判官贔屓の恋

第一八話

 「そんなことない、弁木(わけぎ)先輩は勝つに決まってる」
 そう思うのに、佐竹先輩の言葉が胸に突き刺さったまま抜けない。
 不安を拭えないまま、弁木(わけぎ)先輩と新見(にいみ)さんが場内に姿を現した。

 二人は、それぞれ別の場所から歩いて会場に入ってくる。
 既に面をつけていることもあって、遠い客席からでは表情まではよく見えない。

 だけど僕には、一目見ただけで、弁木(わけぎ)先輩がいつもと違うことに気づいてしまった。
 歩いているだけなのに、竹刀を持つ手に、肩にも、変に力が入っている。

(……弁木(わけぎ)先輩、怒ってる?)

 怒りを抑えるためなのか。
 それとも、視界に対戦相手を入れないようにしているのか。
 弁木(わけぎ)先輩は、不自然なほどに前を見ていた。

『試合前には、精神統一が最も大事なことだ。むしろ自分との戦いとも言っていい。常に己を見失わないように、冷静でいることを忘れないように』
 それは、真田先輩が口を酸っぱくして何度も言っていたことだ。
 相手の言葉や態度に惑わされることなく、自分を持つ。
 何があろうと、常に平静でいること。

 神棚に向かって精神統一をするのも、昂った気持ちを整え、自分自身と向き合うための大切な時間だ。
 それを知ってるからこそ、弁木(わけぎ)先輩も、いつも平常心を保とうとしていることを僕は知っている。

(……裏にいる時に、何かあったのかな)

 スマホで拡大して画面を見る。
 向かい合って互いに礼をした弁木(わけぎ)先輩が、ぎゅっと目を閉じているように見えた。
 ほんの少しの短い時間だったけれど、気持ちを落ち着けようと、精神統一をしているようだった。

(弁木(わけぎ)先輩、落ち着いて…)
 
 だけど。
 ふらふらと揺れる新見(にいみ)さんの竹刀の先に引きずられるように、弁木(わけぎ)先輩が勢いよく竹刀を振り上げた。
 いつもよりも、竹刀を振る速さにブレがある。
 乱暴に振り下ろしているのか、新見(にいみ)さんの竹刀がぶつかった瞬間、激しい音が響いた。

 だけど、今の弁木(わけぎ)先輩は、ただ勢いに任せているようにしか見えない。
 腕だけで竹刀を当てようとしている。
 身体ごと踏み込むのではなく、前へ突っ込んでいる。
 その証拠に、下半身がついていかず、前傾姿勢になっていた。
 普段の弁木(わけぎ)先輩なら、絶対にしない動きだ。

(いつもの、弁木(わけぎ)先輩じゃないみたいだ)

 これじゃ、柔よく剛を制す剣道をする新見(にいみ)さんに絡め取られてしまう。
 
「――っ、ダメだ!」

 僕が小さく声を上げた、その瞬間。
 弁木(わけぎ)先輩の竹刀が、新見(にいみ)さんにうまくいなされた。
 体勢が崩れる。
 そして――審判の三本の旗が、一斉に上がった。
 新見(にいみ)さんに一本を先取されてしまったのだった。