まだ、第一志望じゃない

「起立。さようなら」
級長の声が響く。
「さようなら」
みんなの声が響く。
STの後。
すぐに帰る人、一つの机に集まっておしゃべりに花を咲かせる人。
クラスメイトは、それぞれの放課後へと散っていく。
「鈴音〜!」
そんな私も、数少ない友達のなかで、親友とも呼べる美羽と話すのがいつものルーティーン。
私と美羽は小学校から仲が良い。
推しも同じだから、話すことには困らない。
「美羽!今日も疲れたねー」
「ほんとほんと!」
「てかさ、ここのケーキ屋さん行かない?
最近できたお店で、めっちゃおいしそうなの!」
「そこ、知ってる!私も行きたいなって思ってた!」
「じゃあ約束。テスト終わったら行こう!」
「うん!」
中学生の約束。
これはいつまで覚えられているのかな。
私たちは、来年もこうやって約束できるのかな。高校が別々になったら。
...あ。
そういえば、聞こうと思っていたんだった。
美羽は、もう第一志望を決めているのかな。
今日は聞いてみよう。
そう思っていたはずなのに、いつものように話していると、すっかり忘れていた。
どうやって切り出せばいい?
「鈴音?鈴音ってば!」
「え、なに?」
「大丈夫?さっきから心ここにあらずって感じ」
「え、うん、大丈夫!」
「ならいいけど」
そして、話はすぐに変わる。
水の流れみたいに。
前の話の内容なんて、ずっと遠くへ運ばれていく。
何気ない会話なんて、いつの間にかこぼれて、忘れ去られていく。
言葉って、良くも悪くも不思議なものだ。
時には、人を傷つける。
そんなことをまた考えていて、美羽の話をちゃんと聞けていなかった。
ちゃんと聞かなきゃと思い直し、私は美羽の話へ意識を戻した。
「――なんだよね。
でさ、昨日の歌みた聞いた?めっちゃやばい」
「聞いた!やっぱり奏太くんは声が良すぎる。
顔と声のギャップがいいよね!」
それから、しばらく、奏太くんの話で盛り上がった。
笑って、くだらないことを言って。いつも通りだった。
そろそろ聞こう。そう思って口を開きかけた、そのとき――
「鈴音、進路決めた?」
どうしよう。
私が聞こうと思っていたのに。
私は、決まっていないのに。
答えられない。
でも、ここで言わなければ、美羽はきっと私を心配してしまうだろう。
でも、嘘はつきたくない。
だから、本当のことを言うことにした。
「実はまだなんだ。どこが一番か決められなくて。美羽は?」
「え、私?私は海星高校の推薦もらうつもり」
私はこんなにも悩んでいるのに。
どうして、そんなに迷いなく言えるんだろう。
羨ましい。
そう思った瞬間、その気持ちはなぜか、少しだけ苛立ちに変わった。
口には出さないつもりだった。
なのに、気づけば口から勝手に言葉が出ていた。
「美羽は、後悔しないの?」
言ってから、しまった、と思った。
美羽は少し黙った。
そして、「うん。私はここに行きたいから」
「そっか」
私はそれ以上何も言うことができなかった。
沈黙が続いて、周りの声がやけに大きく聞こえる。
このままここにいるのは辛くて、私はとっさに
「今日、塾があって、ごめん!先帰るね」
そう言って、教室を飛び出した。
下駄箱で靴を履き替え、校門までの道を歩く。
あぁ、やってしまった。
こんなの、いちばんダメだ。
美羽は何も悪くない。
ただ、自分が行きたい高校のことを話しただけなのに。
