「連れてきたぞ」
下界に霊体のまま降りて30分後、俺は死んだばかりの魂を抱いて死神Kのところに戻ってきた。
「おう、早えな」
大喜びで振り向いたKが、俺が連れてきたものを見て持ち帰りで頼んだポテトみたいにシナッと萎える。
「おいおい。人間じゃねえじゃんか」
「やっぱダメ?」
俺の腕の中で白い猫がニャアと鳴いた。
道路で轢かれていた死体、運よく見つけたと思ったんだけどな。
「ダメだダメだそんなの。お前みたいに若くてピチピチで生命力に溢れている人間の魂がいいんだ」
「それもノルマ?」
「いや、俺の個人的な趣味」
「いい加減にしろよおっさん! 忙しいとか言ってたくせに、直前までスマホのパズルゲームで遊んでただろ。音がしていたからバレバレだぞ! 暇なら自分で探しに行けよ!」
「こう見えてもマジで忙しいんだよ。ほらほら、さっさと行け。行かないとお前の魂持ってっちまうぞ」
なんて調子のいい死神だ。
理不尽に追い返されて、俺は再び下界に降りた。
Kが言うには、死にかけている人間、死を本気で意識している人間にだけ俺の姿が見えるらしい。話しかければ普通に会話もできるとか。
そう言われても、死にかけている人間を探すのなんて簡単じゃない。見つけたところで、何て言えばいいんだ?
「俺の代わりに、死んでくれませんか……?」
自分のセリフに自分でゾッとする。これじゃまるで悪霊みたいだ。
だけど、やるしかない。俺には時間がないんだから。
まあ、この現代社会に疲れて死にたがってる人くらい、どこかにいるだろ。
俺らの周りでは聞いたことがないけど、日本には自殺志願者が年間で何十万人とかいるらしい。
とりあえず人がたくさんいるところに張り込んでいれば、誰かが俺に気づくかもしれない。
俺はさっそく駅やその周辺の繁華街などをあてもなく歩き始めた。
歩くと言っても足はないようなもので、地面スレスレを飛んでいるような感じ。すると。
「焼きたてのパンいかがですか?」
パン職人の服を着た可愛い売り子のいるパン屋を見つけた。ショーウィンドウの向こうに並んでいるパンは実に美味しそうだ。
新しい店か。試食コーナーもある。腹は減ってないけど、食べてみたい。
フラフラと近づいてパンをつまみ食いしようとして、俺は自分の指が透けていることに気が付いた。
そっか。触れないんだ。
視覚でごまかされているけど、匂いも感じない。鼻がないんだから嗅覚もないよな、そりゃ。
これは意外とショックがデカかった。もう俺って普通の人間じゃないんだって初めて実感した気がする。
それから半日以上、人が多そうなところを歩いてみたけど、すれ違う人々は誰も俺に気づかなかった。
平日の昼間だからみんな忙しそうだ。生死のことなんて忘れて、目の前のことで精一杯なんだろう。
活気のある場所は俺にとって相性が悪いらしく、妙に疲れる。
「どうすりゃいいんだよ……」
駅前のベンチに戻って座り込んでいたときだった。遠くでふと、救急車のサイレンが聞こえた。
救急車といえば病院──。
「あ、そうだ。病院! 俺のいる病院行けばいいんじゃん。死にかけた人いるよな、きっと」
病気とか、それこそ事故とかで死にかけている人間が大勢いるはずだ。なんで今まで気づかなかったんだ。灯台下暗し。
俺は希望を燃やして、救急車の先にある病院へと急いだ。
◇
「倫也……嘘だろ? 起きろよ!」
「倫也! 目を覚ませよ。俺だよ、拓巳だよ!」
俺の病室に行くと、騒がしい声がした。いつも一緒につるんでいた裕樹と拓巳の声だ。おそらく学校で俺が事故に遭ったことを聞いて、慌てて放課後に見舞いに来てくれたんだと思う。
なんだか嬉しい。こいつらとまた会えるなんて。
「おーい、お前らどこ見てんだよ。俺ならここにいるよ!」
いつもの調子で笑いながら呼びかけてみるけど、二人の視線はベッドに寝ている俺の肉体の方から動かない。こいつらにも俺の声が聞こえないみたいだ。
「いつか目を覚ますこともあるんだよな?」
「確率は低いって……目が覚めたら奇跡だとか」
「やめろよ。倫也が聞いてるかもしれないだろ……」
本当に聞いているとも知らず、二人は真っ暗な顔をして絶望に浸っている。
俺はこんなに元気なんだけどな。病室の空気が重すぎて、俺もふざけた顔でいられなくなってきた。
「そんなにヤバいのか……俺」
包帯と管だらけの痛々しい自分の体を見下ろして、ゾッとした。
この状態から目を覚ましそうな気が全くしない。顔には死相が現れている。
ダメそう。俺、本当に死ぬかもしれない。
だんだんと体の芯が冷える感覚がした。体の感覚なんてありはしないはずなのに。
「俺、倫也にゲーム貸しっぱなしだったんだよな」
「俺は……漫画借りてた。返さなきゃと思ってたんだけど……明日でいいか、明日返そうって、会うたびに思っちゃってさ……。こんなことになるなら、早く返しとけば良かっ……た……」
裕樹が顔面を両手で覆って泣き崩れる。
「ごめん、倫也。俺、いい加減で、ごめん……!」
「謝んなよ裕樹! 俺もいい加減だったし……お前らにはいつでも会えると思ってたから……!」
叫んでも俺の声は届かない。
分かってる。けど、叫ばずにいられなかった。
「倫也……毎日見舞いに来るから、早く目を覚ませよな。また三人で楽しくやろうよ。な」
「俺たちずっと待ってるからな」
