第三六話
その言葉を聞いた僕は、おそらく生まれて初めてぐらいの、渾身の「えっ!?」を放った。
だけど、弁木先輩も、自分自身の感情に初めて気づいたばかりなのだろう。
僕の反応を気にしている余裕すらないようだった。
「……いや、悪い。今、言うことじゃないよな」
「いや、今、言ってください! むしろ、今! 今、言ってくれないと困ります!」
僕が食い気味にそう言うと、弁木先輩は、一度は放棄しようとしていた自分の気持ちと、もう一度向き合おうとしているように見えた。
(弁木先輩が……僕を……?)
それは正に青天の霹靂。塞翁が馬。瓢箪から駒。棚からぼたもち。
もう、ありとあらゆる習った故事成語を思い出しながら、僕の胸の中にいる子ウサギが、むくむくと大きくなっていく。
心臓の中が、狭い。
嬉しすぎて、今にも飛び出してきそうだった。
僕は、ポケットに入れていた退部届を引っ張り出すと、弁木先輩の目の前で広げて見せた。
もう、なりふり構っていられないし、そんな場面じゃない。
出し惜しみしたら、このチャンスを逃してしまうかもしれない。
当初は退部届は墓場まで持って行こうと思っていたけど、持って行ったら僕の恋が死ぬ。
そう思ったら、隠してなんかいられなかった。
「真田先輩が僕に返してくれていたのは、ラブレターじゃなくて退部届だったんです!」
「……退部届!? え、何でだ!? 凪、剣道部辞めるつもりなのか!?」
「まだ辞めません! いや、そうじゃなくて! 今はとりあえず横に置いてください!」
話が全然進まない。
僕は思わず弁木先輩の両頬を掴んだ。
そして、僕のほうへ顔を向けさせる。
もう、逃げている場合じゃない。
僕は人生で初めて、自分の意思で、大きな一歩を踏み出した。
「僕は、模擬試合を見た時から、ずっと……ずっと、弁木先輩だけが好きでした!」
言った。
言ってしまった。
弁木先輩の目が、驚いたように大きく見開かれていく。
僕は、その顔をただ見つめていた。
だけど――。
「……悪い、まだ、そこまで整理しきれてないかもしれない」
「……え?」
「確かに、好きなのは好きだと思うし、凪が誰かに取られるのは嫌だって思う。それに……」
「それに?」
「凪がいないと、調子狂うっていうか……でも、そういうのも含めて、好きってことなのかが、俺にはまだよく分からない」
その言葉に、僕の背筋がピンと伸びて、どっと汗が吹き出してくるのが自分でも分かった。
(そんなにたくさん想ってくれてるのに、弁木先輩は……好きかどうか、わからないの?)
そう思ったけど、僕は言葉にはしなかった。
弁木先輩が正気に戻ってしまうのが怖かったし、何より掴みかけた幸せを逃したくなかった。
「なら、お試しで……僕とお付き合い、してもらえませんか?」
「お試し……?」
僕の言葉を繰り返した弁木先輩に、小さく頷いた。
「そんなに、難しく考えてほしくないんですけど……僕も、“正しいお付き合い”が何なのか、よく分からないんです」
一度、息を吸う。
「でも、恋人とこういうことしてみたいな、っていう願望は、弁木先輩にもあったりしませんか?」
弁木先輩が黙って僕を見る。
「そういうのを、一緒に叶える相手……って考えるのは、どうですか?」
「凪は、それでいいのか?」
「はい!」
即答だった。
先輩からは見えない位置で握り締めた手が、小さく震えている。
手のひらには、じっとりと汗が滲んでいた。
お試しで付き合えば、好きになってもらえる、なんて自信はこれっぽっちもない。
むしろ、嫌われる可能性だってあるとは思ってる。
だけど、それでも――少しでもいいから、もう少しだけ弁木先輩の傍にいたいと思ってしまったからだ。
「そうか……」
弁木先輩が、少しだけ考えるように目を伏せる。
そして。
「じゃあ、よろしくな」
小さく頷いた、その瞬間。
僕と弁木先輩の関係は、今までとは少しだけ違う形に変わったのだった。
その言葉を聞いた僕は、おそらく生まれて初めてぐらいの、渾身の「えっ!?」を放った。
だけど、弁木先輩も、自分自身の感情に初めて気づいたばかりなのだろう。
僕の反応を気にしている余裕すらないようだった。
「……いや、悪い。今、言うことじゃないよな」
「いや、今、言ってください! むしろ、今! 今、言ってくれないと困ります!」
僕が食い気味にそう言うと、弁木先輩は、一度は放棄しようとしていた自分の気持ちと、もう一度向き合おうとしているように見えた。
(弁木先輩が……僕を……?)
