判官贔屓の恋

第三八話

「今日は新月だから、星がよく見えますね」
 そう言うと、弁木(わけぎ)先輩が空に浮かんだ星空を見上げた。
「なら、あれが……オリオン座か?」
「オリオン座は冬の星座だから……たぶん、違うと思います」
 そんな中身のない話をしてしまったのは、お互いに緊張しているせいだったのだろう。
 そこからも僕と弁木(わけぎ)先輩は妙に、繋がらない会話を続けていた。
 
「家、どっちだ?」
「あ、まだまっすぐで、次を左に曲がるんですけど」
 十字路に差し掛かると方向を聞かれて、素直に答える。だけど、小学校から家まではそんなに遠くない。きっとすぐに別れ道に来てしまう。
 つい寂しくなって、家に着いてしまう前に、恋人(仮)の弁木(わけぎ)先輩に一つ提案をした。

「付き合うのに、ルールとか決めませんか?」
「ルール? 例えば?」
「えっと……例えばですけど、お付き合いを始めたのは剣道部の皆には秘密にする、とか」
「そうか。確かに、それはあった方がいい気がするな」
 うん、と頷いた弁木(わけぎ)先輩は「バレたら佐竹に冷やかされそうだからな」と言っていたが、僕の本心はそうじゃなかった。
 弁木(わけぎ)先輩に、別れを告げられた時に、周りからの同情の視線を浴びるのが辛かったからで、ただ僕の保身のためだった。
 本気じゃない弁木(わけぎ)先輩は、きっと僕と別れることになっても、ほぼほぼダメージなしでいられるだろうけど、僕はそういうわけにはいかない。
 近づけば近づくほどに、身を焦がす太陽。近づき過ぎてしまった罰を受けるように、僕はきっと丸焦げになってしまっているだろうから。
 こうやって手を繋いで帰ってくれるのだって、一回限りかもしれない。ただの弁木(わけぎ)先輩の気まぐれかもしれない。
 だけど、きっと今だけ、きっと今回で最後だ、そう思っている方が、ちょっと焼きすぎの狐色ぐらいにはなれるかもしれない。

「弁木(わけぎ)先輩は、僕にこれだけは守ってほしいっていうルール、ありますか?」
「……ん、」

 言葉を濁した弁木(わけぎ)先輩は、これと言ったものを考えてなかったんだろう。
 確かに、恋人(仮)になれたのだって、僕が「どうですか?」って言ったからで、弁木(わけぎ)先輩は僕に付き合ってくれてるだけだから、仕方のないことだと思う。
 暫く、黙ったままだった弁木(わけぎ)先輩が、ふと視線を僕に向けた。

「ルールじゃないんだが、一ついいか?」
「はい、何でも!」

 そう答えた僕に、弁木(わけぎ)先輩は何でもないように続けた。
 
「凪から電話が掛かってきたことがない。今日は凪から電話してくれるか?」
「――えっ、あっ、ぼ、僕から、ですか?」

 うん、と頷いた弁木(わけぎ)先輩の顔を見上げながら、僕は思い出していた。
 そういえば、今までも「今日、電話していいか」と聞くのは弁木(わけぎ)先輩で、「はい」と答えるのが僕だった。
 だって、僕は話したいことがあるというより、弁木(わけぎ)先輩の声を聞けたらそれでいいと思ってたし、弁木(わけぎ)先輩の時間を使うわけにはいかないと思っていた節もあって、誘ったことなんかなかった。
 一体どういったタイミングで弁木(わけぎ)先輩は電話をかけてきてくれているんだろう。
 いつも寝る前に電話をかけてきてくれているんだろうけど。
「すいません。今日は、いくつか課題が出てて、何時に終わるかわからないんで、別の日に……」
「なら、課題始めたら電話くれ。俺も一緒にやる」
 別の日に電話をしよう、と提案しようと思っていた声は喉の奥にきゅっと詰まった。
 別に弁木(わけぎ)先輩と電話をするのは嫌じゃない。
 でも、課題中にお喋りなんかできないし、黙ったままでもいいのかな。
 世間一般のカップルが、付き合い始めた時にどうするのかなんて僕には分からない。
 さっきから僕は、弁木(わけぎ)先輩に言われるまま頷いてばかりだ。

 でも――。
 もしかしたら、弁木(わけぎ)先輩の中には、弁木(わけぎ)先輩なりの「恋人のお作法」があるのかもしれない。

「あ、家ここなんで……、わざわざありがとうございました」
 一軒家の門の前で立ち止まると、弁木(わけぎ)先輩が家を見上げ。
「こんな家に住んでたんだな」
 そして、門灯に照らされた表札の下に貼られた小さな犬のシルエットのシールに目を留める。
「犬飼ってるんだ?」
「そうなんです。豆柴で、コロって言うんですけど、室内犬なので、外からは見えないかな」
 そう返した言葉に、弁木(わけぎ)先輩が「ふぅん」とだけ返してくる。
「また今度、遊びに来てくださいね」
 それは社交辞令に近い、誰もが一度は口にするような、特別な言葉ではなかったとは思う。
 だから僕も、深く考えずに言っただけだった。

「わかった。今度の休みに挨拶に来る」
「……あ、はい」
 僕は、鳩が豆鉄砲を食らったように、ぱちくりと瞬きをした。
 弁木(わけぎ)先輩はそんな僕を気にする様子もなく、
「じゃあな」
 と、繋いでいた手を離すと、そのまま軽く僕の頭を撫でると、家の方へ歩き出した。
(……えっ)
 僕は、その背中を見つめたまま固まった。
(……いや、挨拶!? 誰に!?)