第四四話
足を伸ばして座ると、僕と弁木先輩とでは足の長さが全然違っていて、こんなに身長が違うんだな、と改めて思ったりもした。
――やばい! 足長い弁木先輩格好いい!
――えっ!? ただ僕の足が短いってことじゃないよね!?
さっきまで端っこの方で震えていた子ウサギたちがわらわら出てくると、足の長さについて話し合い始める。
そして、弁木先輩のヴァニラの匂いについて語り始め、部屋中に弁木先輩の匂いが残ればいいのに、と思っていた。
静かだった空間に、ぽつぽつと剣道の話が落ちていく。
僕が狩野先生に出会った経緯や、「逃げる剣道」とは一体どういうものなのか。
今まで聞いてこなかったことにまで、少しずつ触れられている気がした。
不安と、くすぐったさ。
その二つが混ざって、僕の胸が小さく揺れる。
「……ずっと、剣道が痛くて、怖かったんです」
僕は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「それで、竹刀に当たらなければ痛くないんじゃないか、と言ってくれたんです。僕、身長が低くて、皆の竹刀が頭のてっぺんに当たると星が出るぐらいに思えて、それでマネージャーに逃げたんです」
最後は、わざと明るく笑ってみせた。
「えへへ、そんなのバカみたいですよね」
すると――。
弁木先輩の手が僕の頭に触れた。
いつも痛くて涙が出そうになっていたところを優しく撫でられて、胸の子ウサギたちがついでに撫でてもらおうとばかりに一斉に腹を出していた。
「俺は上から叩かれることないから、考えもしなかった。今度から気をつける」
「……」
その言葉を聞いた瞬間、僕は、急に立ち上がっていた。
「ちょっと、待っててください」
机の引き出しを開けると、そこにしまっていたものを手に取った。
そして、それを持って弁木先輩の隣へ戻る。
「これ、預かって貰えませんか?」
差し出したのは、ずっと持ち続けていた退部届だった。
「僕が持ってると……うっかり出しちゃいそうになるんで」
何度も持ち歩いたせいで、すっかりよれている退部届を、弁木先輩は静かに見つめた。
「わかった」
そう言って、退部届を受け取ってくれた。
僕はもう一度立ち上がると、机の端に転がっていた小さな袋をひっくり返した。出てきたのは、片方を無くしてしまったせいで使えなくなったイヤホン。
弁木先輩から退部届を取り戻すと、その袋に入れて再度渡した。
すると――。
「お守りにする」
「――えっ!? 僕の退部届を!?」
「そしたら、出したくても出せないだろ?」
そう言って笑うのに、僕は泣きそうになりながらも笑う、という変な顔をしてしまった。
「弁木先輩は、ズルいですよね」
「ズルいかどうかはわからないけど――凪が剣道を辞めるのは嫌だ」
「……僕、きっと弁木先輩が望むような、強い選手にはなれませんよ?」
「それでもいい」
その一言で、目の奥が熱くなって、涙が浮かぶ。
僕は涙を隠すように、隣に座った弁木先輩の肩へ、頭をぶつけるようにして乗せた。
「……いてもいなくても変わらない、補欠なのに」
「まだ始めたばかりだろ」
弁木先輩の声が、頭のすぐ上から降ってくる。
「きっと凪なりの道が開ける」
「逃げる、剣道の先に?」
「俺は壁をぶち壊すしかやり方がわからない。でも、壁を壊すだけが道じゃないだろ」
「――そう、ですかね」
そう呟くと僕は手を伸ばして、床に置かれていた弁木先輩の指先に触れた。
今日も、いつもみたいに手を繋ぎたかったのに、繋いでもらえなかった。
コロにばっかり触って、僕にはちっとも触れてくれない。
そのことが悔しくて、寂しくて、どうしても触れたかったんだ。
