第五四話
場内に入る時は、大将を先頭に並ぶのが常だ。
だから、僕が先頭に立つのも当たり前のことだった。だけど、僕の前に誰もいないという状況に、足が怖じ気付きそうになる。
真後ろにいた弁木先輩が、落ち着け、と言うように背を叩いてくれたが、それでも跳ね上がった心臓は一向に落ち着きそうにない。
中に入ってから面をするため、腕に抱えた面を何度も落としそうになり、そのたびに抱え直した。
僕のそんな背中を、弁木先輩や他の皆に見せるのが申し訳なく、そっと後ろを振り向くと、四人全員が僕の背を見ながら何かを話し合っていた。
「こりゃダメだな」
「正直、想像以上でした」
などなど、僕を非難する言葉ばかりが並ぶ。
極めつけには、弁木先輩が「絶対に凪には……」と、僕の悪口を言っていそうな雰囲気に、ビクリと背が震えた。
「時津高校、入場!」
係員の声に慌てて前に向いた僕は、絶対に泣くまいと眉間に力を入れた。
けれど、緊張に右足と右手が同時に出そうになったり、座る場所を間違えそうになったり、袴の裾を踏みそうになったりしながらも、何とか定位置に座ると、佐竹先輩が前に進む背を見送った。
そこからは、僕は、ひたすらに皆が戦い、駒を進めていく姿を見つめていることしかできなかった。
そして、僕以外の四人の力だけで、僕の出番は一度も来ないまま三回目の勝ちが決まり、場外へと戻ろうとした時――
「はぁっ!?」
耳をつんざくような大きな声が響いた。
「真田さんは!? なぁ、何で真田さんが大将におらんの!?」
声の主は、真田先輩の小学校・中学校の後輩でもあり、今も打倒真田先輩を掲げる新見さんだった。
前回のインターハイの個人戦では真田先輩の勝利で終わり、団体戦では真田先輩とは対戦できなかった。
だからこそ、この巡旗杯を楽しみにしていてもおかしくはなかった。
「おい、新見! 何してんだよ!」
新見さんの先輩たちが抑えてくれたけど、新見さんは仕切りのために置かれたフェンスを乗り越えてこようとしていた。
「真田さん以外が大将なんか、有り得んやろ! 何で、何でそんな布陣になってん!?」
新見さんの言葉は尤もで、真田先輩の怪我さえなければ、真田先輩が大将を務めていたに違いない。
でも、怪我のことを口にするのは――そう思った時、弁木先輩が僕の代わりに答えたのだった。
「大将交代は、俺たち全員の総意だ」
「はぁ!? お前ら、真田さん引き摺り下ろした言うんか!? そんなちっこい奴に大将なんか務まるわけないやろ!」
会場内に響き渡る声に、たくさんの人の視線が集まり、時津高校の真田が不在だ、というニュースが会場内に駆け巡ってしまったのだった。
「九条……? 聞いたことない選手だな」
真田先輩に取材をした三波さんを始めとした記者たちもざわついているのが見え、僕は逃げるように場外へと戻ったのだった。
新見さんの言葉が、突き刺さるようだった。
僕に大将なんか務まるはずがない。そんなの改めて言われなくても、僕だってちゃんと分かってるし、そんなつもりで大将の座についたわけじゃない。
だけど、新見さんにしてみれば、真田先輩が大将じゃないこと自体が許せなかったに違いない。
いっぱいいっぱいになってしまった僕は、控室の隅の方に小さく蹲っていた。他の誰の声もが怖くて、何も聞きたくなかった。
緊張に指先が冷たくて、小さく震えたままだ。
いつか自分に出番が回ってくるかもしれない、目の前で弁木先輩が負けてしまうかもしれない。そんな不安に押し潰されてしまいそうだった。
そして気づいた時、僕の目の前に、同じようにしゃがみ込んだ弁木先輩の姿があった。
僕の両頬を押さえ、弁木先輩を見るように狭められた視界の中で、弁木先輩の声が響く。
「凪、外野の声なんか、気にしなくていい」
「……でも、僕……あ」
「俺が、絶対に凪には回さない。俺が、全員に勝ってみせるから、凪はただ、俺たちを信じて見てればいい」
その言葉に、僕も震える手で弁木先輩の手に指を重ねて、弁木先輩の黒い瞳をただ見つめた。
熱い弁木先輩の手に、冷えた指先が少しずつ温もりを取り戻してくるようだった。
「――俺が、凪を守るから」
じっと見つめられて伝えられた想いに、置かれた状況を忘れて胸の鼓動が早くなってしまう。
そっと瞳を閉じると、胸の奥から溢れそうになる想いを、言葉にしようと唇を開いた。
「僕、弁木先輩を信じます」
きちんと言葉にすると、胸が燃えるように熱くなってくるみたいだった。
