カラオケ店は22時で追い出された。
青少年保護育成条例により、未成年はそれ以上の深夜帯の利用ができないとポスターに書かれていたからだ。
追い出される直前、伊緒さんは抱きしめていたクッションに自分のゾンビメイクがくっついて黒くなってしまったことに気づいた。大慌てでハンカチを濡らしてきて拭いたけど、うまく取れなかったみたいだ。
仕方ないからクッションを裏返しにして、店には汚したことを内緒にして置いてきた。
彼女の犯した可愛い犯罪は、若気の至りなんていう言葉と共に彼女の記憶に残るかもしれない。
そこに俺といた覚えはなくても。
クッションよりも凄惨だったのは彼女の崩れたメイクだった。化粧室でハンカチを濡らすついでに、伊緒さんはメイクも落としてきた。薄化粧になって戻ってきた伊緒さんはやっぱりすごく可愛かった。
「可愛いよ伊緒さん。やっぱり素顔が一番可愛い」
「うるさい」
伊緒さんは永遠に黙れと言いたそうな尖った瞳で俺を睨んでくる。
伊緒さんになら殺されてもいいけど、俺たちにはまだ予定があった。
「映画、何にする?」
「それずっと考えてたんだけど、感動する映画といったらドラえもんくらいしか思いつかないんだよな。伊緒さん、何か見たいのある?」
「ない」
「……そう言うと思った」
映画館で上映中のを適当に見るっていうのも手だけど、人生最後の映画だからたとえ古くても名作と呼ばれるものが見たい。
「店に行ってDVD選ぼうよ。サブスクで見られないものも見つかりそう。伊緒さんちにプレイヤーある? 見られるかな?」
「……多分」
「急ごう。店が閉まっちゃう」
DVDレンタルショップはサブスクの普及により、昨今街から少しずつ消えつつある。伊緒さんのスマホで、まだ開いている店を探して直行した。
店に入ると、さっそく二人で鑑賞する映画を選んだ。たくさんありすぎて却って迷いながら、ああでもないこうでもないと口論をするのも楽しい。
「いや、これガチガチのホラーだから」
「ダメなの?」
「もっと感動的なやつにしようよ」
「湿っぽいのは苦手」
「じゃあライトなラブコメとかどう?」
「くだらなそう」
「確かに、ラブコメで名作ってあんまり聞かないよな……」
五周くらい棚の隙間をウロウロしていたとき、モノクロ映画の不朽の名作コーナーを見つけた。そこに、一本だけ知っているタイトルがあった。
「これ、母さんが前に父さんと見たことがあるって言ってたやつだ」
「何?」
オードリー・ヘップバーン主演『ローマの休日』。
ジャンルはコメディーロマンスとなっている。つまりラブコメだ。
「これにしてみない?」
「いいよ」
最後の映画はこんな感じであっさりと決まった。
◇
移動するだけで遅くなり、結局伊緒さんの家に着いたのは深夜0時近くになってしまった。
こんなに遅くまで外を出歩いていれば俺なら一週間外出禁止の刑になるところだけど、伊緒さんの家庭は違った。
叱るはずの親がいない。
彼女の母は今日もどこかへ遊びに行ってしまったのだろうか。
俺の視線を読んで、伊緒さんが答える。
「あの人とは一週間口を利いてないの」
「えっ……。どうして?」
「私が髪をピンクにしたり服を勝手に買ったことが気に入らなかったみたい」
「俺のせいじゃん! 大丈夫なの⁉︎」
「いいの。どうせ私、死ぬし。それより早く観よ。あの人いない方が好都合だから」
「うん……」
伊緒さんは吹っ切れている表情でDVDをセットし、あえて部屋を暗めにして映画館のような雰囲気を作った。
「ポップコーン買ってくれば良かったね」と俺。
「何で?」
「映画といえばポップコーンでしょ」
「そうなんだ」