それなのに私は、まるで美羽が何も考えずに決めたみたいな言い方をしてしまった。
私も悩んでいるのに。
それに、逃げるために嘘までついた。
明日、ちゃんと謝らなきゃ。
そう思いながら、帰路を進む。
でも、いくら歩いても、さっきの会話が頭から離れなかった。
『私はここに行きたいから』
どうして、あんなふうに言えるんだろう。
私だって、ちゃんと考えている。
考えて、考えて、考えて。
それでも決められないのだ。
......いや。
もしかしたら、私は考えすぎているのかもしれない。
失敗しないように。
後悔しないように。
そうやって考え続けているうちに、余計に分からなくなっているのかもしれない。
でも、それだけじゃない気もした。
それなら、どうして私はこんなに怖いんだろう。
何が怖いんだろう。
そんなことを悶々と考えながら、決められた動作をこなすように家に帰った。
「ただいま」
「おかえり。ちょっと海斗と煌希のことお願いできる?」
私は笑って、うん、と答えた。
「お姉ちゃん、今日なんかあった?」
海斗がゲームをしながら聞いてくる。
少しドキッとした。弟に見透かされている気がして。
でも、平然を装って答えた。
「え?なんもないよ?」
「そう?だっていつもより遅い」
「友達とちょっと話してたから」
「ふーん」
海斗はそれ以上興味を示さず、テレビに目を戻した。
私も制服から部屋着に着替えて、いつも通り二人の相手をする。
いつも通り。
なのに、頭の中にはずっと、さっきの美羽の言葉が残っていた。
煌希は私のところまでやってきて、「お姉ちゃん、遊ぼ」と袖を引っ張る。
「はいはい。何する?」
「ゲーム!」
「また?」
「昨日もお姉ちゃんが勝っちゃって勝てなかったもん」
「じゃあ今日もお姉ちゃんが勝っちゃおうかな」
「絶対負けない!」
笑いながら、弟たちとゲームをする。
さっきまであんなに重かった気持ちも、その間だけは少し軽くなった。
でも、ふとした瞬間に思い出す。
『私はここに行きたいから』
コントローラーを握る手が、一瞬止まった。
「お姉ちゃん?」
「......ん?」
「今、止まってたよ」
「ごめんごめん。続きやろ」
私はまた笑った。
「あのねあのね、今日学校楽しかった!!今日ね、陸くんとドッジボールしたの!僕あたらなかったんだよ!!いっぱいボールとった!」
「すごいじゃん!」
楽しい、か。
楽しいってなんだろう。
今日の私は、楽しかった?
美羽と話していたときは楽しかった。
でも、今は苦しい。
同じ一日の中なのに。
その日の夜。
お風呂から上がって、自分の部屋に戻る。やっと、ひとりになった。
ベッドに座ると、今日のことが一気に蘇ってきた。
『私はここに行きたいから』
美羽の声が、何度も頭の中で繰り返される。
私は。
私は、どこに行きたいんだろう。
なにげなくスマホを見ると、美羽とのトーク画面が目に入った。
いつもなら、今日話したことの続きを送ったり、推しの動画を送り合ったりする時間。
でも今日は、メッセージを打つ気になれなかった。
『さっきはごめん』
そう打って、消す。
『今日、変なこと言ってごめんね』
また消す。
謝りたい。
でも、何に対して謝っているのか、自分でもよく分からなかった。
言ってはいけないことを言ったから?
美羽を傷つけたかもしれないから?
それとも――。
自分が決められないことを、美羽にぶつけたから?
