「それじゃ、来週は遊園地ね」
「うん」
伊緒さんをマンションに送り届けながら、伊緒さんと交わす約束。
来週はついにメインイベントのジェットコースターと一人焼肉に挑戦しようということで話はまとまった。
来週も楽しみだな。
前方に広がる暮れかけた空の色はなんとも言えず綺麗だった。
こんな絶望的な状況でさえ希望を感じられる。無限の輝きが明日まで続いている。
世界ってこんなに綺麗だったかな。
俺、今までこんなふうに空を見たことがあったっけ。
誰かと交わす未来の約束があることを、こんなに嬉しいと思ったことがあったっけ。
「今日はありがとうね、伊緒さん。俺、すっごく楽しかったよ」
「そう。良かったね」
他人事みたいに聞いている伊緒さんの横顔は無表情だ。それでもいつもよりなぜか可愛く見える。髪とメイクと服のせいなのか、夕陽のエフェクトのせいなのか。分からないけど、ずっと見つめていたくなる。
不思議な気持ちだ。例えようもない、あの空の色と同じ。
「伊緒さんは楽しかった?」
「うーん。分かんない。それより疲れたって感じ。早く靴を脱ぎたい。この服もどうせ二度と着ないな」
「えーっ! もったいないよ!」
「だって、着る機会がないし」
「じゃあ来週もそれで来て!」
「無理。メイクとか再現できないし」
確かに、このメイクを一人で再現するのは難しそうだ。
「じゃあ練習したらどう? 意外とハマるかも」
「興味ない」
「伊緒さん、可愛いからいつもメイクしたらきっとモテるよ」
モテたらやだな。
メイクで綺麗になった伊緒さんがたちまち人気者になる姿を想像して、ちょっと切なくなる。
伊緒さんのメイクが上達する頃には、俺はきっとそばにはいない。
「うざ。そんなのめんどくさいだけじゃない」
伊緒さんは心底うんざりという顔をした。俺は笑いながら、内心安堵する。
「まあ、今日のあいつはめんどくさかったよね。俺、ちょっと心配になっちゃった」
何かに引っかかったように、伊緒さんがチラッとこっちを見る。
「心配って?」
「伊緒さん、言葉が強いんだもん。あんな言い方して、男が逆上してきたら危ないよ。男がみんな俺みたいな情けない奴だったらいいけど、変に歪んだネチネチした性格の奴もたまにいるから気をつけてね」
守りたいのに守れなかった切なさがまた胸に蘇る。
「伊緒さんにもしものことがあっても、俺はもう何もできないから……いつか伊緒さんが傷つけられたらって想像するのが怖いよ。伊緒さんには自分をもっと大切にしてほしいな」
伊緒さんの足が止まった。俺も足を止めて彼女を振り返る。
「どうしたの?」
「……説教、やめてよ。自分を大切にしろ? 何それ。意味分かんないんだけど」
伊緒さんはうつむいている上に、逆光で表情がよく見えなかった。
何か様子が変だ。
「伊緒さん……? どうしちゃったの?」
「どうしたのって、変なのはあんたでしょ?」
「何が──」
「あんたはどうせ、私を利用して自分が生き返りたいだけでしょ?」
俺はびっくりして言葉を失った。
「私を心配するフリしてるのは、私があんたのリストを実行してるからでしょ。そのために私を褒めたり、ご機嫌取ろうとしているだけでしょ。本心で思ってるわけじゃないくせに、優しいフリなんかしないでよ」
俺は反射的に首を振った。
「そんなことないよ! 俺、伊緒さんのことが本当に心配で──」
「自分のためじゃん。嘘つかないでよ」
「嘘じゃない。伊緒さんのことだって本当に可愛いと思ってるよ!」
「可愛くなんかない!」
「可愛いってば!」
俺は伊緒さんの肩に触ろうとした。伊緒さんはその気配を感じたのか、一瞬顔を上げた。
「やめてよ、死にかけのくせに!」
俺はドキッとした。
伊緒さんが──泣いてるように見えて。
「伊緒さ……」
「中途半端なことしないでよ。あんたはどうせ……私の前からいなくなるんだから」
伊緒さんは突然走り出した。ピンクのローファーの靴音が遠ざかるのを、俺はただ呆然と聞いていた。
◇
「うーん……」
「どうした? さっきからフン詰まりみたいな声出して」
永遠に回り続ける白馬に乗った死神が、隣を並走する栗色の馬に乗った俺に話しかけた。
また遊園地だ。気がつくと俺はいつもここにいる。Kに尋ねたところ、ここはあの世と現世との狭間にある魂の休憩所のような場所だそうだ。
霊体だけで現世に居続けると、やがて魂は地上にいる人間の怨念などをフィルターのように吸い込んで悪霊化してしまう。そのため、時間が経つと自動的にここに戻され、浄化されるシステムになっているのだとか。
ただしこれはKが俺にだけ施した魔法であり、例外中の例外。さもないと、地上の幽霊たちがこぞってここに来たがってしまい、浄化システムがパンクする。
どうりでいつも誰も居ないと思ったよ。いや、そんなことより──。
「フン詰まりって何だよ」
俺はうんざりしてKを睨みつけた。
「ひどい例えだな。こっちは真剣に悩んでるのに!」
「若いねえ。どんな悩みなのか言ってみろ。博識なイケオジが教えてやれるかもしれねえぞ」
「いや、おっさんには無理」
孤独な女子高生の、化け物のように得体の知れない気持ちなんて。
何度も何度も、あのシーンを思い出してしまう。
伊緒さんが急に怒り出して、俺に罵倒を浴びせたこと。
その理由も分からないけど、もっと分からないのは一瞬俺を見上げた時の彼女の表情だ。
泣いてたよな、伊緒さん。
あの時の伊緒さんの顔がいつまでも胸に焼き付いて、忘れられない。
伊緒さんは何で泣いていたんだろう。
俺はいつ伊緒さんを傷つけてしまったんだろう。
「なるほど。そんなことがあったか」
「うん……えっ⁉︎ なんで⁉︎ 話してないのに──」
「お前が頭に浮かべたものは一瞬で伝わるの。ここは俺の世界だから」
「ガチで⁉︎」
死神Kは本気とも冗談ともつかない笑みを浮かべる。
もしもそれが本当なら、隠していてもしょうがない。
「伊緒さん……顔は無表情だけど、本当は真面目でいい人なんだ。嫌そうにしてても、俺との約束をしっかり守ってくれるしさ。だけど、全然素直じゃない。俺が伊緒さんのこと可愛いって言ってるのに全然信じてくれないし、俺のこと嘘つき呼ばわりするし、急に怒ったり泣きそうになったり……わけ分かんないんだよ」
分かんない。
でもそんな伊緒さんが、俺は気になって仕方ない。
情緒不安定なところも心配だし……俺のことをどう思っているのかがすごく気になる。
あれからずっと、嫌になるほど伊緒さんのことばかり考えている。
確かに最初は伊緒さんの言うとおり、リストを実行してもらうために仲良くなろうとしていただけだった。
俺の命と引き換えに死んでくれないかと願ったりもした。
だけど、伊緒さんを心配していた気持ちだって嘘じゃない。
あれは俺の本心だった。
本気で伊緒さんが心配だったんだ。
信じて欲しかった。伊緒さんに、俺の言葉を。俺の気持ちを。