「今日、ちょっとだけ……寂しかった、から」
素直にそう言うと、弁木先輩の指が指に絡んで、ぎゅっと握り締められた。
「秘密にしたいって言ってただろ?」
決して責めるような声音じゃなかったけれど、僕の言葉を守ってくれようとしてる弁木先輩の気持ちが嬉しかった。
「だから、見つからないように繋ごうと思って」
「なるほど。歩いてなくても繋いでいいのか」
納得するような声音に小さく笑うと、お母さんが「夕食の準備ができたわよ」と声が掛かるまで、弁木先輩と手を繋いだまま過ごしたのだった。
◇◇
「今日はご馳走様でした。ありがとうございました」
「いいえ、いつでも遊びに来てくれていいのよ。コロちゃんへのオモチャもありがとうね」
お母さんと弁木先輩が挨拶を交わして、弁木先輩は玄関を出て行った。
「僕も、ちょっとだけ歩いてくる」
そう言い置いて、僕も後を追う。
「ありがとう。今日は、楽しかった」
「僕も、楽しかったです。また、来てくれるとコロも喜ぶんで」
「ん、わかった」
コロが喜ぶと言ったけれど、コロ以上に僕が嬉しかったのに、そこは言葉にできなかった。
「また、先輩の家にも遊びに行ってもいいですか?」
「別に、面白いものはないと思うけどな」
「それでもいいんです。弁木先輩の部屋とか見てみたいし……」
部屋では、自分から手を繋ぎに行けたのに、外に出た途端、弱気な自分に戻ってしまう。
でも、部屋でも手を繋いでたし、まだ繋ぎたいなんて、どれだけ手を繋ぐのが好きなんだ。
――今しかない!
――今しかない!
人通りが絶えた時には、胸の子ウサギたちが必死に声をあげる。
だけど、結局勇気が出ず、手を繋ぐことはできないまま。
僕は、弁木先輩の背中を見送ることになった。
――意気地なし!
――根性なし!
そんな言葉に責められながら、僕は一人トボトボと家へと戻ったのだった。
足を伸ばして座ると、僕と弁木先輩とでは足の長さが全然違っていて、こんなに身長が違うんだな、と改めて思ったりもした。
――やばい! 足長い弁木先輩格好いい!
――えっ!? ただ僕の足が短いってことじゃないよね!?
さっきまで端っこの方で震えていた子ウサギたちがわらわら出てくると、足の長さについて話し合い始める。
そして、弁木先輩のヴァニラの匂いについて語り始め、部屋中に弁木先輩の匂いが残ればいいのに、と思っていた。
静かだった空間に、ぽつぽつと剣道の話が落ちていく。
僕が狩野先生に出会った経緯や、「逃げる剣道」とは一体どういうものなのか。
今まで聞いてこなかったことにまで、少しずつ触れられている気がした。
不安と、くすぐったさ。
その二つが混ざって、僕の胸が小さく揺れる。
「……ずっと、剣道が痛くて、怖かったんです」
僕は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「それで、竹刀に当たらなければ痛くないんじゃないか、と言ってくれたんです。僕、身長が低くて、皆の竹刀が頭のてっぺんに当たると星が出るぐらいに思えて、それでマネージャーに逃げたんです」
最後は、わざと明るく笑ってみせた。
「えへへ、そんなのバカみたいですよね」
すると――。
弁木先輩の手が僕の頭に触れた。
いつも痛くて涙が出そうになっていたところを優しく撫でられて、胸の子ウサギたちがついでに撫でてもらおうとばかりに一斉に腹を出していた。
「俺は上から叩かれることないから、考えもしなかった。今度から気をつける」
「……」
その言葉を聞いた瞬間、僕は、急に立ち上がっていた。
「ちょっと、待っててください」
机の引き出しを開けると、そこにしまっていたものを手に取った。
そして、それを持って弁木先輩の隣へ戻る。
