判官贔屓の恋

第四二話

 そして、ついに弁木(わけぎ)先輩が、家に遊びにくる日がやってきてしまった。
 
 それは土曜日に狩野先生と一臣先生に稽古をつけてもらった後に、家に寄ってもらうことになったのだ。
 お母さんには「部活の先輩を家に呼んでもいい?」と、それとなく剣道部の延長であるように伝えておいた。
 晩御飯は一緒に食べる予定にはしているけど、もしかしたら食べないかも知れない、なんて、ずいぶん曖昧な感じで伝えたが、ただ単純に、僕が弁木(わけぎ)先輩が何をしにくるつもりなのか聞けていないせいでもあった。

(――本当、何しにくるの!?)

 そわそわしながら稽古を終える。帰り道はまだ日が高く、道も暗くなっていないし、人通りも多い。
 そのせいなのか、初めて手を繋いで帰ったあの日以来、一度も手を繋がなかった。
 僕の右手が、
(寂しい……)
 と訴えてくるのを、必死に聞き流しながら歩く。

「ただいまー」
 僕が玄関の扉を開けると、足音を聞きつけた豆柴のコロが、出迎えにやってきた。
 だけど、僕よりも後ろに立っていた弁木(わけぎ)先輩を見つけるなり、ぴょんぴょん飛び跳ね始めた。
 まるで僕自身を見ているようで、少しばかり居た堪れない。
「お帰りなさい。いらっしゃい、どうぞあがって」
 お母さんも僕が帰ってきたことに気づいて姿を現すと、弁木(わけぎ)先輩がいつものように挨拶をしていた。
「突然すいません。弁木(わけぎ)慶次郎です。お邪魔します」
 剣道で鍛えられた礼は、僕にとっては見慣れたものだった。
 だけど、お母さんからすれば、土曜日なのに制服をきっちり着こなし、ものすごく丁寧で、ものすごく礼儀正しい人に見えたらしい。
 お母さんの顔が、なんだか嬉しそうなことに、少しムズムズしてしまう。
 コロは僕たちよりも先にリビングに走っていくと、「見ろ」と言わんばかりに、お気に入りのオモチャを咥えて弁木(わけぎ)先輩の足元へ戻って行った。
 それに、弁木(わけぎ)先輩が、律儀に僕へ尋ねる。
「撫でてもいいのか?」
「……はい」
 僕が頷くと、大きな手がコロの頭に触れた。
 わしゃわしゃ。
 コロの尻尾が、これでもかというくらい嬉しそうに揺れる。
 「……」
 ――おい、ずるいぞ! コロ!
 ――僕だって、撫でて欲しいのに!
 胸の子ウサギたちが、一斉に騒ぎ始める。
 それを挑発するように、コロは会ったばかりの弁木(わけぎ)先輩に、厚かましくも腹を撫でろと要求していた。
(お前……調子に乗るなよ!?)
 そんな僕の心の声など知る由もなく、弁木(わけぎ)先輩は律儀にコロのお腹まで撫でている。
「これ、あげてもいいか?」
 弁木(わけぎ)先輩が取り出したのは、骨の形をした、噛むと音が鳴るおもちゃだった。
 僕が答えるより先に、コロが興味津々で飛びつく。
 骨型のおもちゃを咥えると、「ぷぴっ」と可愛い音がして、コロが嬉しそうに飛び跳ねる。
「あら、ありがとう。良かったわね、コロちゃん」
 それを見たお母さんが嬉しそうに声を掛けていたが、ちっともよくない。

 ――弁木(わけぎ)先輩からのプレゼントだって!?
 ――僕だって何ももらってないのに、コロばっかり、ずるくない!?
 胸の子ウサギたちが、今度は嫉妬でぷくぷくに膨れ上がっていく。
 なのに、当のコロは、そんな僕の心情など知りもせず、先輩に構い倒してもらっていた。
「服に毛がつくから、抱っこはダメだよ」
 
 僕がそう言って、頑なにコロを抱っこさせなかったのは、完全なる僕の醜い嫉妬からだったけれど、このぐらいは許してほしい。
 だって、弁木(わけぎ)先輩に撫でられまくって、お腹まで見せてご満悦なコロの姿が、羨ましくて仕方なかったんだから。
 
 ――僕ですら、あんなに構ってもらったことなんかないのに……!
 ――弁木(わけぎ)先輩なんか、もう知らない!
 結局、胸の子ウサギたちは膨れたまま、不貞腐れて丸くなってしまった。