「パパは昔、私のことをすごく可愛がってくれたの。ママなんかより美人になるよって。それが気に入らなくて、母は私を可愛がらなくなった。母を捨てて、女に戻ろうとしたの。もともと子育てには向いてない人だったんだよね。それで私をほったらかしに……」
話しながら、伊緒さんはまただんだんと無表情になっていってしまった。
「私は可愛くなっちゃいけなかったの。可愛くなっちゃうと、あの人が嫉妬する。あの人が泣き喚く。だから、笑顔も捨てた。可愛い服も欲しがらなかった。そうすればあの人のところにパパが帰ってきて、あの人も優しくなって、三人でまた暮らせるって思ってたの。でも……結局、ダメだった。パパの気持ちはあの人からどんどん離れていって、家に帰らなくなった。それもきっと、私のせい」
「どうして伊緒さんのせいなの?」
「私が可愛くなくなったから……パパも私に興味がなくなったのよ」
俺は透明な手をそっと伸ばして、伊緒さんの頭を撫でてみた。
伊緒さんが泣き出しそうな気がしたからだ。
「私は、結局二人の役に立たなかった。ただのお荷物。生まれてきても意味がなかったの」
「そんなことないよ。意味はあったよ」
「どんな?」
伊緒さんの瞳が俺をじっと見つめる。
そのとき、今までの出来事が俺の脳裏にフラッシュバックした。
「伊緒さんは……俺に生きる楽しさを教えてくれたよ」
この部屋で。美容院で。カフェで。遊園地で。焼肉屋で。カラオケ屋で。DVD屋で。
たった一ヶ月の短い間だったけど、本当に楽しかった。
「……そう。良かった」
伊緒さんの瞳にきらりと光る涙が浮かんだ。
「私、役に立った?」
「役に立つどころないよ。伊緒さんはもっともっと大きな存在だったよ。俺という魂を救ったんだ。それは、君にしかできなかった」
俺は泣きながら笑った。
「君が死にたがりで良かった」
「ふふっ」
伊緒さんの笑い声を初めて聞いたような気がした。その瞬間、彼女の涙が流星のように落ちた。
こんなに美しい流星は、生まれて初めて見た。
「伊緒さん……ひとつだけ言ってもいい?」
伊緒さんはそっと涙を拭って俺を見た。
「伊緒さんの話を聞いててふと思ったことなんだけど……伊緒さんて本当は、お母さんのことが好きなんじゃない?」
「は……?」
「無表情で可愛くない子を演じていたのは、お母さんに嫌われたくなかったからじゃないかなと思って……違ったらごめん」
俺に可愛いと言われて、必死に「可愛くない」と否定していたのも、お母さんを傷つけないための優しさだったんじゃないだろうか。
他人の俺ですら怒ってたのに、伊緒さんは今までお母さんへの恨み言を一切言わなかった。
きっと、他人には分からない深い愛がそこにはあるんだ。
「……分かんない。でも」
伊緒さんはボソッと呟いた。
「あの人はただ普通に誰かに愛されたかっただけなんだって思ってる。私よりもずっと孤独で、その孤独に耐えられない弱い人なんだろうなって。ひどいこと言われても憎みきれなかったな、何故か」
伊緒さんは涙をためて微笑んだ。
「最後に一度くらいは……あの人に抱きしめてもらいたかった」
「だったらちゃんとそう言った方がいい。お母さんの目も覚めるかもしれない」
「もう……今さら遅いよ。リストは終わったから、私はもう死ぬ」
「いや、まだだ」
俺は右手の指を3本立てた。
「あと3つ、まだ俺が決めてないリストがあったよね。思いついたから、それやろう」
「あと3つも? そんな……」
「今度こそ、俺の最後のお願い。大丈夫、簡単なことだから、うまくやれれば明日の一日で終わる」
お願い! と俺はまた土下座した。
これでもう何度目だろう。土下座は俺の専売特許、伝家の宝刀となりつつある。
「……そう。分かった。明日で最後ね」
伊緒さんは寂しそうに呟いて、そのまま目を閉じた。
まだリストが完成していないと知って眠気が急に襲ってきたようだ。
朝から歩きっぱなしだったもんな。
「おやすみ、伊緒さん」
俺もなんだか眠くなってきて、伊緒さんの隣で彼女と頭をくっつけて目を閉じた。
最後の夜明けがやってくるまでの数時間、俺たちは多分、幸せな夢を見ていた。
俺がいつか生まれ変わって、あの遊園地辺りで再会する。
──そんな、陳腐で尊いおとぎ話のような夢物語を。


