それはまた今度会ったときに話すね」


 ──いつか、同じキャンパスで出会えたら。
 伊緒はそう心の中で呟いて、ベンチから立った。

「あ、待って」
 彼が伊緒を呼び止めた。

「君、名前は? まだ聞いてなかった」
「……水瀬、伊緒」
「伊緒さん、か」


『伊緒さん』


 頭の中の彼が笑った。それは、目の前の彼の顔に良く似た面影だったかもしれない。


『俺は、伊緒さんが好きだ』


 あの夜の歩道橋の上で、彼は伊緒にキスをした。
 死ぬ前にしたいことリストの本当の10個目は『伊緒さんとさよならのキスをする』ことだと言って。
 何故かふと、頭に蘇る。あの時の記憶。


「またね、伊緒さん! 話聞いてくれて、ありがとう!」


 ベンチから手を振る彼に、伊緒は小さく手を振り返した。
 優しい春風が伊緒のピンクの髪をなびかせる。
 季節外れの金木犀の香りがふわりと彼女の鼻腔をくすぐり、彼女の口元に幸福な微笑みを浮かばせた。