判官贔屓の恋

第二三話

 剣道と、僕もちゃんと向き合いたい。それは本当のことで、心の底からそう思ってる。
 オレンジの匂いのする弁木(わけぎ)先輩とだって、もっとずっと一緒にいたかったし、場内に入る前の姿だって見たかった。
 面を外した時の、あの匂い立つような色気は、なかなか見られるものじゃないし、汗を拭く用のタオルだって、いの一番に差し出したかった。
 ――そう考え始めると、僕も真面目に剣道と向き合うしかないじゃないか。
 
 だけど、やっぱり痛いのは嫌だし、何より怖い、という思いが強くなっている。
 それは例えるならば、注射を知らない子犬が、実際に体験することで、大の注射嫌いになってしまうようなもの。
 知らなければ、格好いいな、僕もやってみたい、と思えたことが、実際にやってみたら全然違った、というのと同じだ。

 痛みなんて剣道を続けてる人は皆乗り越えて、剣道と向き合っているに決まってるだろ。そんな生っちょろいこと言ってないで、お前も頑張れよ。
 そんな風に言われたら、確かにその通りで、それ以外に道なんてない。
 そのぐらいのことは、僕にだって分かってる。
 
 だけど――あの防具じゃない所を叩かれた時の痛みを思い出したら、恐怖で身が竦んでしまうんだ。
 その恐怖は、むしろマネージャーに逃げて、剣道と触れ合わない時間を作ってしまったから、余計に大きくなってしまった気もする。

 弁木(わけぎ)先輩の、いい匂いを嗅いで満足してる自分じゃ嫌だって思うのに。
 それ以上に、僕は痛みに耐え続ける自信がない、そんな思いが先行してしまう。

 それに、強い剣道を目指している真田先輩や弁木(わけぎ)先輩に向かって「痛みが怖くて剣道ができない」なんて相談できるはずもなかった。
 こんな悩みを打ち明けたところで、理解してもらえないだろうし、何より馬鹿にしてると怒られるか、ふざけてると思われるかもしれない。
 
 実際のところ、同情されればいい方で、弁木(わけぎ)先輩にゴミでも見るような目で見られたら――そう考えたら、足が竦みそうになってしまった。

 僕は誰よりも近く、それこそ柔軟剤の匂いを常に感じ取れるぐらいに、弁木(わけぎ)先輩の傍にいたいのに、今は誰よりも遠い。
 僕だけが弁木(わけぎ)先輩の後ろを歩いて、先輩の柔軟剤の残り香を嗅ぐなんてことになるのは、絶対に嫌だ!

 ――だけど、意気地無しな僕には、勇気が出ないんだ。

 そんな、自分の尻尾をぐるぐる追い掛け続ける犬のように、ずっと同じ場所をぐるぐる回っている僕は、真田先輩のコピーみたいだと言われ悩んでいる弁木(わけぎ)先輩とは、別の道を歩み始めている気がした。

 あんなに近いと思っていた弁木(わけぎ)先輩のことを、こんなに遠いと思うなんて。
 僕は、匂いのしないエア弁木(わけぎ)先輩を抱きしめながら、ひっそりと眠りについたのだった。