「これ、預かって貰えませんか?」
差し出したのは、ずっと持ち続けていた退部届だった。
「僕が持ってると……うっかり出しちゃいそうになるんで」
何度も持ち歩いたせいで、すっかりよれている退部届を、弁木先輩は静かに見つめた。
「わかった」
そう言って、退部届を受け取ってくれた。
僕はもう一度立ち上がると、机の端に転がっていた小さな袋をひっくり返した。出てきたのは、片方を無くしてしまったせいで使えなくなったイヤホン。
弁木先輩から退部届を取り戻すと、その袋に入れて再度渡した。
すると――。
「お守りにする」
「――えっ!? 僕の退部届を!?」
「そしたら、出したくても出せないだろ?」
そう言って笑うのに、僕は泣きそうになりながらも笑う、という変な顔をしてしまった。
「弁木先輩は、ズルいですよね」
「ズルいかどうかはわからないけど――凪が剣道を辞めるのは嫌だ」
「……僕、きっと弁木先輩が望むような、強い選手にはなれませんよ?」
「それでもいい」
その一言で、目の奥が熱くなって、涙が浮かぶ。
僕は涙を隠すように、隣に座った弁木先輩の肩へ、頭をぶつけるようにして乗せた。
「……いてもいなくても変わらない、補欠なのに」
「まだ始めたばかりだろ」
弁木先輩の声が、頭のすぐ上から降ってくる。
「きっと凪なりの道が開ける」
「逃げる、剣道の先に?」
「俺は壁をぶち壊すしかやり方がわからない。でも、壁を壊すだけが道じゃないだろ」
「――そう、ですかね」
そう呟くと僕は手を伸ばして、床に置かれていた弁木先輩の指先に触れた。
今日も、いつもみたいに手を繋ぎたかったのに、繋いでもらえなかった。
コロにばっかり触って、僕にはちっとも触れてくれない。
そのことが悔しくて、寂しくて、どうしても触れたかったんだ。
「今日、ちょっとだけ……寂しかった、から」
素直にそう言うと、弁木先輩の指が指に絡んで、ぎゅっと握り締められた。
「秘密にしたいって言ってただろ?」
決して責めるような声音じゃなかったけれど、僕の言葉を守ってくれようとしてる弁木先輩の気持ちが嬉しかった。
「だから、見つからないように繋ごうと思って」
「なるほど。歩いてなくても繋いでいいのか」
納得するような声音に小さく笑うと、お母さんが「夕食の準備ができたわよ」と声が掛かるまで、弁木先輩と手を繋いだまま過ごしたのだった。
◇◇
「今日はご馳走様でした。ありがとうございました」
「いいえ、いつでも遊びに来てくれていいのよ。コロちゃんへのオモチャもありがとうね」
お母さんと弁木先輩が挨拶を交わして、弁木先輩は玄関を出て行った。
「僕も、ちょっとだけ歩いてくる」
そう言い置いて、僕も後を追う。
「ありがとう。今日は、楽しかった」
「僕も、楽しかったです。また、来てくれるとコロも喜ぶんで」
「ん、わかった」
コロが喜ぶと言ったけれど、コロ以上に僕が嬉しかったのに、そこは言葉にできなかった。
「また、先輩の家にも遊びに行ってもいいですか?」
「別に、面白いものはないと思うけどな」
「それでもいいんです。弁木先輩の部屋とか見てみたいし……」
部屋では、自分から手を繋ぎに行けたのに、外に出た途端、弱気な自分に戻ってしまう。
でも、部屋でも手を繋いでたし、まだ繋ぎたいなんて、どれだけ手を繋ぐのが好きなんだ。
――今しかない!
――今しかない!
人通りが絶えた時には、胸の子ウサギたちが必死に声をあげる。
だけど、結局勇気が出ず、手を繋ぐことはできないまま。
僕は、弁木先輩の背中を見送ることになった。
――意気地なし!
――根性なし!
そんな言葉に責められながら、僕は一人トボトボと家へと戻ったのだった。