伊緒さんは実際の映画館には行ったことがないらしい。だったら行けば良かったな。ちょっと残念に思いながら二人並んでソファーに座ると、騒がしいオープニングミュージックとともに映画が始まった。
冒頭、ヨーロッパのアン王女がパリやアムステルダムといった各地の宮殿に訪れて外交に明け暮れる。そこには白黒フィルムだということを感じさせない華やかさがあった。
「伊緒さんは海外に行ったことある?」
「何度かある。パパが連れて行ってくれたから」
「いいな。俺、一度も飛行機に乗ったことがないんだ」
「初めてね」
「ん?」
「私が経験しているのに、あなたが経験したことがない。今までと逆のパターン」
「本当だ」
まだまだ知らないこと、やりたかったこと、いっぱいあったな。
伊緒さんと二人でそれを見つけあっていきたかった。
好奇心と現実逃避によって深夜に突然宮殿を抜け出したアン王女みたいな、爆発的な衝動のままに。
お金もないのに勝手に髪を切ってしまった、無知だけど行動力があり人一倍瞳がキラキラしているアン王女に伊緒さんは何を感じただろう。
君もあのくらい自由でいいんだと俺は伝えたい。
王女だって羽目を外してスペイン広場でジェラートを食べたりバイクで二人乗りをしたりする。
伊緒さんだって、これからいくらでもそういう冒険ができるんだよ。
偶然にして適当に選んだDVDだったけど、この映画は間違いなく俺たちのベストになった。
アン王女演じるオードリー・ヘップバーンは信じられないくらい可愛かったし、新聞記者のジョーを演じるグレゴリー・ペックはずっと紳士で格好良かった。
ラストシーンまで伊緒さんは画面に釘付けで、一言も話さなかった。
俺はちょっと泣きそうだった。
王室に戻ったアン王女は自分の運命を受け入れて、ジョーも出席している記者会見の場で「私は生きている限り、この街の思い出を大切にしていきます」と言う。
二度と会うことはできないかもしれないけど、一生忘れないという彼女の気持ちが俺には痛かった。
俺は伊緒さんから記憶を奪おうとしている。
楽しかった思い出を全て忘れさせようとしている。
もしも伊緒さんが俺のことを一生忘れないと言ってくれたら、俺はすごく幸せだ。自分勝手だけど、本当は忘れないでほしい。ここに俺がいたことを伊緒さんに一生覚えていてほしいんだ。
我慢していたけど、やっぱり泣いてしまった。
「泣き虫ね」
伊緒さんがからかう。だけどそう言う彼女もちょっと涙目だ。
伊緒さんは変わった。
最初に会った時は全然表情が変わらなかったのに、今はもう別人みたいに見える。
「伊緒さん……聞いてもいい?」
「何?」
「俺と初めて会った時はどうして死にたがってたの?」
「……ありきたりな理由」
「やっぱり、お母さん?」
伊緒さんを全く可愛がってくれないお母さんのせいかな。今まで聞くのを躊躇っていたけど、やっぱりこの問題は避けて通れない。
俺の亡き後、伊緒さんが幸せに生きるためにも。
「こんなこと言うと失礼だけど……お母さんとは別居した方がいいんじゃないかな。お父さんがいるんだよね? だったらお父さんと暮らしたら? たとえ親子でも、気が合わない人とは一緒にいない方がいいこともあると思うんだ」
「私もそう思ってた。どうせ要らないなら、手放してほしいって。離婚してくれないかなって。そうしたらパパのところに親権を移してもらって、パパのいる海外で暮らせるのにって」
俺は頷いた。その方が伊緒さんは幸せになれそうな気がする。
「でも、無理だと分かったの。パパはね、海外でずっと浮気をしていたんだ」
映画のように美しい、永遠の愛なんてないんだ。
伊緒さんがその真理に辿り着いてしまったのが、俺と出会った日のことだった。