場内に入る時は、大将を先頭に並ぶのが常だ。
だから、僕が先頭に立つのも当たり前のことだった。だけど、僕の前に誰もいないという状況に、足が怖じ気付きそうになる。
真後ろにいた弁木先輩が、落ち着け、と言うように背を叩いてくれたが、それでも跳ね上がった心臓は一向に落ち着きそうにない。
中に入ってから面をするため、腕に抱えた面を何度も落としそうになり、そのたびに抱え直した。
僕のそんな背中を、弁木先輩や他の皆に見せるのが申し訳なく、そっと後ろを振り向くと、四人全員が僕の背を見ながら何かを話し合っていた。
「こりゃダメだな」
「正直、想像以上でした」
などなど、僕を非難する言葉ばかりが並ぶ。
極めつけには、弁木先輩が「絶対に凪には……」と、僕の悪口を言っていそうな雰囲気に、ビクリと背が震えた。
「時津高校、入場!」
係員の声に慌てて前に向いた僕は、絶対に泣くまいと眉間に力を入れた。
けれど、緊張に右足と右手が同時に出そうになったり、座る場所を間違えそうになったり、袴の裾を踏みそうになったりしながらも、何とか定位置に座ると、佐竹先輩が前に進む背を見送った。
そこからは、僕は、ひたすらに皆が戦い、駒を進めていく姿を見つめていることしかできなかった。
そして、僕以外の四人の力だけで、僕の出番は一度も来ないまま三回目の勝ちが決まり、場外へと戻ろうとした時――
「はぁっ!?」
耳をつんざくような大きな声が響いた。
「真田さんは!? なぁ、何で真田さんが大将におらんの!?」
声の主は、真田先輩の小学校・中学校の後輩でもあり、今も打倒真田先輩を掲げる新見さんだった。
前回のインターハイの個人戦では真田先輩の勝利で終わり、団体戦では真田先輩とは対戦できなかった。
だからこそ、この巡旗杯を楽しみにしていてもおかしくはなかった。
「おい、新見! 何してんだよ!」
新見さんの先輩たちが抑えてくれたけど、新見さんは仕切りのために置かれたフェンスを乗り越えてこようとしていた。
「真田さん以外が大将なんか、有り得んやろ! 何で、何でそんな布陣になってん!?」
新見さんの言葉は尤もで、真田先輩の怪我さえなければ、真田先輩が大将を務めていたに違いない。
でも、怪我のことを口にするのは――そう思った時、弁木先輩が僕の代わりに答えたのだった。
「大将交代は、俺たち全員の総意だ」
「はぁ!? お前ら、真田さん引き摺り下ろした言うんか!? そんなちっこい奴に大将なんか務まるわけないやろ!」
会場内に響き渡る声に、たくさんの人の視線が集まり、時津高校の真田が不在だ、というニュースが会場内に駆け巡ってしまったのだった。
「九条……? 聞いたことない選手だな」
真田先輩に取材をした三波さんを始めとした記者たちもざわついているのが見え、僕は逃げるように場外へと戻ったのだった。
新見さんの言葉が、突き刺さるようだった。
僕に大将なんか務まるはずがない。そんなの改めて言われなくても、僕だってちゃんと分かってるし、そんなつもりで大将の座についたわけじゃない。
だけど、新見さんにしてみれば、真田先輩が大将じゃないこと自体が許せなかったに違いない。
いっぱいいっぱいになってしまった僕は、控室の隅の方に小さく蹲っていた。他の誰の声もが怖くて、何も聞きたくなかった。
緊張に指先が冷たくて、小さく震えたままだ。
いつか自分に出番が回ってくるかもしれない、目の前で弁木先輩が負けてしまうかもしれない。そんな不安に押し潰されてしまいそうだった。
そして気づいた時、僕の目の前に、同じようにしゃがみ込んだ弁木先輩の姿があった。
僕の両頬を押さえ、弁木先輩を見るように狭められた視界の中で、弁木先輩の声が響く。
「凪、外野の声なんか、気にしなくていい」
「……でも、僕……あ」
「俺が、絶対に凪には回さない。俺が、全員に勝ってみせるから、凪はただ、俺たちを信じて見てればいい」
その言葉に、僕も震える手で弁木先輩の手に指を重ねて、弁木先輩の黒い瞳をただ見つめた。
熱い弁木先輩の手に、冷えた指先が少しずつ温もりを取り戻してくるようだった。
「――俺が、凪を守るから」
じっと見つめられて伝えられた想いに、置かれた状況を忘れて胸の鼓動が早くなってしまう。
そっと瞳を閉じると、胸の奥から溢れそうになる想いを、言葉にしようと唇を開いた。
「僕、弁木先輩を信じます」
きちんと言葉にすると、胸が燃えるように熱くなってくるみたいだった。
