第五五話
弁木先輩に背中を支えられるようにしながら控室に戻ると、興奮した様子の一臣先生が駆け寄ってきた。
「ちょっと聞いてくれる? さっき記者が『一年で大将なんて、相当な腕前なんですかね』とか言っててさ。もう、完全に騙されてる! って思ったらおかしくなっちゃってさ」
楽しそうに笑う一臣先生が、皆に気合を入れるように手を叩いた。
「大会二日目、ここからは優勝が見えてくる頃だ。気力も体力も相当削られてくるから、集中力を切らさないように気をつけて」
一臣先生の言葉通り、試合に臨んだ準々決勝では、皆、少しずつ溜まった疲れが露見し始めていた。
佐竹先輩が手にした竹刀を弾き飛ばされてしまったり、田中くんは汗に滑ってしまったりと、地味に心が削られることが多発した。 けれど、それは相手校にも言えることで、こちらだけが不利という状況ではなかったことが伺えた。
迎えた準決勝では、佐竹先輩が四人抜きを果たし、田中くん、加藤くんが大将の体力を削り、最後に弁木先輩が打ち取って決勝へとコマを進めることになった。
そして、少しの休憩を挟んで決勝相手、新見さんがいる坂ノ上高校とぶつかることになった。
けれど、皆が驚いたのは坂ノ上高校の布陣だった。
前回のインターハイの団体戦でも、準決勝までも副将を務めていた新見さんが、何故か先鋒にいたことだった。
初回から、当たれることになった佐竹先輩は「一臣先生と違って弱い」と言われたことに腹を立てていた。
合宿でも、打倒新見さんを掲げ、特訓までしていた。最初に当たれることに小さく笑って意気込んで試合に臨んだものの、柔よく剛を制す、というスタイルのはずの新見さんに力で押し切られるようにして、二本を先取されてしまうこととなった。
スタイルがあまりにも違っていたことに、佐竹先輩がうまく対応できなかったのと、さっきの四人抜きをした時の疲れが出てしまったのだろう。
けれど、田中くん、加藤くんが新見さんに勝てるはずもなく、新見さんに三人抜きを許してしまったのだった。
これで時津高校は、実質弁木先輩一人で五人抜きをしなければ、優勝することは叶わなくなってしまう。
弁木先輩が、面を被ると、紐を結び、立ち上がる。
新見さんと弁木先輩は過去に二度対戦したが、一度も勝てたことがない因縁の相手だ。
審判の「はじめ」の言葉が掛かるまでが、永遠のように長く感じた。
審判の声に、先に動いたのは弁木先輩だった。
三人抜きを果たした新見さんは、体が温まっているとも言えるが、同時に体力が削られているという状態でもあった。弁木先輩にだって勝機はある。
今までよりも早く打ち込まれる竹刀を、新見さんは難なく受け止め、逆に返し技を打ち込まれる。相当に早い技同士の応酬が続くも、どちらも引かない。
先に返し面で一本を先取したのは、新見さんだった。
弁木先輩も、しつこく食い下がったものの、一瞬の隙を突かれてしまったのだ。とても惜しい一本に、悔しさが募る。
次に一本を取られたその時は――僕も、逃げない。
弁木先輩のことを信じてないわけじゃない。だけど、僕がもし出ることになれば、不甲斐ない試合だけはしたくない。
最後まで試合を見届けるんだ。
そう思って、ぎゅっと瞳を閉じると、力を込めて開いた。
その時、強い視線を感じた。
瞳を向けると、弁木先輩の黒い瞳が僕を捉えていた。
それに小さく頷くと、弁木先輩も頷き返してくれるのが見えた。
そして――そこからだった。
僕には、弁木先輩の構えが、ほんの少しだけ違って見えた。
足の位置。竹刀の角度。視線。何が違うのか、まだ言葉にはできない。
ただ、何かが変わったのだけは分かった。
弁木先輩の中に、ずっと眠っていたもの――それが今、目を覚まそうとしていた。
