最終話
「巡旗杯、お疲れ様でした。皆疲れてるでしょうから、今日は、ゆっくり休んでください。剣道場が使えるのは来週の水曜日からです。それまでは、夏休みを楽しんでくださいね。じゃあ、家に帰るまでが遠征です。各自、気を付けて帰ってください」
清水先生の言葉に、皆が「はい!」と声を返し、解散となった。
佐竹先輩は、一臣先生に「明日から、特訓だ!」と言われながら、引きずられるようにして帰っていった。
加藤くんと田中くんは、肩に担いだ防具が重いとぶつぶつ言いながらも、興奮冷めやらぬ様子で笑顔を見せ、連れ立って歩いていった。
真田先輩は駅のベンチに腰掛けると、小さく息を吐いた。
「恋が待ってろって言うから、あと五分だけ待って帰る」
思ったよりも足首の捻挫はひどくなかったようで安心した。来週の練習からは問題なく参加できるだろう、とのことで、ホッと胸を撫で下ろす。
そして、僕は――弁木先輩と並んで、いつものファミレスを目指していた。
いつものボックス席に案内されると、弁木先輩はいつものように焼き豚定食を頼んでいた。
そして、今日ばかりは僕も、サラダではなく、もう少しお腹に溜まるものが食べたくて、牛丼を頼んだ。
「珍しいな、凪が牛丼食うなんて」
「ちょっとお腹すいちゃって」
「凪、野菜ばっかり食ってるから、実は前世ウサギだったんじゃないかって思ってた」
そう言われて、胸の子ウサギたちが、一斉に「その通り!」と言いながら、手を上げていた。
「今日の試合、すごかったですね」
僕がそう言った時、弁木先輩のスマホがピコピコと続々とメッセージが届いていることを告げていた。
ニュース番組で、弁木先輩のインタビューが流れたのかもしれないし、ネット配信があったから、それを見た人からの連絡かもしれない。
だけど、弁木先輩はスマホを伏せて置くと、席を立ちあがって僕の隣に移動してくる。
今日は僕も防具があるせいで、そんなに奥まで座れない。
肩をすぼめて小さくしてみるものの、そんなもので弁木先輩が収まるほど、弁木先輩は小さくない。
廊下に足を出して座る姿に、防具を下ろそうか、と逡巡していると、弁木先輩の手が僕の肩に回され、引き寄せられる。
胸の子ウサギたちが、一斉に立ち上がってワーワー騒ぎ始めるのと同時に、胸の鼓動が早くなっていく。
「なぁ、凪」
「……はい」
「お守り、ありがとな」
「――え?」
そう言った、弁木先輩の手に、僕があの日、預かってほしいと渡した退部届が入った袋が握られていた。
「……まさか」
「試合の時、実は胸に忍ばせてた」
「えっ、本当にお守りにしてたんですか!?」
「するって言っただろ?」
思い出すのは、決勝の大将戦の時、弁木先輩が胸元を手で押さえた姿。
まさか、あの時、胸にあったのが僕の退部届だったなんて――。
嬉しいやら、恥ずかしいやらで、言葉を紡げないでいると、弁木先輩が、その袋に唇を寄せた。
「これは、絶対返さないからな」
その仕草と、その言葉が、まるで――
胸の中の子ウサギたちが、心臓を撃ち抜かれたようにバタバタと倒れていく。
頬が真っ赤になってしまった僕が、思わず俯いているところに料理が運ばれてくる。
弁木先輩は自分の席に戻り、向かい合わせに座る。
その姿を見ながら、僕の心臓はずっと高鳴ったままだった。
(……心臓が苦しい)
そっと弁木先輩に視線を向けると、弁木先輩がスマホの画面を見ながら呟く。
「そういえば凪、前に家に来たいって言ってたよな? いつにする?」
「……え?」
「来週の水曜まで部活休みだろ? その間にするか?」
「……あ、はい。いいのであれば、是非」
「その時、挨拶もするだろ?」
その言葉に、僕は背をピンと伸ばすことになる。
(――誰に!?)
「先にどっか行ってからにするか? 映画でもいいし、何か欲しいものあるんだったら、買い物とか付き合う」
弁木先輩の言葉の破壊力に、僕の胸の子ウサギたちは振り回されっぱなしだ。
――つ、付き合う!?
――買い物じゃなくて、普通にお付き合いがしたいです!
――恋人(仮)の(仮)を、取りたいです!
結局まだ、僕たちは恋人(仮)の段階だから、と思っていた矢先、またしても弁木先輩から爆弾が落とされることになる。
「今日、凪の家、寄ってっていいか?」
「――僕の家、ですか?」
思わずきょとんとしてから、犬のコロのことを思い出す。
「あ、コロに会いにですか?」
そう言うと、焼き豚を口に入れた弁木先輩が首を振った。
「だって、挨拶しなきゃいけないんだろ?」
「……挨拶?」
――えっ、誰に!?
――弁木先輩、誰に挨拶に来るの!?
――っていうか僕、一体誰に挨拶するの!?
はぐ、と牛丼を口に含んだ僕は、相変わらず箸使いの綺麗な弁木先輩に見惚れて、結局、その疑問を全部横に置いてしまった。
この後、自分がどんな目に遭うのかも知らずに。
まさか、弁木先輩が両親を前にして「凪さんと、正式なお付き合いを始めたいと思っています」なんて畏まって言い出すだなんて。
お父さんとお母さんの目が、揃って僕に向いた瞬間、胸の子ウサギたちが、一斉にひっくり返った。
(……そういうのは、先に僕に言ってほしかった!)
