第四五話
そして、あっという間にやってきた、夏休み。
待ちに待った夏合宿が始まったのだ。
早朝、学校に集合すると、そこに見慣れたようで、見慣れない人がいた。
「……一臣先生!? どうしてここに!?」
「やあ、おはよう! 九条くん!」
いつも小学校で子供たちに剣道を教えている一臣先生が、なぜか時津高校の剣道場にいる。
不思議でたまらず首を傾げていると、そこへやってきた佐竹先輩が、肩に掛けていたカバンを落とした。
「ちょ、おい、何でここに兄貴がいんだよ! 何も聞いてねーんだけど!?」
「気づかれないようにしてたから! 大成功だ!」
そう言って笑った一臣先生を見て、佐竹先輩の兄だったことに、初めて気づいたのだった。
「えっ!? ということは、真田先輩に勝って、インターハイに行った、あの佐竹一臣さん、ってことですか!?」
「いや、兄貴も断れよな! 普通、来るか!? 弟の合宿によ!」
「ひどいな! 大事な弟のために、ひと肌脱いでやろうと思って来たんじゃないか!」
「このブラコンが! 弟離れしろ!」
佐竹先輩だけが、いつまでも文句を言ってはいた。
けれど、今更変更になるわけがなく、僕たち剣道部六人と顧問の清水先生、そして一臣先生の八名で合宿はスタートすることになった。
◇◇
湘南までは、顧問の清水先生がワゴン車を運転して行くことになっていた。
一年生の三人トリオは一番後ろの席。
真ん中の列に座る弁木先輩とは離れてしまった。
部屋割りも別。寝顔が見れなくて残念だと思う自分と――同じ部屋だったら、僕はたぶん眠れない。
そう考えると、ある意味、よかったのかもしれない。
窓の外を見ながら、今日から始まる合宿で、弁木先輩とどんな思い出が作れるんだろう。
そんな夢を抱いて、僕は夏合宿に想いを馳せていた。
――なんて呑気に言っていられたのは、現地に到着するまでだった。
現地に到着して、佐竹先輩の「兄貴のばかやろ―!」なんて叫び声を聞いていたら。
突然、海岸をひたすら走る千本ノックならぬ、千本ダッシュが始まった。
砂に足を取られ、足が上がらずに思うように走れない。
体力だけが削られていくのに、時間は全然進まない。何回走ったか、もう分からない。
一臣先生は、僕が小学校で秘密の特訓をしていることは、皆には内緒にしてくれてはいたが、練習に参加しない、ということは許してくれなかったから、僕も強制的に参加させられていた。
元々体力のない僕は、皆が千本ダッシュが終わる頃に荷物置きになっていたビーチパラソルの下で倒れていた。
「カニがいるぞ!」
遠くの方から、そんな声が聞こえてくる。
カニは気になった。だけど、見に行く余裕もなかった。
そんな時だった。
近づいてきた影に、ぴたりと冷たいペットボトルが首筋に当てられて、僕はぴゃっと体を起こした。
そこにいたのは、まさかの弁木先輩で、手にスポーツドリンクの入ったペットボトルが握られていた。
「凪、大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます」
「この後、ホテルに戻るって言ってたぞ」
「……なら、良かったです」
ペットボトルを頬に当てて、あからさまにホッとした僕を見て、弁木先輩が小さく目を細めて笑うのに、八重歯がちらりと覗く。
「今日、手を繋ぐチャンスなかったな」
弁木先輩がそう呟くと、僕の頬に手を伸ばすのが見えた。
「手、冷たいから気持ちいいだろ」
「――はい」
ぴたりと添えられた手に目を閉じて頷くと。
心の中で萎びていた子ウサギたちが目を爛々と輝かせ始めた気がした。
そして、あっという間にやってきた、夏休み。
待ちに待った夏合宿が始まったのだ。
早朝、学校に集合すると、そこに見慣れたようで、見慣れない人がいた。
「……一臣先生!? どうしてここに!?」
「やあ、おはよう! 九条くん!」
いつも小学校で子供たちに剣道を教えている一臣先生が、なぜか時津高校の剣道場にいる。
不思議でたまらず首を傾げていると、そこへやってきた佐竹先輩が、肩に掛けていたカバンを落とした。
「ちょ、おい、何でここに兄貴がいんだよ! 何も聞いてねーんだけど!?」
「気づかれないようにしてたから! 大成功だ!」
そう言って笑った一臣先生を見て、佐竹先輩の兄だったことに、初めて気づいたのだった。
「えっ!? ということは、真田先輩に勝って、インターハイに行った、あの佐竹一臣さん、ってことですか!?」
「いや、兄貴も断れよな! 普通、来るか!? 弟の合宿によ!」
「ひどいな! 大事な弟のために、ひと肌脱いでやろうと思って来たんじゃないか!」
「このブラコンが! 弟離れしろ!」
佐竹先輩だけが、いつまでも文句を言ってはいた。
けれど、今更変更になるわけがなく、僕たち剣道部六人と顧問の清水先生、そして一臣先生の八名で合宿はスタートすることになった。
◇◇
湘南までは、顧問の清水先生がワゴン車を運転して行くことになっていた。
一年生の三人トリオは一番後ろの席。
真ん中の列に座る弁木先輩とは離れてしまった。
部屋割りも別。寝顔が見れなくて残念だと思う自分と――同じ部屋だったら、僕はたぶん眠れない。
そう考えると、ある意味、よかったのかもしれない。
窓の外を見ながら、今日から始まる合宿で、弁木先輩とどんな思い出が作れるんだろう。
そんな夢を抱いて、僕は夏合宿に想いを馳せていた。
――なんて呑気に言っていられたのは、現地に到着するまでだった。
現地に到着して、佐竹先輩の「兄貴のばかやろ―!」なんて叫び声を聞いていたら。
突然、海岸をひたすら走る千本ノックならぬ、千本ダッシュが始まった。
砂に足を取られ、足が上がらずに思うように走れない。
体力だけが削られていくのに、時間は全然進まない。何回走ったか、もう分からない。
一臣先生は、僕が小学校で秘密の特訓をしていることは、皆には内緒にしてくれてはいたが、練習に参加しない、ということは許してくれなかったから、僕も強制的に参加させられていた。
元々体力のない僕は、皆が千本ダッシュが終わる頃に荷物置きになっていたビーチパラソルの下で倒れていた。
「カニがいるぞ!」
遠くの方から、そんな声が聞こえてくる。
カニは気になった。だけど、見に行く余裕もなかった。
そんな時だった。
近づいてきた影に、ぴたりと冷たいペットボトルが首筋に当てられて、僕はぴゃっと体を起こした。
そこにいたのは、まさかの弁木先輩で、手にスポーツドリンクの入ったペットボトルが握られていた。
「凪、大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます」
「この後、ホテルに戻るって言ってたぞ」
「……なら、良かったです」
ペットボトルを頬に当てて、あからさまにホッとした僕を見て、弁木先輩が小さく目を細めて笑うのに、八重歯がちらりと覗く。
「今日、手を繋ぐチャンスなかったな」
弁木先輩がそう呟くと、僕の頬に手を伸ばすのが見えた。
「手、冷たいから気持ちいいだろ」
「――はい」
ぴたりと添えられた手に目を閉じて頷くと。
心の中で萎びていた子ウサギたちが目を爛々と輝かせ始めた気がした。