二人の声が俺の胸を抉る。
お前ら、本当にいい奴らだよ。
二人のことが大好きだよ……。
どんなに叫んでも、この声が二人には届かない。
◇
打ちのめされた気分で俺は病院を出て、フラフラと街を歩いた。
病院の中で俺に気がつく患者も何人かいたことにはいたけど、俺から声をかけようという気持ちにはなれなかった。
もうすぐ死ぬのが分かっているからこそなのか、彼らは一日でも長く、後悔しないようにと日々を大切に生きている。半分あきらめながらも必死で生きている姿を見ていたら、共感でしかなかった。
あの人たちの残りの人生を俺が奪って生き返ろうなんて、身勝手すぎる考えだ。
そりゃみんな生きたいよな、と思う。
俺だって生きていたい。
親や友達が悲しんでくれているのを見て、猛烈に生き返りたくなった。
でも、俺の代わりに死んでもいいと言ってくれる人間なんているわけがない。
親や友達だったらそう思ってくれる確率は他人より高いのかもしれないけど、俺が嫌だ。
俺のために大切な人が死ぬなんて、絶対嫌だ。
通りの向こうから、楽しそうにしゃべりながら歩いてくる男子高校生の集団が前から近づいてきた。
そのうちの一人とまともに肩がぶつかったけど、彼はそれに気づかず通り過ぎる。
「昨日さー彼女に甘えた感じのメッセ送ろうとしたんだけど、間違えて親に送信しちゃってさ。恥ずくて死にたくなったわー」
「あーそりゃ俺でも死ぬなー」
そんなこと言いながら笑っているそいつらを振り向いて睨む。
嘘つけよ。
お前ら、俺が見えないくせに。
死を意識している人間には俺が見えるってKが言ってたぞ。
死ぬ気もないくせに簡単に死にたいとか言うなよ。
後ろから殴りつけたい。
でも──固めた拳には力が入らなかった。
何故だか分かる。
こいつらは昨日までの俺自身だからだ。
明日死ぬなんて思いもせずに、軽口叩いて笑いながら平気で死ぬと言う。
俺はそういうくだらない日々を、心の底から愛してたんだ。
歩道橋の上で、暮れていく街並みを眺める。
消えていく夕陽が眩しくて、ビルを覆っていく光と影のコントラストがただ美しい。
この街も好きだったな。
無性に悲しくなってきて、泣きそうになった。
その時だった。
「死んじゃおうかな……」
ボソッと誰かが呟く声が聞こえた。
感傷的な気持ちに水を差されたような気がしてムカついた。
どうせ本気じゃないくせに。
声をした方向に尖った目を向ける。
そこに見知らぬ女子高生がいた。
彼女は俺と目が合って、不思議そうに瞬きをした。
「え?」
俺が見えてる?
そうとしか思えない表情だった。
長めにカットした前髪、ぼさっとしたボブカットの色は黒く、陰キャの香りがする女子高生だ。
俺が友達になるタイプの女子とは真逆の感じ。清楚で真面目そうではあるんだけど、固すぎて冗談が通じなさそうで。
だけど、別にナンパするわけじゃないし選り好みをしている場合じゃない。
なにしろ、今日出会った初めての「俺が見える子」ちゃんなのだから。このチャンスを逃したくはない。
「こんにちは!」
とりあえず明るく元気に笑顔で挨拶してみた。こういうのは第一印象が肝心だ。
彼女はほとんど表情を変えなかったけど、俺を避けるように目を外側に向けた。
声も聞こえてるな、これ。よしよし!
「見えてますよね? 俺のこと。あの、もし良かったら俺の話を聞いてもらえませんか? 今日、全然人としゃべってなくて寂しくて仕方なかったんですよ!」
これは本心だった。
魂を取るとか取らないとかいう以前に、俺は誰かと話がしたかったのだ。
こうなってしまった経緯とか、調子のいい死神への愚痴とかを誰かにこぼしたかった。
彼女は無反応だった。でもこれは聞こえていないフリだ。俺が近づくと、彼女は一歩下がった。確実に、俺に話しかけられるのを嫌がっている。
そりゃそうか。得体の知れない幽霊みたいな男に話しかけられても怖いだけだ。
「すみません、自己紹介してませんでしたね。俺の名前は藤牧倫也って言います。宮藤高校の二年、16歳です。趣味はゲームで、好きな食べ物は……えーと、焼肉です! で……あなたは?」
「……」
長い沈黙の後で、彼女は俺を無視して通り過ぎようとした。
「いやいやいや、待ってくださいよ! こういうノリ苦手ですか? どうしたら話をしてもらえます? 何でもするんで、言ってください!」
「やだ」
否定的な一言だったけど、会話になっている。それが嬉しすぎて、俺は変態みたいに喜んだ。
「よっしゃあ!『やだ』いただきました! あー嬉しい、マジで。生きてて良かった!」
「生きてる……?」
彼女は俺の透けた身体を見て不思議そうに呟いた。
「まあ、ほぼ死んでるんですけどね。あと一ヶ月くらいは大丈夫かなーなんて。あ、俺に興味持ってくれました? 良かったら事情話しますけど!」
「結構です」
あと一歩というところでシャッターを閉じるように会話を切って、彼女が走り出した。
「あ、待って!」
俺は必死で追いかけた。
「あのさ、君、いま本気で死にたいって思ってただろ? どうしてなのか教えてよ!」
「え……?」
彼女が振り向いたのは、歩道橋の階段一歩目に足をかけようとした瞬間だった。彼女の体が不吉な角度で傾きはじめる。
落ちる──。
そう思った俺は無意識に彼女の方へと手を伸ばしていた。