それは正に青天の霹靂。塞翁が馬。瓢箪から駒。棚からぼたもち。
もう、ありとあらゆる習った故事成語を思い出しながら、僕の胸の中にいる子ウサギが、むくむくと大きくなっていく。
心臓の中が、狭い。
嬉しすぎて、今にも飛び出してきそうだった。
僕は、ポケットに入れていた退部届を引っ張り出すと、弁木先輩の目の前で広げて見せた。
もう、なりふり構っていられないし、そんな場面じゃない。
出し惜しみしたら、このチャンスを逃してしまうかもしれない。
当初は退部届は墓場まで持って行こうと思っていたけど、持って行ったら僕の恋が死ぬ。
そう思ったら、隠してなんかいられなかった。
「真田先輩が僕に返してくれていたのは、ラブレターじゃなくて退部届だったんです!」
「……退部届!? え、何でだ!? 凪、剣道部辞めるつもりなのか!?」
「まだ辞めません! いや、そうじゃなくて! 今はとりあえず横に置いてください!」
話が全然進まない。
僕は思わず弁木先輩の両頬を掴んだ。
そして、僕のほうへ顔を向けさせる。
もう、逃げている場合じゃない。
僕は人生で初めて、自分の意思で、大きな一歩を踏み出した。
「僕は、模擬試合を見た時から、ずっと……ずっと、弁木先輩だけが好きでした!」
言った。
言ってしまった。
弁木先輩の目が、驚いたように大きく見開かれていく。
僕は、その顔をただ見つめていた。
だけど――。
「……悪い、まだ、そこまで整理しきれてないかもしれない」
「……え?」
「確かに、好きなのは好きだと思うし、凪が誰かに取られるのは嫌だって思う。それに……」
「それに?」
「凪がいないと、調子狂うっていうか……でも、そういうのも含めて、好きってことなのかが、俺にはまだよく分からない」
その言葉に、僕の背筋がピンと伸びて、どっと汗が吹き出してくるのが自分でも分かった。
(そんなにたくさん想ってくれてるのに、弁木先輩は……好きかどうか、わからないの?)
そう思ったけど、僕は言葉にはしなかった。
弁木先輩が正気に戻ってしまうのが怖かったし、何より掴みかけた幸せを逃したくなかった。
「なら、お試しで……僕とお付き合い、してもらえませんか?」
「お試し……?」
僕の言葉を繰り返した弁木先輩に、小さく頷いた。
「そんなに、難しく考えてほしくないんですけど……僕も、“正しいお付き合い”が何なのか、よく分からないんです」
一度、息を吸う。
「でも、恋人とこういうことしてみたいな、っていう願望は、弁木先輩にもあったりしませんか?」
弁木先輩が黙って僕を見る。
「そういうのを、一緒に叶える相手……って考えるのは、どうですか?」
「凪は、それでいいのか?」
「はい!」
即答だった。
先輩からは見えない位置で握り締めた手が、小さく震えている。
手のひらには、じっとりと汗が滲んでいた。
お試しで付き合えば、好きになってもらえる、なんて自信はこれっぽっちもない。
むしろ、嫌われる可能性だってあるとは思ってる。
だけど、それでも――少しでもいいから、もう少しだけ弁木先輩の傍にいたいと思ってしまったからだ。
「そうか……」
弁木先輩が、少しだけ考えるように目を伏せる。
そして。
「じゃあ、よろしくな」
小さく頷いた、その瞬間。
僕と弁木先輩の関係は、今までとは少しだけ違う形に変わったのだった。