僕はこれからも、きっと弁木先輩に振り回され続けることになるのだろう。
そう思った僕の隣で、弁木先輩からオレンジの香りがした。
おしまい
「巡旗杯、お疲れ様でした。皆疲れてるでしょうから、今日は、ゆっくり休んでください。剣道場が使えるのは来週の水曜日からです。それまでは、夏休みを楽しんでくださいね。じゃあ、家に帰るまでが遠征です。各自、気を付けて帰ってください」
清水先生の言葉に、皆が「はい!」と声を返し、解散となった。
佐竹先輩は、一臣先生に「明日から、特訓だ!」と言われながら、引きずられるようにして帰っていった。
加藤くんと田中くんは、肩に担いだ防具が重いとぶつぶつ言いながらも、興奮冷めやらぬ様子で笑顔を見せ、連れ立って歩いていった。
真田先輩は駅のベンチに腰掛けると、小さく息を吐いた。
「恋が待ってろって言うから、あと五分だけ待って帰る」
思ったよりも足首の捻挫はひどくなかったようで安心した。来週の練習からは問題なく参加できるだろう、とのことで、ホッと胸を撫で下ろす。
そして、僕は――弁木先輩と並んで、いつものファミレスを目指していた。
いつものボックス席に案内されると、弁木先輩はいつものように焼き豚定食を頼んでいた。
そして、今日ばかりは僕も、サラダではなく、もう少しお腹に溜まるものが食べたくて、牛丼を頼んだ。
「珍しいな、凪が牛丼食うなんて」
「ちょっとお腹すいちゃって」
「凪、野菜ばっかり食ってるから、実は前世ウサギだったんじゃないかって思ってた」
そう言われて、胸の子ウサギたちが、一斉に「その通り!」と言いながら、手を上げていた。
「今日の試合、すごかったですね」
僕がそう言った時、弁木先輩のスマホがピコピコと続々とメッセージが届いていることを告げていた。
ニュース番組で、弁木先輩のインタビューが流れたのかもしれないし、ネット配信があったから、それを見た人からの連絡かもしれない。
だけど、弁木先輩はスマホを伏せて置くと、席を立ちあがって僕の隣に移動してくる。
今日は僕も防具があるせいで、そんなに奥まで座れない。
肩をすぼめて小さくしてみるものの、そんなもので弁木先輩が収まるほど、弁木先輩は小さくない。
廊下に足を出して座る姿に、防具を下ろそうか、と逡巡していると、弁木先輩の手が僕の肩に回され、引き寄せられる。
胸の子ウサギたちが、一斉に立ち上がってワーワー騒ぎ始めるのと同時に、胸の鼓動が早くなっていく。
「なぁ、凪」
「……はい」
「お守り、ありがとな」
「――え?」
そう言った、弁木先輩の手に、僕があの日、預かってほしいと渡した退部届が入った袋が握られていた。
「……まさか」
「試合の時、実は胸に忍ばせてた」
「えっ、本当にお守りにしてたんですか!?」
「するって言っただろ?」
思い出すのは、決勝の大将戦の時、弁木先輩が胸元を手で押さえた姿。
まさか、あの時、胸にあったのが僕の退部届だったなんて――。
嬉しいやら、恥ずかしいやらで、言葉を紡げないでいると、弁木先輩が、その袋に唇を寄せた。
「これは、絶対返さないからな」
その仕草と、その言葉が、まるで――
胸の中の子ウサギたちが、心臓を撃ち抜かれたようにバタバタと倒れていく。
頬が真っ赤になってしまった僕が、思わず俯いているところに料理が運ばれてくる。
弁木先輩は自分の席に戻り、向かい合わせに座る。
その姿を見ながら、僕の心臓はずっと高鳴ったままだった。
(……心臓が苦しい)
そっと弁木先輩に視線を向けると、弁木先輩がスマホの画面を見ながら呟く。
「そういえば凪、前に家に来たいって言ってたよな? いつにする?」
「……え?」
「来週の水曜まで部活休みだろ? その間にするか?」
「……あ、はい。いいのであれば、是非」
「その時、挨拶もするだろ?」
その言葉に、僕は背をピンと伸ばすことになる。
(――誰に!?)
「先にどっか行ってからにするか? 映画でもいいし、何か欲しいものあるんだったら、買い物とか付き合う」
弁木先輩の言葉の破壊力に、僕の胸の子ウサギたちは振り回されっぱなしだ。
――つ、付き合う!?
――買い物じゃなくて、普通にお付き合いがしたいです!
――恋人(仮)の(仮)を、取りたいです!
結局まだ、僕たちは恋人(仮)の段階だから、と思っていた矢先、またしても弁木先輩から爆弾が落とされることになる。
「今日、凪の家、寄ってっていいか?」
「――僕の家、ですか?」
思わずきょとんとしてから、犬のコロのことを思い出す。
「あ、コロに会いにですか?」
そう言うと、焼き豚を口に入れた弁木先輩が首を振った。
「だって、挨拶しなきゃいけないんだろ?」
「……挨拶?」
――えっ、誰に!?
――弁木先輩、誰に挨拶に来るの!?
――っていうか僕、一体誰に挨拶するの!?
はぐ、と牛丼を口に含んだ僕は、相変わらず箸使いの綺麗な弁木先輩に見惚れて、結局、その疑問を全部横に置いてしまった。
この後、自分がどんな目に遭うのかも知らずに。
まさか、弁木先輩が両親を前にして「凪さんと、正式なお付き合いを始めたいと思っています」なんて畏まって言い出すだなんて。
お父さんとお母さんの目が、揃って僕に向いた瞬間、胸の子ウサギたちが、一斉にひっくり返った。
(……そういうのは、先に僕に言ってほしかった!)
僕はこれからも、きっと弁木先輩に振り回され続けることになるのだろう。
そう思った僕の隣で、弁木先輩からオレンジの香りがした。
おしまい
