判官贔屓の恋

第四九話

 巡旗杯は、県代表だけが参加できる大会ではなく、全国の高校剣道部が名乗りを上げ参加することができる。
 試合形式は勝ち抜き戦。
 先鋒が勝てばそのまま次の選手と戦う。
 負けた選手は退場し、最後に大将が残っていれば、その大将一人で相手の残りをすべて倒すことだってできる。
 だからこそ参加数が圧倒的に多く、多い年には四〇〇を超える年もあるらしい。
 当然、一日でこなす試合数も多く、二日に分けて行われる。
 会場近くのホテルは軒並み満室。
 僕たちが泊まるホテルも、会場から少し離れた場所を予約せざるを得なかったらしい。

 そして翌朝の八時。
 開会式が行われ、夏の大会の締めくくりとなる巡旗杯の熱い火蓋が切って落とされた。
 とはいえ、これだけ参加校が多いのだ。
 全校が一堂に集まれるようなスペースなど、当然ない。
 試合が近い学校だけが集められ、試合が終われば、勝敗に関係なく次の試合へ向けて動いていく。
 そして、敗退した高校は、順次会場を去っていく。
 他校の試合を、のんびり観戦している余裕もなかった。
 時津高校の初戦は、大会が始まって二時間を過ぎた頃。会場へ向かう途中、すでに敗退して帰っていく高校と何校もすれ違った。
 会場に到着すると、カメラを持った取材陣の数が目についた。
 それだけ、この大会への期待値が高いということなのだろう。
 毎年、今年の顔となるべく高校や選手を探し出し、キャッチーなフレーズを付けて紹介することで、高校剣道を大いに盛り上げているらしい。
 そして、会場に到着するなり真田先輩が声を掛けられた。取材陣の一人だった三波さんは、神奈川出身で、特に真田先輩に大きな期待を寄せているらしい。
「今年は優勝を狙えますか?」
 求められるコメントも、そんなものばかり。それでも真田先輩は、いつものように明るく笑って答える。
「今年は巡旗を神奈川に持ち帰りたいと思っています」
 その言葉に、三波さんは感動したように何度も頷いていた。

 時津高校の布陣は、インターハイの時と変わらない。
 先鋒には、佐竹先輩。
 一番最初に敵校と当たる緊張する役回りだ。
 でも、どこか飄々としてる佐竹先輩がいつも通りの剣道をしてくれる。
 そして、勝ってくれれば、チームの士気も一気に高まる。
 次鋒は、一年の加藤くん。中堅は、同じく一年の田中くん。
 二人とも高校から剣道を始めたばかりで、最初はほぼ人数合わせのような形で団体戦のメンバーに選ばれた。
 それなのに、時に熱戦を繰り広げ、時に白星を上げられるようになった。
 きっと、最初からこの二人の成長がここまで著しいとは、誰も予想しなかっただろう。
 副将は、弁木(わけぎ)先輩。
 一時期は剣道に迷いを抱いていたけれど、そこから見事に吹っ切り、自分の剣道を取り戻した。
 副将という重い役割。
 そして、副将まで負けが続いた時に、その悪い流れを断ち切る役目も担っていた。
 最後の大将は、真田先輩。時津高校の大黒柱。そして、絶対的なエース。
 真田先輩が大将にいる。
 そのこと自体が、僕たちに「まだ負けない」と思わせてくれるほどの存在だった。
 
 ――真田先輩さえいれば、時津高校は負けない。
 誰しもがそう思っていた。
 
 そして時津高校は無事に、大会一日目を乗り越えることに成功した。
 応援席で録画を担当していた僕も。
 隣で大きく声援を送る一臣先生も、顧問の清水先生も、皆で喜びを分かち合った。
 
