9月12日 わかれみち

 黒い画用紙に定規を当ててカッターを引く。切り離された破片が床に散らばり、黒い染みのようになったところを上履きが滑っていった。

「踏むなって」
「え? なに」
 
 同じクラスで写真部の上野が足下をのぞき、汚れた黒い画用紙の破片を摘まみ上げた。

「なにこれ使うの」
「使わん。捨てるやつ」
「じゃあ落とすなよ。ゴミ箱に捨てろ」
「捨ててくれていいよ」
「めんどい」
「捨ててください、お願いします上野さま」
「……めんどくせ」

 ゴミ箱に向かう上野の気怠そうな背中を見送る。
 高校から男子校に入って思うのは、想像以上に教室が汚いことだった。机やロッカーから溢れるプリント、丸めた紙片やストローの袋が多少散らばっていても、みんなあまり気にしない。前なんて、自販機のそばに通学定期のICカードが落ちているのに気づき拾おうとしたら、飲み物を買おうと走ってきたやつに蹴り飛ばされて自販機の下に滑り込んでしまった。
 細かいことは気にしないらしい。そんな風に言う俺も、自分の持ってきたビニール傘で帰ったことはない。
 画用紙に印刷した写真を貼り付けていると、

「海人の『海シリーズ』、ちっちゃくなってんじゃん」

 戻ってきた上野に手元をのぞかれた。頷きながら、丁寧に写真の縁をなぞる。

「展示したい写真が増えたから、こっちはまとめる」
「ふうん。ま、四連もいいかも。朝昼夕方夜のグラデーション、きれい」

 きれい。それは俺の撮り方やレタッチの仕方が良かったんじゃなくて、本当に綺麗な浜辺だったからだ。
 それに、この写真は「きれい」以外の何の感想も持たない気がする。

「上野は展示用のパネル、完成したの」
「もちろん。見る?」
「見る見る」

 集まった写真から、特に素晴らしいと部長が選んだものはパネルにして廊下に飾ることができる。それ以外のものは黒い画用紙を額縁に、教室内の壁やホワイトボードに並べることになっていた。上野の撮ったゲレンデの写真は、パネルとして展示するものの中に含まれていた。
 部室の奥から上野が抱えてきたパネルは、彼の上半身を軽く覆うくらい大きいものだった。

「すげー迫力」

 タイトルは『夜のゲレンデ』。
 夜空に舞う大小の光の粒は雪、連なるストロボはゲレンデを照らす灯り。
 曲線の刻まれた雪の上を、今まさに滑り降りる黒い影が新たな線を描く。
 光、色、動き。なにもかもが圧巻。
 上野は中学のころから写真部だという。撮影技術も高いけれど、編集・印刷して魅せる作品に仕上げる能力も高い。
 観る人のことを、きちんと考えて楽しませてくれる作品だ。ただ。

「上野にしては意外?」

 言った途端、扉の向こうで何かが激しく落ちた音がして、見に行くとぶちまけられたカラーボールが廊下を走っていた。赤、青、黄、緑の大群が、くすんだ廊下を賑やかに彩っていく。
 文化祭のクラス企画で使うものらしい。上野は転がるボールではなくカメラをつかみ「ちょっと撮らせて」とひとしきり撮影したあと、やっとボール拾いに加わるかと思ったら別のカメラを持ち出し撮影を再開した。
 ひとつ残らず拾い箱に詰まったボールを眺めていたら満足してしまい、後半やっとボール拾いに加わった上野から「さっきなんか言ってなかった?」と問われて首を傾げる。

「ああ、思い出した。上野にしては意外な作品だなって」

 上野はアート写真が得意だ。インパクトのある作品は、言葉なしでも訴えかけるものが十分ある。被写体の選び方、光の読み方、距離の取り方、レンズの選択……全てをさらりと完璧にこなす天才。
 この『夜のゲレンデ』は、幻想的な画だけどアート性は高くない気がする。

「今回は文化祭展示作品ってことで、より伝わりやすい作品にしたんだよ」
「……伝わりやすいってそんなに大事?」
「大事でしょ」

 上野は笑いながらカメラを置き、さらりと撫でた。それはもはやカメラというより、身体の一部みたいに彼に馴染んでいる。

「自分にしかわかんない作品って、ただの自己満じゃん。人に見せる意味ある?」

 同意する素振りで曖昧に笑いながら、
 机の上に置いたままの『9月12日 わかれみち』を、そっと裏返した。