死にたがりの君に捧げる10の約束



 数日経っても伊緒の記憶は戻らなかったが、生活に支障はなかったので普通に学校に通った。
 いつも通りに過ごす中で、ある日突然小さな事件が起きた。

「あ、あのう……」
 それは、クラスメイトの遊佐(ゆさ)という女子だった。彼女がおそるおそる伊緒に声をかけてきたのだ。

「水瀬さんにちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
「何?」
「その髪、どこで染めたの? すごく綺麗」
「ああ、これ……」

 伊緒は記憶を辿ろうとしたが、思い出せなかった。

「ごめん。覚えてない」
「そ、そうなんだ。ごめん」
「ううん」

 彼女はすごすごと自分の席に戻りかけたが、勇気を出したように伊緒を振り向いて「あのっ」と再び声をかけた。

「もし良かったら、これから一緒にお昼食べたり、おしゃべりしたり、どこか遊びに行ったり、しない⁉︎」
「これからって……授業あるし」
「そういう意味のこれからじゃなくて」
 遊佐は恥ずかしそうに目線をキョロキョロさせたあと、

「わ、私と、友達になって……くださいませんか」

 と言った。
「え?」
「じ、実は、ずっとクールな水瀬さんに憧れててえ……しゃべってみたかったんだけど、勇気が出せなくてえ……。私ってちょっと……いや、かなり、陰キャだから、私みたいな日陰者が友達になりたいなんておこがましいと思うんだけど……」

 伊緒は遊佐の顔を初めてはっきりと見た。
 メイクは以前の伊緒と同様、何もしていない。髪は真っ黒で一度も染めてなさそうだ。オドオドしていて自信のなさそうな態度だが、きっと一歩踏み出せばさっきのような勇気を出せる子なのだろう。
 
 今までの自分に少しだけ似ている。

「いいよ」
「ですよねっ。ごめんなさいっ。……えっ?」
「友達……なってもいいよ」

 伊緒は恥ずかしくなってうつむいた。遊佐の顔が見られなかった。

「ええええ〜っ⁉︎ 本当⁉︎」

 遊佐は自分の出した喜びの声が響いたことにビビって辺りを見回した。隠キャのあるあるムーブに思わず笑いそうになる。

(この私に……友達?)

 伊緒には信じられなかった。ずっとひとりぼっちだと思っていたのに、こんな騒がしそうな友達ができるなんて。

  
「ありがとう! 水瀬さんのこと前から気になってたんだけど、話しかけるきっかけがなくて……唐突でごめんなさいっ」
「ううん」
「最近、急に綺麗になったなあって思ってたの。その髪型も変わったし、メイクも可愛いし……私にも教えてもらえたら嬉しいなって」
「うん。いいけど……私も動画見てるだけだから」

 何がきっかけでそうなったのか自分でも分からないうちに、伊緒は日々メイクをするようになっていた。
 クローゼットの中には一着だけピンクのブラウスの服がかけられており、記憶をなくした日にそれを着ていたのは覚えているが、どこで買ったのかも思い出せない。
 不思議だ、と説明すると、遊佐はワクワクした瞳で「それって記憶喪失? ドラマじゃん!」と食いついてきた。
 
「あと、銀行口座に入っていたお金がこの一ヶ月で五万くらい消えてたの。何に使ったのか覚えてない」
「ひえー! それはやだ!」

 反応がオタクっぽくて面白い。仲のいい子にだけは思い切り心を開くタイプなんだろう。
 
「水瀬さん、面白い! あ、えーと……」
 遊佐がまた急にモジモジし始める。
「何?」
「下の名前で呼んでいい? 伊緒ちゃんって」

 それには伊緒も照れた。

「ちゃんって、ガラじゃない」
「そ、そうだよね。水瀬さん大人っぽいし! じゃあ、伊緒さんで」

『伊緒さん』

 その瞬間、頭の中で誰かの声がした。 

「えっ?」
 伊緒は思わず辺りを見回した。
 男子の声だったけれど、辺りにはそれらしき男子はいない。

「どうしたの? 伊緒さん」
 
『伊緒さん』
『やめてよ、伊緒さん』
『伊緒さん可愛い』

『俺は、伊緒さんが……』


 誰。


 その声は、誰?

 誰かが私の名前を呼んでいる。頭の中の誰かが。