 夜には、皆でホテルのバイキングに参加し、早々に部屋に戻った。
 僕は、佐竹先輩と同室。
 翌朝も早いから、とベッドに潜り込んだ僕は、スマホで今日の試合の動画を振り返っていた。
 白熱する試合ばかりで、見ているだけで胸が熱くなる。
 そして何度見ても、目が追ってしまうのは、ただ一人だけ。
 ――やっぱり、弁木(わけぎ)先輩、格好いいな。
 そう思いながら動画を見ていると、何となく扉が開く音と、話をする声が遠くから聞こえてきた。
 佐竹先輩が誰かと話しているだけだろう。そう思って、気にせず画面を見続けていた。
 けれど、何か強い視線を感じる。
 気になって、そっとスマホから視線を上げた。
「……」
「……」
 向かい合わせに置かれたベッド。
 その上に――弁木(わけぎ)先輩が寝転がっていた。
「……!?」
 お互いに言葉もなく見つめ合う。
 次の瞬間、僕は勢いよく布団を頭まで引き上げた。
 心臓の子ウサギたちも、意味が分からず、ただ震えている。
 ――何で、弁木(わけぎ)先輩がいるの!?
 ――もしかして、一緒に寝るの!?
 ――弁木(わけぎ)先輩と……!?
 ――いや、まだ、無理ぃぃ!
 ドキドキする心臓を抑えながら、そろそろと布団を目のあたりまで引き下げていく。

(……いる! やっぱり、いる!)

 弁木(わけぎ)先輩が、こっちを見ている。僕は目だけ布団に隠した。
「……凪は、頭まで布団を被って寝るタイプなのか?」
 そんな見当違いな言葉に、僕はそっと布団を下げた。
「気づいたら弁木(わけぎ)先輩がいて、驚いただけです……」
「……そうか」
 それ以上、言葉が続かない。
 なのに、僕の中では、別の意味で大変なことになっていた。
 エア弁木(わけぎ)先輩を作って喜んでいた。頭の中で、弁木(わけぎ)先輩の寝姿まで想像していた。
 でも、こうして本物を目の前にすると、僕の中の弁木(わけぎ)先輩の解像度が、どんどんと上がっていく。
 弁木(わけぎ)先輩は、パジャマじゃなくてTシャツ派。
 そして下は――。
 なかなかお目にかかれない、膝小僧が見える程度の短パン。
 心臓の子ウサギたちが、膝小僧を発見して、やいやい騒ぎ出す。
 髪も、普段よりふんわりしているのは、きっと整えていないからだろう。
 いつもの弁木(わけぎ)先輩とは少し違うのに、やっぱり弁木(わけぎ)先輩だった。

「なぁ、凪」
「――はい」
 突然名前を呼ばれて、背筋が伸びる。
「明日も、最後まで頑張る」
「――はい」
「だから、最後まで見ててくれ」
 その言葉に、心臓の子ウサギたちと、僕は一緒に頷いた。
「最後まで、ずっと見てます」
 そう答えると、弁木(わけぎ)先輩が小さく笑った。
 けれど、それ以上何かを言う前に、弁木(わけぎ)先輩が体を起こした。

 タイミング悪く、部屋の扉が開いたのだ。
「悪い、弁木(わけぎ)。借りてた充電器、兄貴のカバンに入ってたわ」
 戻ってきた佐竹先輩が、そう言いながら充電器を差し出す。
「ん、ありがとな」
 弁木(わけぎ)先輩はベッドから立ち上がった。
 そして、体を起こした僕に向かって、小さな声で言う。
「おやすみ。また明日な」
「……おやすみなさい」
 弁木(わけぎ)先輩が部屋を出ていく。
 扉が閉まった瞬間、僕は力なく、へなへなとベッドに倒れ込んだ。
 そして、そのまま布団を頭まで被る。
 何度も、弁木(わけぎ)先輩の言葉と、あの優しい瞳を思い出した。
 幸せで、胸が震える。
 僕はその胸を両手で抱きしめながら、眠りについた。
 ――僕は明日も、弁木(わけぎ)先輩を最後まで見ていよう。


 大会二日目も、きっといい試合ができる。皆そう思っていたし、そう信じていた。
 翌朝、足首に包帯を巻いた真田先輩が現れるまでは――。