スマホの画面を伏せる。
明日、ちゃんと謝ろう。
それだけは決めた。
でも、謝ったところで、この気持ちは消えない気がした。
私はベッドに寝転がって、天井を見る。
美羽は、どうしてあんなに迷わず言えたんだろう。私は、どこに行きたいんだろう。
どこでもいいわけじゃない。
ちゃんと考えている。
なのに、どうして私は決められないんだろう。
「......どこに行きたいんだろう」
誰に聞くでもなく、呟いた。

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二十二時。ベッドにうつ伏せになって、SNSをチェックする。
推しの新しい動画が上がっていた。
いつもなら、すぐに鈴音に送る。「見た?」それだけ送ればたぶんすぐに返ってきて、話し続けるだろう。
でも、今日は送れない。
あのとき教室を飛びだしていった鈴音を私は引きとめることができなかった。
後悔しないの?と聞かれた時、
「うん。私はここに行きたいから!」
そう言ったときの自分の声を思い出す。本当は私だって迷っている。
そしてまた検索欄に「高校 後悔しない選び方」と打ち込む。
出てきた検索結果を見ても、この選択があっているのかは分からない。
でも、「ここにする」と言いきれば、迷ってない人になれる気がした。
だから、鈴音にそう言ってしまった。
だけどそんなこと言ったってやっぱりまだ迷っている。
「......私だって、分かんないよ」
その声は狭い部屋にむなしく消えていく。
何度も考えた。本当にここでいいのかなって。別の高校の方が楽しいんじゃないか。
それでも、私はあそこに行きたいと思った。
迷いながらでも行きたいって思える場所があった。
明日、鈴音に言ってみよう。
私だって、迷ってるって。
本当のことを。

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翌朝。教室に入ると、美羽はもう来ていた。
いつもなら、教室に入ってすぐに「おはよー」と声をかける。
でも今日は、なかなか足が動かなかった。
昨日のことが頭から離れない。
『美羽は、後悔しないの?』
あんな言い方をするつもりじゃなかった。
私は自分の席に荷物を置いて、何度も美羽のほうを見た。話しかけなきゃ。
そう思っているのに、なかなか声が出ない。
すると、美羽がこちらを向いた。
目が合う。
「あ......」
先に声を出したのは、美羽だった。
「おはよ」
「...おはよう」
いつもと同じ言葉。
それだけなのに、少しだけほっとした。
でも、これだけで終わらせちゃいけない。
「あの、美羽」
「ん?」
「昨日、ごめん」
美羽は少しだけ首をかしげた。
「昨日?」
「後悔しないの?って言ったこと」
美羽は少し考えるように黙った。
「正直、ちょっと傷ついた」
胸がぎゅっとなる。
「ごめんなさい」
「ううん。私も、鈴音がなんであんなこと言ったのか、なんとなく分かるから」
「え?」
美羽は小さく笑った。
「私だって、迷ったよ」
思わず顔を上げる。
「......え?」
「高校のこと。ここで本当にいいのかなって、何回も考えた」
昨日の美羽からは、そんなことを考えているなんて想像もできなかった。
「だって、高校なんて実際に行ってみないと分かんないじゃん。
入ってから後悔するかもしれないし、別のところのほうがよかったって思うかもしれないし」
「じゃあ、なんで決めたの?」
美羽は少し考えてから答えた。
「それでも、私はここに行きたいって思ったから」
昨日と同じ言葉。
でも、昨日とは少し違って聞こえた。
「迷ってないわけじゃないよ」
「そうなの?」
「うん。迷いながら決めた」
私は何も言えなかった。
迷っていても、決めていいんだ。
そんな当たり前のことが、今になって少しだけ分かった。
「そっか」
それだけ言うと、美羽が笑った。
「じゃあ、仲直りね」
「もちろん」
「よかった。鈴音と仲直りできるかなって今日、心配だったの。
あと、テスト終わったらケーキ屋さん行くからね」
「あっ、忘れてた!」
「忘れるなよ!」
「ごめんって!」
二人で笑った。
昨日までと同じような笑い声。
でも、私の中には昨日までとは少し違うものが残っていた。
迷っているのは、私だけじゃない。
美羽だって迷いながら決めたんだ。
だけど、私はまだ、自分がどこに行きたいのか分からない。
「......どこに行きたいんだろう」
また浮かんだのは、昨日の夜と同じ言葉だった。


