判官贔屓の恋

第二五話

 狩野先生に案内されて、体育館のステージの前にちょこんと座ると、子供たちの姿を見る。
 そこには、一年生から六年生ぐらいまで、大小の身長の子供たちがいて、レベルに合わせて違うことをしているみたいだった。
 足捌きばかりを繰り返す子もいれば、素振りを細かく教えられている子もいる。

 ――だけど、どこにも「痛い」と、泣いてる子はいなかった。

(……こんな小さな子供でも、できるんだ)
 その事実が、僕の胸に重くのしかかってくる。
 思わず俯いていると、終わりの時間になったらしく、子供たちが帰っていく背中が見えた。
 汗を拭きながら、狩野先生が近づいてくる。

「それで? 君は剣道をしたことがあるんだよね?」
「……あ、あの、……えっ、何で?」

 どこでバレてしまったのかと言い淀んでいると、狩野先生が小さく笑った。
「そうやって正座をした姿を見るに、剣道をしたことあるんじゃないかと思ったんだけど、違ったかな」

 そう言われて、初めて自分が何も考えずに正座をしていたことに気づいた。
 普段から道場にいる時は、きちんと正座をする癖がついていたから、うっかりしていた。
 何て言おうかと頭を悩ませた僕だけど――きっと、狩野先生には僕が見学に訪れたんじゃないことも、バレているに違いない。

「もしかして、剣道部のレベルが高くて、練習について行けない……とか?」

 そこまで言い当てられたことに観念した。
 小さく息を吐き出すと、今まで誰にも言えなかったことを、初めて口にしたのだった。
 
「――僕、竹刀が当たるのが怖いんです」
 言葉にした瞬間、胸の奥が震えた。
「部内でも一番背が低いこともあって……面を打つ時に竹刀が頭に当たったら、背が縮みそうなくらい痛くて。それ以外にも、胴も小手も、防具がないところに当たるのが、痛くて、怖くて……」
 言葉が止まらなくなる。
「弁木(わけぎ)先輩とずっと一緒にいたいし、一緒に剣道をしたいって思う気持ちはあるのに……どうしても、一歩が出なくて……」
 自分の耳に、自分の声が聞こえた。
 その瞬間、目からぼろっと涙が零れ落ちた。
 自分でも笑ってしまうほどに、情けない。
 こんなことで泣くなんて、さっきの子供たちだって言わないに決まってる。
 狩野先生だって、もう一人の先生だって、「何を言ってるんだ」って笑うに違いない。
 手の甲で払うように涙を拭うと、狩野先生がぽつりと呟いた。
 
「……そうか。それは大変だったね」

 思わず、顔を上げた。
 その言葉は、否定ばかりし続けてきた僕の胸に――深く刺さる言葉だった。
 怖い。
 痛い。
 情けない。
 そんな自分を、ずっと自分自身で責めてきた。
 なのに、狩野先生は何も否定しなかった。

「でも、竹刀が当たったら痛いのは、正直どうしようもないことだからなぁ。ガッチガチに鉄板で覆って試合するわけにもいかないしなぁ」
 
 狩野先生が、腕組みをしながら考えるように目を閉じる。
 うんうん唸り始めた狩野先生に、もう一人の茶髪の先生も話に入ってきて、僕の目の前で二人の先生の議論が始まった。
 
「痛いのは慣れるしか無い。でも怖いが先立って、慣れるまでに至らない、と」
「でも高校生レベルになると、打突も容赦ないでしょ」
「だろうなぁ。本気の奴らの中に混じるとなると、キツイよなぁ」
 二人の先生が、僕を挟んで真剣に話し合っている。
 まるで、僕の悩みをどうすれば解決できるのか、本気で考えてくれているみたいだった。
 やがて、茶髪の先生がぽつりと言った。
「……そうなると、一番手っ取り早いのは、当たらないことなんですけどね」
 その言葉に、狩野先生がポンと手を叩いた。
「やっぱ、それしかないよな!」
「え?」
 僕は、ぽかんと狩野先生を見つめた。
「……逃げて、いいんですか?」
「いいんじゃないか?」
 あまりにもあっさりと言われて、僕は目を瞬かせる。
 逃げる。
 剣道なのに。
 逃げてもいい。
 その言葉が、胸の奥にすっと入ってきた。

 逃げることで、弁木(わけぎ)先輩の傍にいられるなら、僕はどこまでだって逃げられる気がした。
 それこそ、地球の裏側にだって――。