弁木先輩に背中を支えられるようにしながら控室に戻ると、興奮した様子の一臣先生が駆け寄ってきた。
「ちょっと聞いてくれる? さっき記者が『一年で大将なんて、相当な腕前なんですかね』とか言っててさ。もう、完全に騙されてる! って思ったらおかしくなっちゃってさ」
楽しそうに笑う一臣先生が、皆に気合を入れるように手を叩いた。
「大会二日目、ここからは優勝が見えてくる頃だ。気力も体力も相当削られてくるから、集中力を切らさないように気をつけて」
一臣先生の言葉通り、試合に臨んだ準々決勝では、皆、少しずつ溜まった疲れが露見し始めていた。
佐竹先輩が手にした竹刀を弾き飛ばされてしまったり、田中くんは汗に滑ってしまったりと、地味に心が削られることが多発した。 けれど、それは相手校にも言えることで、こちらだけが不利という状況ではなかったことが伺えた。
迎えた準決勝では、佐竹先輩が四人抜きを果たし、田中くん、加藤くんが大将の体力を削り、最後に弁木先輩が打ち取って決勝へとコマを進めることになった。
そして、少しの休憩を挟んで決勝相手、新見さんがいる坂ノ上高校とぶつかることになった。
けれど、皆が驚いたのは坂ノ上高校の布陣だった。
前回のインターハイの団体戦でも、準決勝までも副将を務めていた新見さんが、何故か先鋒にいたことだった。
初回から、当たれることになった佐竹先輩は「一臣先生と違って弱い」と言われたことに腹を立てていた。
合宿でも、打倒新見さんを掲げ、特訓までしていた。最初に当たれることに小さく笑って意気込んで試合に臨んだものの、柔よく剛を制す、というスタイルのはずの新見さんに力で押し切られるようにして、二本を先取されてしまうこととなった。
スタイルがあまりにも違っていたことに、佐竹先輩がうまく対応できなかったのと、さっきの四人抜きをした時の疲れが出てしまったのだろう。
けれど、田中くん、加藤くんが新見さんに勝てるはずもなく、新見さんに三人抜きを許してしまったのだった。
これで時津高校は、実質弁木先輩一人で五人抜きをしなければ、優勝することは叶わなくなってしまう。
弁木先輩が、面を被ると、紐を結び、立ち上がる。
新見さんと弁木先輩は過去に二度対戦したが、一度も勝てたことがない因縁の相手だ。
審判の「はじめ」の言葉が掛かるまでが、永遠のように長く感じた。
審判の声に、先に動いたのは弁木先輩だった。
三人抜きを果たした新見さんは、体が温まっているとも言えるが、同時に体力が削られているという状態でもあった。弁木先輩にだって勝機はある。
今までよりも早く打ち込まれる竹刀を、新見さんは難なく受け止め、逆に返し技を打ち込まれる。相当に早い技同士の応酬が続くも、どちらも引かない。
先に返し面で一本を先取したのは、新見さんだった。
弁木先輩も、しつこく食い下がったものの、一瞬の隙を突かれてしまったのだ。とても惜しい一本に、悔しさが募る。
次に一本を取られたその時は――僕も、逃げない。
弁木先輩のことを信じてないわけじゃない。だけど、僕がもし出ることになれば、不甲斐ない試合だけはしたくない。
最後まで試合を見届けるんだ。
そう思って、ぎゅっと瞳を閉じると、力を込めて開いた。
その時、強い視線を感じた。
瞳を向けると、弁木先輩の黒い瞳が僕を捉えていた。
それに小さく頷くと、弁木先輩も頷き返してくれるのが見えた。
そして――そこからだった。
僕には、弁木先輩の構えが、ほんの少しだけ違って見えた。
足の位置。竹刀の角度。視線。何が違うのか、まだ言葉にはできない。
ただ、何かが変わったのだけは分かった。
弁木先輩の中に、ずっと眠っていたもの――それが今、目を覚まそうとしていた。