その日の放課後。
「鈴音、今日一緒に帰らない?」
美羽にそう聞かれて、私は頷いた。
「うん。帰ろ」
昨日までなら、なんでもない会話だった。
でも今日は、少しだけ違った。
昨日、美羽と進路の話をしたからだろうか。
「美羽?」
「ん?」
「美羽って、海星高校のどこが好きなの?」
「え?」
美羽が目を丸くする。
「実はね、私もそこ気になってるの。美羽、昨日行きたいって言ってたし」
美羽は歩きながら考えるように空を見上げた。
「最初は、制服がかわいいから」
「そこ!?」
まさか最初の決め手が制服だとは思わず、笑ってしまう。
「だって大事じゃん!」
「まあ、大事だけど」
「それで、文化祭に行ったときに、先輩たちがすごく楽しそうだったの。
先生とも距離が近くて、なんかいいなって思って。
あと、部活もやりたいのがあるし」
美羽はそこで少し黙った。
「でもね、全部が好きなわけじゃないよ」
「え?」
「校則とか、ちょっと厳しいところもあるし。通学だって今より大変になるし」
「じゃあ、そこが嫌じゃないの?」
「嫌だよ」
あっさり答えられて、私は少し驚いた。
「でも、それ以上に行きたいって思った」
「そっか、」
また、その言葉だった。
行きたい。
私はその言葉を頭の中で繰り返した。
海星高校。
空桜高校。
青葉高校。
星川高校。
それぞれの名前を思い浮かべる。
私は、どこが好きなんだろう。
校風。
先輩。
大学との連携。
通いやすさ。
どれも、確かに魅力的だ。
でも、それは「ここに行きたい」という気持ちとは少し違う気がした。
「鈴音?」
「ん?」
「なんか考えてる?」
「うん」
私は少し迷ってから答えた。
「私、自分が高校で何したいのか、分かってないのかもしれない」
美羽は何も言わずに聞いてくれた。
「大学に行きたいのかも、まだ分からない。将来何になりたいかも分からない。
だから、どの高校がいいって聞かれても、決められなくて」
「うん」
「みんなはちゃんと、やりたいことがあるみたいに見えて...」
そこで言葉が止まった。
昨日までなら、ここで「だから私はダメなんだ」と考えていたと思う。
でも。
「でも、まだ分からなくてもいいのかな」
美羽が笑った。
「いいんじゃない?」
「そんな簡単に?」
「だって私たち、まだ中学生だよ?」
「そうだけど」
「将来のことなんて、分からないことのほうが多くない?」
「美羽は分かってるように見えた」
「えー?」
美羽が笑う。
「私だって全然分かんないよ。
ただ、今の自分が行ってみたいって思ったところが海星だっただけ」
その言葉を聞いても、すぐに気持ちが軽くなったわけではなかった。
将来やりたいことも分からない。
大学に行きたいのかも分からない。
だから、私にはやっぱり「ここに行きたい」と言える場所がない。
でも、美羽だって、全部が決まっているわけじゃなかった。
それなのに私は、昨日、美羽が迷っていないように見えたから。
自分だけが取り残されているような気がして、勝手に焦っていた。
「...そっか」
小さく呟くと、美羽がこちらを見る。
「うん」
「じゃあ、私も...もう少し考えてみる」
「うん。それでいいんじゃない?」
美羽は、それ以上何も言わなかった。
そのことが、なんだかありがたかった。
「第一志望を決めなきゃ」
「早く答えを出さなきゃ」
そんなことばかり考えていたけれど。
今すぐ「正解」を決められなくても、いいのかもしれない。
だけど、本当にそうなのかは、まだ分からない。
一週間後には、紙を提出しなきゃいけない。
そのときまでに何か一つを選ばなければならないことに変わりはない。
だから、不安はまだ残っている。
むしろ、考えなければならないことは、まだたくさんある。
「ねえ、美羽」
「ん?」
「海星高校の他の好きなところは?」
美羽は少し驚いたあと、嬉しそうに笑った。
「いいよ。いっぱいあるから聞いて!」
「そんなに?」
「あるある!」
美羽が楽しそうに話し始める。
私はそれを聞きながら、頭の中に四つの高校を思い浮かべた。
海星高校。
空桜高校。
青葉高校。
星川高校。
どこもまだ、第一志望とは言えない。
けれど、昨日までの私は、
「どれか一つを決めなきゃ」
そればかり考えていた。
けど、今は
「もう少し、見てみてもいいのかもしれない」
そう思えた。
空欄を見つめているだけだった昨日よりは、ほんの少しだけ、前を向けている気がする。
たぶん、ほんの少しだけ。
私はそう思いながら、美羽の話に耳を傾けた。